聞き耳ダンボ
一人で入った店の隣に座った男女二人連れがなんだか別れ話をしているようだった。
いや最初から別れ話とわかったのではない。
そこは蕎麦屋だったのだ。そんな話を誰も予想しない。
しかもそこは巣鴨の蕎麦屋だった。
ちらと見た感じでは65歳は越えているようなご婦人とそれよりちょっと若いように見える背広姿の男性のふたりだ。
ふたりはもう食べ終えたらしい。飲んだビールのコップが二つ並んでいる。
こちらが運ばれてきた鍋焼きうどんを啜っていると女性が「もう好きじゃないってことなのね」とか言うのが聞こえた。
ううーん。そ、そういう関係なの?ていうか、蕎麦屋でそんなこと言うの?と思いながら鍋焼きのかまぼこをかじる。
「そんなふうに言ってないだろ」と男性。テノールの案外若い声。
でもそういう関係なのね。ふたりでとげ抜き地蔵をおまいりに来てもとげは抜けなかったのね。
「でもそうなんでしょ」と低い声。ああ、そんなことを口をするのは辛いですね。
「いや、いろいろこっちもあるんだよ」横向いて答えたような声。
そりゃいろいろあるでしょうよ。いろいろあったからこうなってしまったのでしょうよ。
「あーあ、いっしょに○○にも言ったのに」
「もういいじゃないか。行くぞ」
男性が先に立ち、女性が伝票を持つ。
女性がわたしのそばを通る時に「ごめんなさいね」と声をかけた。ふっと目を上げると化粧の下の頬のシミが濃く見えた。
鍋焼きの半熟卵を食べながらふたりの後姿を見送った。
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