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この月

11月は霜月とも言われる。調べてみれば神帰月とか、雪待月とかの異称もある。数字とか順番とかではなく、暮らしの実感に満ちた呼び方はすっとこころに寄り添う。

神無月のあとだから、出雲に行ってた神様が帰ってきてくださる月なのだ、とみんなが納得してたんだろうな。

南の地方では雪は待たないだろうけど、寒さの始まりの予感と心づもりの月だと教えてるようだ。

そして一月は睦月と呼ばれるが、やはり異称もある。そのなかに太郎月がある。一年の最初の月は長男だから太郎というわけだ。

そんなはじまりの月の名を冠したお店があった。

文袋のお客様に連れて行ってもらった。

コロナのだいぶ前に畳まれたと聞いている。店主さんのことなどまるで覚えていないのに、そこで食べたものの美味しさをふっと思い出すことがある。

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都電大塚駅で待ち合わせして早稲田まで都電にのり、駅近くのそのかたの行きつけのお店に連れて行ってもらったのでした。

お店の名前は「太郎月」。その名は一月の別称だそうです。

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厨房に立つのは体育会系の雰囲気のするご兄弟でしたが 、ものすごく声量のあるひとが柔かく出した声という感じの応答が ここちよく耳に届きました。

そのおふたりが忙しく立ち働いて差し出される
お料理はまことに丁寧でした。

丁寧に擦られた黒胡麻のかかったシャキシャキの小松菜お浸し。

やわらかな絹豆腐の揚げ出し。こんなに水切りしなくてよく揚がったなと思うくらい。塩でいただいても美味。

にゅう麺もいいお味。

お酒もいろいろそろっていました。なびかないやさしさのようなものをまとった キュートな奥さんが一升瓶でそろそろと注いでくださる。 

コップのへりから表面張力で盛り上がり 一筋ツツツとしたたり落ちる冷たいお酒。

くいっといくとほわんとして いささか体調が良くなかったけれど、お店の雰囲気とうまいお酒でなんだか元気になって 、もうもうここちよくて、こころの薄皮がはがれていき、素直なこころがふるふるとふるえるそんな一夜でありました。

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たくさんの思い出の中には「今はもうない」ものがたくさんある。今はもういないひとも。

このお店に連れて行ってくださった方は存命だが、次第に距離が離れてしまい、今に至る。

老いて感じることは、これはゼロに向かう旅だな、ってこと。

そこで、ゼロからはじまり結局ゼロに向かうのか、と虚しくなるよりは、どれだけ豊かな時間をすごせるかのゲームだと思えば、それはそれで楽しめると思う。

ゲームオーバーはいつ来るかわからない。いきなり電源が切れてしまうかもしれない。

無理することはないけれど、思い立ったら吉日❗️で動く。やがて動けなくなるんだから。

そして、自己満足かもしれないが、こんなふうに過ごしてきた時間を愛おしむことも、あり‼️だと思う。

いい日いい夜を重ねよう。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️