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妄想のことを思案する。

妄想というのは自由ということかもしれない。

結局なにがむずかしいのかというと
その妄想とうまく付き合うことが
むずかしいんだろうな。
妄想を操れるのか。
そこが力量なのだろう。

創造するということのなかには
全てではないが
妄想が支配する部分があるように思っている。
唯一無二のものは
妄想のなかにひそんでいるようにも見える。

妄想があまりない人間はなんだかつらいではないか。

人として社会的に生きるためのスィッチを押すと
妄想は消えるのかもしれない。
常識のエリアからふっと身をはずすと
妄想のスィッチがうかんでくるのかもしれない。

いやいや
そんな理屈なんか関係なく湧いてきてしまうのが
妄想なのかもしれない。
そういう理屈を言っているうちは
妄想は湧いてこないのかもしれない。

では、瞑想のように
妄想の時間を設けて訓練するのはどうだろう。
破天荒な考えの練習だとか
当たり前を解体するお稽古だとか
この世のものとは思えぬものを思う課題だとか
妄想の学習。

いやいや、それもへんだねえ。

うーん、だってねえ・・・自分が
当たり前のことを当たり前に書いた小説って
なあんかつまらないのよねえ。

美から始まる妄想というものある。

今この目で見ているものから
境界線をにじませて広がっていく違った世界。
ほんとうにはないのだけれど
あるかのように浮かんでくる映像。
それも妄想。

美しいもの、美しいものと呟いて思いをめぐらす。

真直ぐ立って目をつぶって思い出そう。
あたしはなにを美しいと思って生きてきたんだろう。
深く記憶に刻まれた美しいものはなんなんだろう。

そんなふうに考えて愕然とする。
浮かんでこない。
曇った目なのかもしれない。

うつくしいもの
うつくしいものと唱えている。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️