ざつぼくりん 6 「カンさんⅡ」
「カンさん、なんか姓名判断のいい本がありますか。由緒正しきって感じのやつ」
「それはまたえらく、気が早いですねえ。おなかはこんなに大きくても、まだ五カ月になったばかりなんでしょう?」
カンさんは絹子のおなかをのぞきこむようにしていう。
「ふたり分だから、今から余裕もって考えといたほうがいいんじゃないかなってこともあるんですけど・・・」
「けど、なんですか?」
「いや、ほんとはね、早く決めとかないと、伯母に強引に名前をつけられてしまうかもしれないんですよ」
「ほう、そのおばさんは四柱推命でもなさるんですか?」
「そうじゃなくて、伯母は今、京都の晴明神社のそばに住んでるんですよ。昔は寂れてたらしいんだけど、今はメディアのおかげでえらい人気の神社ですよ」
「一条戻り橋ですな。いやいやそれはお懐かしい」
「えっ、カンさん、京都に縁があるの?」
「いや、そういうわけではなく、有名ですから」
過ぎた日のことをカンさんは決して口にしない。誰かが踏み込んでくると柔らかな言葉で礼儀正しく、それでいてきっぱりと境界線を引く。
「その晴明神社って姓名判断が名物なんですって」
「名物っていいますかねえ。絹子さんの言葉は時々精度が落ちますね」
カンさんが嗜める。いつものことなので絹子は気にしない。
「あそこは陰陽師の安倍晴明を祀ってあって、陰陽道は占いのもとだからね、姓名判断もするんですよ。そういえば、晴明と姓名がかけことばになってますね」
いまさらのことを分別くさい顔つきで時生は説明する。先生だからしかたがない。
「そうそう、伯母さんの小学校時代の同級生の名付け親はほとんど晴明神社なんですって」
「晴明神社の神主というのが正確でしょうねえ」
「ええ。伯母が言うには、小学校にはいったら、名前の由来を調べてきなさい、なんて宿題が出るにきまってるから、晴明さんの占いでつけておけば、そのときにあわてなくてすむっていうんですよ。子供が気に入らない名前だって駄々をこねても、晴明さんがつけたんだからって説得できるって」
「そうですよね。安倍清明の神社につけてもらうんだから、文句はありませんよ。ふたごさんもそうしてもらえばいいじゃないですか」
「それがね……」
晴明神社の占いでは、生まれ月日と時間を聞いて運命をよくするいくつかの名前の候補が巻紙に書かれ親に手渡される。そのなかから好きなものを選ぶという最終的な決断は親に委ねられているらしい。
「そこでつけてもらったっていう知り合いに聞くと、その候補っていうのが時代がかって垢抜けない名前ばかりだったっていうんですよ」
「しかも、どの子もたいしたもんにならなかったって」
「これこれ!まあ、それは本人次第のことですよ。晴明さんに文句を言うのは筋がちがいますねえ」
「そうよね。でも伯母さんはこういうの」
そういって絹子は伯母の声色を遣い、珍妙なイントネーションの京都弁で言う。
「『名前が古いていうのんか、ときちゃん? まあ、そやけど、なんていうたかて、せいめいはんやさかいになあ。そらごりやくがあるわいな。子供の幸せを願わへん親がどこにいる? それに、名前はどん!とすわりのええもんにしとかんと、年取ってよぼよぼになっても、翔やなんて、そんな名前、はずかしでえ』って」
「そいつはうがってますよ。たしかに、病院でサヤカだのマミだのって名前で老婦人が呼ばれていると、あたしはなんか可哀想なこころもちになります」
「ぼくはやっぱり、人まかせでなくて、とうさんとかあさんがいろんな本見て、おまえたちのために一生懸命考えたんだよっていう名前のほうがいいと思うんですよ」
「わたしもそう思う。名前って親から送る最初の贈り物でしょう? 贈り物にはこころをこめたいもの」
「ぼく、自分の名前、好きなんです。両親がおまえが生まれたとき、これからおまえの人生の時間が始まるんだなって思ったから時生とつけたんだって言ってました」
「そのエピソードが一番のプレゼントだと思わない?」
「おおー、それは実に美しいお話ですね。きっと絹子さんのご両親も、名づけのおりに美しくしなやかに強くあれ、と願われたのでしょうね」
「ふふ、どうあれ、両親の願いはそうだったのよ。で、カンさんて本当はなんていう名前なの」
「あたしですか? あたしはただのカンですよ。若かろうが爺になろうが、あとにもさきにもカンですから。ご案じなく」
案じはしないが、カンさんに通じる扉を目の前で閉められたような気分になる。
名前の由来を聞かれることが幸せな記憶に結びつかない人生だってあるのかもしれないと思って絹子はすこしひやりとする。
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️