見出し画像

傷跡

顎先に人差し指を当ててそのまま下へおろしてみる。喉仏を越えてすぐのところ、鎖骨の間の少し上に違和感がある。指先にかすかな盛りあがりを感じる。

鏡で見てみると横一文字に2センチ、その上下に点々と 光沢のあるピンク色をした傷跡がある。顎の手術の時に施された気管切開の跡が 今でもくっきりと残っている。 どうやらケロイドになりやすい体質らしい。
 
こんなに時間がたっているのに、やはり無意識に思い出すことを避けてしまう。特別暑かったあの年の八月の記憶は、へこんだ頬ではなく、その小さな傷跡から立ち上がる。

あの日、あたしが舞い戻った世界は夜だった。 麻酔から覚め、ぼんやり病室の白い天井を眺めていた。

かかりつけの横浜の病院が改築中で、あたしが入院したのは東京のはずれの病院だった。 川向こうはもう埼玉県になるのだと、後から聞いた。

閉じられたカーテンの向こう側で誰かが話している声や足音がだんだん意味のあるものになって耳に届いてくる。どうしたんだろう、あたし、と一瞬、訳がわからなくなる。

そうだった、手術したのだった。顔半分の鈍い痛みと腹部のきしむような痛みが、いやおうなしに現実を思い出させる。 酸素マスクや喉に差しこまれた太い管も奇妙な感覚でそれを教える。

なによりの衝撃は気管が切られていたことだった。 目が覚めたら、あたしは話すことができない人間になっていた。

気管切開の説明を術前に受けていなかった。 それを話してくれる家族はもう帰宅していた。 夜中なのだからしかたがない。ここから横浜はあまりに遠い。

戸惑った。 自分の置かれている状況がなかなか理解できなかった。これからどうなってしまうんだろうという問いばかりが心に満ちた。 

その処置は、十数時間に及んだ手術のなかでの必要な判断だったのだろう。 手術は当初の予想通りにはいかなかった。頬へ移植した腹筋に血液が流れなかった。つまり、失敗だ。腹筋は切り取られ、頰は凹んだままだ。

不測の事態においては、まず、生きているということが最優先だったのだろう。 しかし、そんなことを考えられるようになるには、まだまだ時間が必要だった。

カーテンのむこうの暗がりから看護婦が 入れ替わり立ち替わりベッドわきにやって来てなにやら調べていく。体温、血圧、酸素飽和度とかの数字をメモしている。 熱が出ているらしく暑くてだるい。体中から汗が吹き出して気持ちが悪い。 ナースコールのボタンを握らされる。 


「なにかあったら、押しなさい」

なにかを伝えるための言葉が出ないがわからないの、と胸のなかで毒づく。 とはいえ、このボタンが命綱だ。手からころげおちないようにとしっかり握りしめる。

切開した気管に痰が詰まれば、肺に空気は届かなくなる。 痰をとってもらうためにボタンを押す。 それは命に関わるだろうことなのにやってきた看護婦は「なに? どうしたの?」と問う。 瞳の色だけではわかってもらえない。

指先で喉元を差す。 「ああ、痰ね」とこともなげに言う。 吸引機で吸い出す。 手早さを見れば慣れた作業だとわかるが、その瞬間、傷全体に強い痛みが走る。 「一回、あんたもやられてみるがいい」と瞳で告げる。 


どうせ通じない。

どの看護婦もてきぱきとした動きで迷いがない。「これが術後のいつもの手順なのですよ」と、その白衣の背中に言われているような気がした。あなただけが特別じゃないのよ、と告げているようでもあり、容易に甘えを許さない空気のようでもあった。 

看護婦はキュッキュッと音を立てて部屋を出ていく。その音を心もとない思いで聞いた。

点滴や酸素、そして尿、あたしの体にはたくさんの管がつながれていた。太腿やお腹のなかにまで管を入れられていた。 それはまるで死にかけている人間の蘇生術のようでもあった。

たとえ縛りつけられ身動きできなくても、あたしという人間の入れ物はこの傷ついた体しかない。
こいつをなんとかもたせなければ、私はこの世にいられない。

 それはわかる。

それでも、その窮屈な器のなかで疑問や怒りや不安はとめどなくわいてくる。それを表す数値はどこにもなく、誰にも計りようもなく、看護婦にわかるはずもない。

どうにも出口が見つからず行き場をなくした思いは、苦しいくらいに折り重なって心に満ちた。ここにいるのはまぎれもなく人間であるのだと、だから、痛みもするし、不安にもなるのだと、わかってもらいたいのだ。
 
告げる言葉がないということはこういうことなのだと苛立ちとともに思い知る。

規則正しくたくさんの穴のあいた天井を睨みつけていると唐突に高見順の名が浮かんできた。 学生のころ、付き合っていたひとが、「僕はこういう優しさを持ちたいとねがっている」 と言い添えて「高見順詩集」を手渡してくれた。

地上での短い命を思えば、蝉のうるささも許すことができる、という作者の優しさをさしての言葉だった。

事実ではないのだと、後から知ることになるのだが、その時あたしは、高見順は食道ガンで声を失っていたのだと思いこんでいた。

病んだ身でありながらなお蝉の命の短さに思いを馳せる。天井から「高見順の優しさ」の奥にある凄まじい葛藤が舞い降りてくるように気がした。それは身近な実感として突き上げてくるのだった。

話すことができなかった高見順の耳に その夏の蝉はどう聞こえたのだろうと思いを巡らした。そして、あたしには蝉の声を聞くということすら遠い遠い出来事のように思えてくるのだった。

時がたてば、気管を縫合してあたしも話せるようになるのだが、その夜は思いがけず声をなくし、そんな彼の優しさとは縁遠いところでのたうっていた。呪詛と嘆きのあいだをひとりさまよっていた。

痛い。暑い。苦しい。どうしてわかってくれないの?ひどいよ。助けてよ。誰かなんとかしてよ。 
 
道端でころんだ幼子がしゃくりあげながら言いつのるような頑是ない泣き言が、咽喉もとの小さな傷跡にこっそり封印されている。誰にも告げることができなかった言葉がそこに眠っている。


読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️