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ラルフのためいき 13「ラルフのためいき」
そこでテルはしばらく動けなかった。足からは血が流れていた。きいっちゃんの顔も蒼ざめていた。たぶん、自分が声を出したことさえ、気づいてなかったんじゃないかなあ。
「おい、大丈夫か」おとこのひとの心配そうな声が聞こえてきた。見上げると髭を生やしたひとだった。白髪交じりの長い髪を後ろでひとつに束ねていた。
そのひとはテルのそばにかがんで、顔を覗き込み「頭、打ったのか?」と聞いた。テルはかすかにうなずいた。「わかった、じっとしてろよ。今、救急車を呼ぶからな。」と、携帯を取り出して、テルのことと場所の説明をした。「もうじき来るからな」そういうとそのひとはしゃくりあげている小さな男の子に向って怒鳴った。
「トータ! なにやってんだ! 急に飛び出したら、自分が怪我するだけじゃなくて、こんなふうに、ひとにも迷惑かけるんだぞ。このにいちゃんに謝れ」
どうやら、このひとはトータという男の子のじいさんらしかった。
「ご、ご、ご、ごめんなちゃい…・・・ヒックヒック・・・・・・おにいたん、いたいの?ごめんね」
「わるかったな。ぼうや。うちの孫がおどろかしちゃったんだな。たぶん、大丈夫だとは思うけど、念のために病院へ行こうな。こっちのぼうやはこの子の連絡先わかるかな?」
そのひとはきいっちゃんの事情なんかわからないからさ、そう聞いたんだよ。この子はしゃべれないんだって、オイラが説明したかったんだけどさ、ワンワンとしか聞こえないし、どうしたもんかなって思ってたら、きいっちゃんが「わかる」って言ったんだ。「じいちゃんの道場」って。ちょっとかすれてたけど、しっかりした声だった。
もうもうオイラは尻尾ふりふり、「きいっちゃん、きいっちゃん、しゃべれたよ」って言いながらきいっちゃんの周りぐるぐるまわっちゃったよ。倒れてたテルもそのことに気づいてにこっとしたんだ。
だってさ、テルははじめてきいっちゃんの声、聞いたんだもん。そりゃあうれしかったんだろうな。
「オイオイ、この犬はどうしたんだ。おちつけおちつけ」トータのじいさんがそういうと、きいっちゃんは「ラルフ!」ってオイラをしかったんだ。オイラも、叱られてるのにうれしかったんだ。
「じゃ、君、電話番号わかる?」そういっておじさんは携帯をきいっちゃんに渡したんだ。そしたら、きいっちゃんはじいさんちの番号を押して、自分で話したんだ。
「おじいちゃん、たいへんなんだ。テルが怪我しちゃった」
受話器のむこうで、じいさん驚いてただろうなあ。怪我のこともそうだけど、それを告げてるのがきいっちゃんだってわかって、腰ぬかしていたかもしれないな。そんなじいさんの顔、そばで見ていたかったなあ。
そのあとトータのじいさんがうちのじいさんに詳しい説明をしてるうちに救急車が来たんだ。オイラと自転車を残してみんな救急車に乗って病院へ行ってしまったものだからそのあとのことはよくわからないんだ。けど、あとから知ったころだけど、テルの足は打撲だけで、頭のほうも検査したけど、異常なしだったそうだ。ほっと、ひとあんしんだったさ。
こういうのをさ、怪我の功名っていうらしいけど、テルが怪我したから、きいっちゃんがしゃべれるようになったんだ。わからないもんだよね。
いったんしゃべれるようになったら、きいっちゃんのしゃべることしゃべること。鵠沼に来てから思っていたこと、洗いざらい言葉にしてるみたいだった。鵠沼のみんなのことがすごくすきなんだなってよくわかったよ。
じいさん、ほんとうれしそうだった。だって、道場でもみんなみたいな声が出るようになったんだもんな。仏壇の朱鷺さんの写真に報告してたよ。きっと朱鷺さんも喜んだとおもうな。
土門や樹菜ちゃん、道場のみんなも気持ちは同じだった。土門がきいっちゃんのこと肩車して、道場をぐるぐるまわったんだ。そのあとをみんながついて走った。怪我したテルと樹菜ちゃんがそれを見てた。
世田谷にも連絡が行った。それはきいっちゃん自身の電話だった。むこうも驚いただろうなあ。その夜、センセイと奥さんがやってきて、うれしなみだ、流してもんな。それで、めでたしめでたしだったんだよ。
だから、どうしてオイラがまた世田谷にいるか、わかっただろう?えっ?わからないのかい?
きいっちゃん、しゃべれるようになったから世田谷に帰らせようって、おとなは相談してたんだ。学校のこともあるしさ。ところがきいっちゃんはずっと鵠沼にいたいって言い出したんだ。
そりゃあそうだよね。いっそこっちへ転校してしまえばいいのに、なんてオイラはおもったんだけどさ、そうしたら、今度はセンセイの奥さんの具合が悪くなっちゃうんだってじいさんが言ってた。
もうわかっただろう? そう、しぶしぶだったけど、きいっちゃん、オイラといっしょだったら、世田谷へ帰るって言ったんだ。オイオイ、なんでまたオイラなんだよ、って思うだろう?
世田谷の家にはジョンの奴もいるのにさ。いくらきいっちゃんの頼みでもさ、ひとの縄張りを荒らしにいくのはいやなもんだよ。オイラは平和主義者なんだからね。
じいさんだって、きいっちゃんとオイラがいっぺんにいなくなったら寂しがるにきまってるじゃないか。まあ、そんな気持ちがつたわったのかどうかわからないけど、センセイがオイラとジョンをトレードしようって言い出したんだ。
まったくなあ、何を思いついてくれるやら。ため息も出るってもんさ。でもまあ、それでじいさんが寂しくないっていうんなら、いいんだけど、オイラはやっぱり鵠沼が恋しいよ。
それでも、ま、きいっちゃんが毎朝元気でオイラに声をかけて学校へ行く姿をみるのは、いい気分だ。まったくきいっちゃんばっかりたいへんな目にあうみたいでさ、かわいそうだよな。樹菜ちゃんが不憫がってそんなこと言ってたな。
「きっと、喜市は器がおおきいんだろうな。いいことも悪いこともどっさりてんこ盛りだ」土門はそんなふうに答えてた。
てことはさ、これからもきいっちゃんには、たいへんなことがいろいろありそうだってことだよね。いつになったらオイラは鵠沼に帰れるんだろうなあ。あーあ。また、ため息でちゃうよ。
あ、また、なよこさんの声がする。
「ラルフちゃーん。そろそろ、お散歩にいきましょうかー」
「はーい」
散歩だってさ。オイラ、いってくるわ。長話になっちまったな。じゃ、またな。
(おしまい)
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️