見出し画像

暮らしと稼ぎと娯楽

私たちはこの3つを色々組み合わせ
繰り返しながらこの世界を日々生きています

私は1年前、街で生活していた頃
これらをある意味切り替えて
何かを優先すれば
何かを妥協しなければならないといった感覚でした

しかし今の里山での生活は
3つがグラデーションのように混ざり合い
それぞれが同時に存在する、なんてことがよくあります

それはどういうことか?

ひとつの例が夏暑い中での田草とり
無農薬無化学肥料の米作りには必須な作業ですが

暮らしの面では自分たちが日々食べる米の確保

稼ぎの面では収入源となる米の収量や質の向上

そして私にとっての娯楽は
生き物たちの営みや生き様を
間近でじっくり観察、撮影できること

おかげでなかなか作業が進まないことがしばしば…

これが暮らしであり稼ぎであり娯楽
まさにグラデーション です

直接的な稼ぎ要素は薄まりますが、薪割も似ています

ガスがない里山では
薪が調理、お風呂、暖房の燃料です

特に冬は暖房目的で
トロトロ焚く時間が増えるので薪の消費量が増加

つまり暮らしのための薪割時間も増えるということですが
私にとっては願ってもない娯楽時間

私が薪割を初体験したのは大学1年生
場所はもちろんここ里山でした

薪割に魅了されてから7年目

1年前までは娯楽にしかならなかった薪割が
今では暮らしに必要不可欠な
日常の仕事として存在しています

こんな幸せなことはありません

薪割の頻度や時間が増えた分
(自分で言ってしまいますが笑)
確実に薪割技術は洗練されてきています

まさに里山暮らしの賜物です

最後に…大事なことを忘れていました

里山で生きるということは
私たち人の暮らし、稼ぎ、娯楽だけでなく
人ならざる他の生き物たちの生命の営み
生きる居場所をも同時に維持しているのです

人と人の営みもまた自然の一部
今年はこのことを
心の底から自分事として実感する毎日でした

こうして考えてみると
里山での農的暮らしはある意味
"効率が良い"と言えるのかもしれません

日々 里山で
他の生き物たちと共に 彼らと対等に
自分自身も生き物のひとつとして
心に身体に素直に生きることで

結果的に
自分自身にはもちろんのこと
共に暮らし働く仲間や
同じコミュニティに身を置く人たちに
そして種をも超えて他の生き物たちにも
好影響、好循環を生み出すことができる

かつての日本の農村ではきっと
こんな暮らしがあちこちに
ごくごく当たり前にされてきていたけれど

ある時を堺に
世界の価値観や豊かさの指標が変わり

農村の暮らしが遅れている とか
非効率だ、稼ぎが足りない とか
同じ時間働くのであればより大きなお金を稼げる方が良い とか

いとも簡単に捨てられ 忘れ去られてしまった
本当の豊かさ、幸せ、何があっても大丈夫という安心感

きっと今の世界(や主流となっている価値観)では
1番後ろを歩いているかもしれないけれど

世界の"当たり前"や"普通"がひっくり返った時、揺らいだ時
180°向きが変われば先頭を歩くことになるんじゃないか

そんな世界がもう近くに来ているような気がしてなりません

かつての暮らし、農的暮らしが持っている
本当の強さ、揺るがなさ、安心感
そして豊かさ

私はこの本質的な生きる力
自給力を人生かけて磨き上げ、深めていきたい

そのことを楽しみ、喜べる人たちと共に生きていきたい

1年前の初心を思い出しつつ
この1年間を咀嚼しつつ
そう心に誓う、誓い直す年末です

さて…
あと数日で新年を迎えます
里山暮らし2年目となる年

今の自分を生きることを楽しもう

2023.12.28  ※アーカイブ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?