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黒の深淵 vol.3 「五彩を放つ黒」◆上田 みゆき(墨絵アーティスト)

 私たちがふだん手にすることの多いカタログなどの印刷物は、通常、黒・青・赤・黄の4色のインクで印刷されている。
 黒1色だけでは再現できないしっとりとした黒に仕上げたいときには、黒に他の3色を加えて印刷することがある。リッチブラックとよばれる、豊かでこくのある黒だ。
 無彩色とよばれる黒。しかし、すべての色を含みながら、すべての色を超越した深みのある黒には、見るものを惹きつける不思議な力がある。
 独自の表現世界に挑み続ける作家にとっての「黒」を追う連載企画。第三弾の今回は、福井在住の墨絵アーティストに話を聞いた。

取材・文/岡崎素子

最近のコラージュ作品「リ・クリエイティブseries」の一つ

上田 みゆき(うえだ みゆき)
福井県生まれ。幼少時代より京都で過ごす。2008年、クリエイティビティ・アニュアル・アワード(U.S.A.) プラチナ賞(カレンダー部門/Arjowiggins Creative Papersと共同制作)受賞。越前市在住。

 中国に「墨は五彩を兼ねる」という言葉がある。語源には諸説あるものの、墨はその濃淡だけで、ありとあらゆるものを描きだす豊かな表現力を備えていることを意味する。それを証明するかのように、バブル経済がピークを迎えた1980年代の消費文化を、おおらかな筆さばきで彩った墨絵アーティストがいた。個性的なストロークの軌跡を追った。

日本ってカッコいい!

―― 上田さんが墨絵をはじめたきっかけを教えてください。

 父が絵を描くことが好きな人だったんです。その影響で、いつしか私も当然のように絵を描くようになっていて、小学2年生の頃には油絵を習いはじめていました。
 父の好みは、もっぱら禅画や屏風に描かれた水墨画だったんですが、子どもの頃の私には、そういうものは古くさいとしか思えなくて、好きにはなれませんでした。

 成長するにしたがって、アンディ・ウォーホルなどのポップ・カルチャーに惹かれていくようになりました。特にデイヴィッド・ホックニーが大好きでした。1960年代から70年代にかけて流行したアートやロックに、強い刺激を受けながら育ちました。

 美術学校を出るのと同時に東京へ移り住んで、アルバイトをしながら、アパレル系の広告などに、原色を使ったポップなイラスレーションを提供するようになりました。

 ところが次第に、〝東京〟そのものが楽しくなっちゃって。まるで熱にうかされたように遊びまくりました。不規則な生活がたたり、身も心も疲れていく一方で、なんとか立ち直らなきゃと思ったときには、それまで描いていたような絵に、なぜかまったく興味が持てなくなっていたんです。

 ふと思い立って、それまで洋食一辺倒だった食生活を、和食に切り替えてみたんです。子どもの頃に食べていたような献立を、自分でつくるようになりました。なんだか実家に帰ったような気持ちがして、ほっとしたのを覚えています。

 この頃から、次第に日本の自然や人物などに、視線が向くようになっていったんです。そういうものを描くのに、なにかいい画材はないかと探すようになりました。そんなときに見つけたのが、筆ペンだったんです。
 筆ペンで描くモノクロームの世界がとても新鮮に感じられて、昔は嫌いだった墨絵が、急におしゃれで魅力的なものに見えてきて。
「墨っていいな。日本ってカッコいい!」 そう思うようになりました。

越前市にある上田氏のギャラリーの一部

本当の豊さはなんなのか

―― 上田さんは、バブル時代の消費者の心をつかみました。そのことについてご自身ではどのように感じていたのでしょうか?

 私が墨絵を描きはじめてから数年後だったと思います。
 日本の伝統や文化を、今の時代の感性でとらえ直そうといった流れが起きはじめたんです。
 漆や手すきの和紙などに注目が集まるようになり、若者にも人気がありました。私はたまたま、その時流にうまく乗ったんだと思います。

 はじめは広告制作を中心に活動していたんですが、あっという間にたくさんのお仕事をいただくようになりました。屏風や壁画、陶器といったものから店舗の装飾にいたるまで、毎日、違う仕事、あたらしいことをしていたように思います。時間に追われて必死でしたが、とても充実していました。

 当時は、一つの広告をつくるのにも、今では考えられない多額の予算をかけていました。広告だけじゃなくて、みんなが惜しげもなく高いブランドものを買ったり、お金を使っていた時代でしたよね。
 今はあまりお金を使わない時代になりました。最初からそうだったら気づかなかったこともあったと思うんですけど、二つの極端な時代を経験したおかげで、本当の豊かさはなんなのかを意識することができるようになった気がしています。

最近のコラージュ作品「リ・クリエイティブseries」の一つ

筆が走るまま、その動きに身をまかせる

―― 上田さんは大胆なライブパフォーマンスでも知られています。その着想はどこから得られたのでしょう?

 墨絵をはじめてから、すっかり日本文化に興味を持つようになって、室町時代や江戸時代の文献を読みあさるようになりました。
 ある日、葛飾北斎が120畳の大きさの紙に、大勢の観衆の前で、巨大な達磨だるまの絵を描きあげたという話を読んだんです。すごいなぁと思って、自分も真似してみたくなったんです。

 1987年に、京都の陶磁器のブランドのイベントでライブパフォーマンスをやったのがはじまりでした。
 それ以来、大手百貨店のお正月のウィンドウディスプレイの中で演じたり、自分の個展の会場などで行ったりするようになりました。

 私はいつも、音楽に合わせて踊りながら絵を描くんですが、やってみたらとても気持ちがいいんですよね。意外にも身体性がけっこう高いことにも気づいて、これは自分でもうれしい発見でした。

 もともと私は絵を描くとき、ある程度の構図は決めておきますが、下描きはしません。描きだしたら一気に、筆が走るまま、その動きに身をまかせるようにしているんです。
 意識して描くのではなくて、筆に気持ちを委ねるというか、勝手に手が動いていく感じを大切にしています。 
 逆にあまり考えたらうまくいかないんです。実際に描きだしたら、思っていたとおりにはいかないことも多いですしね。
 ですからライブパフォーマンスは、私の絵にはもってこいのものだったんです。

体が自由なストロークを求めている

―― 上田さんにとって墨絵とはどんなものなのでしょう?

 墨絵をひと言で表すとすれば、「間合い」だと思います。余白の空気感だったり筆が持つ力だったり。そこに自分がどう向き合うか。

 墨絵は、紙の質や墨などによっても筆の走り方がまったく変わってきます。満足できる絵が一度で描けるときもありますが、そうでないときもある。描くたびに、その都度違うものになります。そうした偶然性が面白くて続けてきた気がします。

 私の墨絵の描き方は自己流です。線の引き方をはじめ、にじみやぼかしなどのテクニックは、雪舟などの画集をお手本に何度も練習を重ねる中で身につけたものです。
 仙厓せんがいやアンリ・マティスなどの画風からも影響を受けました。特に仙厓のユーモアにあふれたゆるやかな線の描き方には、人生を含めた多くのものを学ばせてもらったような気がしています。

 筆がよく滑る。いい具合ににじむ。そういうことがとても気持ちがいいんです。自分の体が自由なストロークを求めていると感じることがあります。
筆をコントロールしようとするほどうまくいきません。

 かすれも、勢いも、弾けるような感じも、すべてストロークで決まります。私の墨絵の表現においては、ストロークが一番大きな意味を持っているかもしれません。これは多色ではなく、白い紙に黒で描く、墨絵ならではの醍醐味だいごみだと思います。

 線が太かったり細かったり、かすれていたり濃かったり。墨絵はそうした変化が味わい深くて楽しいんです。人の一生の起伏に相通じるものがあるかもしれませんね。

 最近は主に、コラージュの制作をしています。
 今まで描いてきた膨大な作品を俯瞰しながら、それを切り刻んで、かしたい部分をもう一度組み合わせるというものです。
 これまでにも、今までの人生で吸収してきたものが、筆の先に表れるんだなと感じたことが何度かありました。
 過去の自分を一度解体して、再構築してみるのも悪くない。そんな気持ちでやっています。

上田みゆきオフィシャルサイト


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