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私の新たなAnother Sky。

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7000文字の闘病記録

夢の数だけ空がある。
私の新たなAnother Skyは、築地・銀座。

タイトルの写真は、今年の5月に初めて国立がん研究センター中央病院に行った帰りに、母親に撮ってもらった写真。場所は、築地市場跡地のすぐ側にある築地本願寺。

この半年間、今までの人生で最も複雑な思いを抱えて、国立がん研究センター中央病院へ通った。
その帰り道に、築地・銀座の街並みを歩いた。

ここが私の新たなAnother Sky。


1.断崖絶壁で風にさらされた

今年5月6日、大学の紹介で、千葉県済生会習志野病院に、健康診断の再検査に行った。その結果、「翌日5月7日に両親同伴で来て欲しい」と言われた。健康診断の再検査の結果、胸に大きな腫瘍がみつかったのだ。

高校3年の時にこの病院で、怪我で膝の手術を受けた。それ以来、定期的に通院していた。市中病院の中ではかなり大きい病院だが、この病院を受診することは慣れていた。しかし、5月6日に医師から説明を受けた時には、定期検査とは異なり強い恐怖を感じた。

翌日、平日にも関わらず両親同伴のもと再び病院に行った。前日に感じた「嫌な予感」は当たった。案の定、医師から「がんの可能性が高い」と言われた。「3時間待ちの3分診療」と揶揄される日本の病院で、初めて1時間半も診察室で医師と話した。

私が健康診断で見つかった腫瘍は、非常に稀な腫瘍であり、「20代前後であれば悪性の率がかなり高く、若い故に転移や進行もはやく予後が悪い」「悪性腫瘍(がん)であれば、抗がん剤、放射線治療から始めることになる。」「抗がん剤は、1セット3週間の4コースで行う。若年層の抗がん剤治療は、強い抗がん剤を打つ。その副作用も強く、大学は休学する必要もあるかもしれない。」と言われた。

また「がんであれば、10万人に数人いるか程度の罹患率の低い病気であり、希少がんに分類される為、済生会習志野病院では、治療が難しく、千葉大学医学部附属病院や国立がん研究センターに紹介状を書く」とも言われた。
希少がんは、患者数が少ない故に、標準治療が確立されておらず、その治療薬も充実していないものが多い。つまりその予後もよくない。

病気の名前について、インターネットで調べると、予測変換で出てくるのは、「生存率」であり、よく調べると、がんの種類によっては、「5年生存率50%、10年生存率25%」となっていた。
あまりにも突然であまりにも大きな衝撃だった。
まさに、断崖絶壁で風にさらされた気分だった。

その翌週、精密検査を受けた。(腫瘍マーカー・エコー検査・ペット検査)
その結果がさらに翌週に出た。精密検査によると、「腫瘍マーカー・エコー検査・PET検査」で見る限りは、「少なくともがんの転移はなく、腫瘍の大部分が良性の可能性が高く、がん細胞は一部可能性あり」ということだった。またその翌週、築地にある国立がん研究センター中央病院を紹介してもらった。国立がん研究センター中央病院は、2014年6月から「希少がんセンター」という希少がん専門の施設を発足させたばかりである。

下に、病院の受診結果票を添付した。
「判定」のとこには、「要治療 学生生活および就労に支障あり」にチェックがつけれた。
正直、だいぶショックだった。


2.国立がん研究センター中央病院
国立がん研究センターは、がん研究会有明病院と並ぶ、がん治療において、日本を代表する病院である。また、米国週刊誌「Newsweek」による世界基準の優良な医療機関を評価したランキングにおいても、腫瘍学部門で日本1位、世界で16位であった。 


3.「池江璃花子さんは完治じゃなくて寛解だよね。」
5月17日、初めて築地にある国立がん研究センター中央病院に行った。ここでも、初めは「レントゲンの画像を見る限り、がんの可能性があり、抗がん剤治療を検討」と言われた。また、「君と同い年で急性リンパ性白血病(血液のがん)になった池江璃花子さんは、まだ完治したわけじゃなくて寛解だよね。彼女はいつ再発してもおかしくない。でも君はまだ完治を目指せる。」と言われた。

その後、国立がん研究センター中央病院で、済生会習志野病院や外部の医療施設でやった精密検査をやり直した。国立がん研究センター中央病院は、自らの病院での検査結果しか信頼しないらしい。その結果、やはり、「腫瘍の大部分が良性の可能性が高い」と言ってもらえた。しかし、一部悪性である可能性は否定できないために、「腫瘍を摘出し、病理検査の結果次第では、がん細胞を完全になくす為に抗がん剤治療を行う」と言われた。また、仮に良性の腫瘍であっても「将来、悪性転化する可能性や、他の臓器に浸潤、圧迫する可能性がある為に、切除の手術は避けられない」とも言われた。しかし、当初からすれば、もはや手術などなんてことはない。とにかく悪性の腫瘍ではなく、良性の腫瘍で、切除して終わるならこれ以上のことはない、と思っていた。

病気の診断において、「各種検査結果から、疫学的客観的な評価をすることはできても、確定的なことは手術して病理検査してみたいとわからない」と言う現実を、身をもって知った。つまり、手術後の病理検査によらなければ、確定診断はつかないということだ。

4.心臓の手術
そしてようやく、8/31に国立がん研究センター中央病院で手術を受けた。私が受けた手術は、腫瘍摘出に伴う「胸骨正中切開術」である。
いわゆる心臓の手術だ。

「胸骨とは,胸の前側・真ん中にある縦長の大きな板状骨です。肋骨(あばら骨)・背骨とつながり、心臓や肺など命に関わる重要な臓器を骨の鎧(骨性胸郭といいます)で守っています。心臓手術を行うには、この鎧の中に入らなければなりません。一般的には胸骨を完全に縦割りして(胸骨正中切開)、これを万力のような器械(開胸器)で大きく広げて心臓の全てがよく見える状態で安全に手術を行います。胸の真ん中に20から25cmほどの大きな傷跡が残ります。」東邦大学医療センターより引用

しかし、国立がん研究センター中央病院では、
同じ胸骨正中切開でも、より低侵襲な手術を受けることができた。それは、標準的な全胸骨正中切開を行わない低侵襲心臓手術(MICS)である。
手術の詳細について、別の機会にまとめたい。

手術を受けることが決まって以来、正直、不安でいっぱいだった。その不安を少しでも和らげる為に、私の病気の詳細やその予後、私の受ける予定の手術の術式や術後の痛み、デメリットについて、調べ尽くした。私の受ける手術の動画までもみた。ちなみに、YouTubeで調べると、手術の動画まで見ることができる。初めはとてもグロくて見れなかったが、慣れてくるとちゃんと見れた。笑

しかし、そんな不安は手術を受けるまでだった。
手術直後、主治医と担当医から「全て予定通りに終わった」と説明を受けた。

手術が終われば、後は回復するだけでネガティブな要素はない、と感じることができた。手術直後は、覚悟はしていたものの、あまりにも大きな手術跡に目を当てられなかった。
20歳にして、胸に一生消えることのない20センチほどの大きな手術跡ができてしまった。
この先、服を脱ぐたびに必ず人に聞かれるんだろうと思う。それでも、背に腹は変えられなかった。手術を受けないなんて選択肢はあり得ないし、全く後悔はない。とりあえず、ゴールデンウィーク明けから始まった、手術という不安から解放された。

そんなことを、術後の激痛の中、ベッドの上で天井を見上げながら考えていた。

5.5ヶ月間の不安からの解放
そして、9月27日に病理検査の結果が出た。
完全な「良性の腫瘍」であった。手術で摘出した11×9×3センチの大きな腫瘍の写真を見せてもらった。理科の実験のように、物体を分解して、特殊な液体に浸した結果、すべての良性の物質であったようだ。良性の腫瘍であれば、基本的に切除して終わりである。つまりこれにて完治したことになる。

5ヶ月間の大きな不安から解放された。
この5ヶ月間、波はあったものの20年間の人生で最も深く落ちたと思う。

私の両親や親戚は、「本当にがんでなくよかった、幸運だね。」と言われる。
しかし、「私はたまたま良性腫瘍で、幸運・ラッキーだった」とは、とても思えない。なぜなら、先にも述べたように、実際に私と同じ病状で20代前後の患者は「悪性腫瘍」の割合が高いからだ。つまり、偶然、確率論的に「私はがんでなかった」だけである。しかし一方で、私と同じ状況下で「がんを宣告」される人が存在するのだ。
私が疑われていた悪性腫瘍の中でも、一部の種類は、抗がん剤が効かず、予後が非常に悪いことも何度も聞かされていた。それは、辛い治療を乗り越えてもなお、早世しなければならない人が存在することを意味する。

実際に通院入院中には、同じ病棟に、左足のない少年や右腕のない少女、膝裏に大きな手術後があり髪の毛の抜けた少女を見かけた。また、抗がん剤治療を受けている人の多くは、その強い副作用から、体のさまざまな部分に強い影響が及ぶ。
自分よりも年齢の下の人達が自分以上に辛い治療を受けている姿を見ると、涙を堪えることができなかった。

そのことを思うと、どうしても心から素直に喜べない。むしろ、私が手放しに喜ぶことは、今この瞬間にも苦しいがん治療を受けている人に失礼だと思った。
私はがんの診断はされていない。実際のがんの告知をされた彼ら彼女らの気持ちは全くわからない、わかった気になっても失礼だと思う。当事者の気持ちは当事者でなければ絶対にわからない、と私は思う。

今回たまたま、私の最も望まない状況でなかっただけだ。(あえてわかりづらい表現しました。)
一方で、今もなお、自らの病気に打ち勝つために、過酷な治療をしている人がいる。それは普段健康で生活している分には目には映らず、気づくことができない。
また、日本の医療は万能ではない。あまり社会を知らない井の中の蛙な私は、なんとなく「努力すれば何とかなる」と思っていた。しかし、現実はそんなに甘くない。どんなに過酷な治療を続けても助からない命がある。
この5ヶ月間で、そんな厳しい現実と悲しい事実を知った。何が苦しいって、病気の多くはその本人に罪はないことだ。もちろん生活習慣等々、責任の帰属が本人にある側面もある。しかし、若くして罹患する病気の大部分は、ある意味運に近い形で突然訪れる。
私も病気が発覚した当初、「なんで私が?」とい気持ちでいっぱいだった。よりによって私が病気になるなんて、絶対におかしいと思っていた。
もし仮に私が「予後の悪いがんである。」と宣告されていたら、がんと闘う前に気持ちが負けていた。負けていたと言うよりも崩壊していた。

その意味で、疎かに生きてはいけないと思う。今ある生活は、当たり前のものではない。病気を抱えるていることがイコールで不幸ではないと思うが、今の健康な生活が、如何に幸せなものか自覚しなければならないと思う。


6.有る難で有難い。って思えるだけ幸せ
1番初めに千葉県済生会習志野病院で、がんの可能性とその予後について話された時に「こんなんで死なせないから大丈夫。」と、まっすぐ目を向いて言われた。その時には、嘘でもポジティブな情報がないと、そもそも、検査してる間に気持ちが崩壊していた。

この5ヶ月で、千葉県済生会習志野病院、国立がん研究センター中央病院、日本大学板橋病院の医師、知り合いの医師と、多くの医師に意見を伺った。
大学保健室の医師(=日大板橋病院)は、健康診断の結果から保健室に呼んでくれて、病状から知り合いの医師(=千葉大病院、亀田総合病院、杏雲堂病院)に電話かけ、相談してくれた。
授業を履修していたある大学の先生は、通院治療が理由で欠席し、その証明書を提出したら、自身が甲状腺がんを患い、手術では「声を失う」可能性があり非常に悩んだことを明かしてくれた。その先生は、「気を紛らわせる為に夜に散歩することで、落ち着くことができた」と話してくれた。

最も心配してくれたの両親である。
遅いかもしれないが、20歳にして初めて、心の底から、そのありがたさを感じた。
最大の親孝行の1つは、両親よりも長生きすることだと思った。(両親より早く亡くなったからと言って親不孝だとは思わないが)
今まで20年間ずっと育ててもらって、今回は気が狂いそうになる程心配してくれた。今まで大切にしてもらった以上に、今度は私が父母を大切にしたい。
家族には、本当に言葉には言い表せないほど感謝しています。

また、親身に相談に乗ってくれた人達にも感謝でいっぱいです。本当にありがとうございました


月並みな言い方だか、以前に比べ、少し人の痛みがわかり、少し人に優しくなれた気がします。

今は「この思いを一生忘れない」と思っているが、単純な私は必ず忘れてしまう。そこで、消えることのない大きな手術跡と一緒に、ここに残そうと思いました。

この5ヶ月間の出来事全てが、20年間生きてきて最も衝撃的な出来事でした。結果的に大袈裟でしたが、自らの「死」と向き合う中で、色んな呪縛から解放された気がします。

人生100年時代、あと80年間生きるつもりで1日1日を大切に過ごします。

あまり浅い言葉にしたくないけど、最近読んだ本だか記事だかに載ってた、お気に入りの言葉を引用させてください。

傷の痛みを知らない人が、人の傷跡を笑う。
人の傷を笑うのは、傷の痛みを感じたことのないやつだ。


「ロミオとジュリエット」ウィリアム・シェイクスピア(イギリスの劇作家1564-1616)

少なくとも、人の傷跡を笑うことない、人の痛みのわかる大人になりたい。

私にとって築地銀座とは、そんなことを学ばせてくれた街です。

ここが私のAnother Sky in 築地銀座でした。

↑病院からの景色。

※とりとめのない文章で、おかしなとこも沢山あると思いますが、ここまで読んでいただきありがとうございます。もし気になることあったら、なんでも聞いてくだい。完治以前は、あまり話したくなかったけど、今ならなんでも話せます。笑
感想・ご意見お待ちしてます。

私は本当に元気です。大丈夫。

             2021.10.1




ちなみにちょうど半年前に、大学保健室から健康診断で再検査になったことを伝えられた時に、友達にインスタのストーリーにあげられました。
大した問題なく再検査が終わり、「重症だったらどうすんねん」って突っ込もうとスクショしといたけど、あんまおもんない結果になってしまった。。申し訳ない。。「身体に問題あり」じゃねーよ。笑



最後に4点補足させてください。

・アルバイトについて
2年弱アルバイトしていたZARAは、病欠が長引くことを理由に解雇されました。1年契約の学生アルバイト契約でしたが、再契約に際し、「自己都合による休職が続く中で、再契約をすることができない」ということでした。7月末で辞め、8月以降に友達と会う時にはやめたことは話していませんでした。隠していたわけではないですが、話せば確実に場が白けると思い、話していませんでした。
現在無職です。笑

・本文中「がん」について
悪性新生物(がん)は、皆さんご存知の通り、様々な種類があります。日本人の罹患率の高いがんは、大腸がん・胃がん・肺がんです。(国立がん研究センターがん情報サービスより引用)本文中には、どの種類のがんが疑われていたかはあえて伏せました。ある程度医療に精通している人なら、術式等から推測もつくと思いますが。勘違いしてほしくないのは、「がん」は、一つの病気ではなく、非常に広義であるということです。これもご存知の通り、がんの種類によって、全く治療やその予後が異なります。

・謝罪
私は手術を通して完治したと思われます。それ故に、こんな偉そうなことをつらつらと、呑気に書けるのかもしれないです。実際病気が見つかってすぐには、誰にも言いたくなかったし、大学やバイト先にはどうすれば悟られないか、隠せるか、と考えていました。仮に、もっと重症でありすぐには治らない病状や、寛解を目指し、完治を目指せない病期、または慢性疾患であればこんなことを公表する気にはならなかったと思います。その意味で、私自身はただの良性腫瘍で完治したからふんぞり返っているのかもしれません。もし、不快に感じた人がいたら、本当に申し訳ないです。

・個人の体験談は最もレベルの低い医療情報
私のこの体験談を読んでも、何も参考になることはないと思います。しかし、一応一言付け足しさせてください。私はこの半年間で、多くの病と戦う患者さんの本・記事・ブログを読んできました。そして、いくつかの医療の専門家(医師・研究者)の著書も読みました。その中で学んだことの一つは、「個人の体験談は、数ある医学情報の中で最低レベルの情報である。」ということです。医療情報として有益なものは、個人の体験談のような主観的な評価ではなく、様々な公的機関や信頼に足る情報機関の発する、客観的な評価や科学的根拠に基づいた情報です。私のような医療に関して素養のない人間は、時として誤った医療情報に騙されてしまいます。仮に、にんじんジュースを飲んでがんが消えた人がいても、同じことを期待して、にんじんジュースを飲むべきではないと思います。(ニセ医学であって有害でない範囲であれば、許容範囲かもしれませんが。)また、近藤誠氏を代表するような「がん放置療法」などの、代替療法・民間療法は、非科学的なものが多く、保険適用の標準治療を受けたケースに比べ、著しく治療成績が悪いものもあります。このニセ医学、アンチサイエンス的な医療情報に流されてしまう陰謀論的な思想の蔓延は、患者さんの望まない死を引き起こしてしまいます。ニセ医学、科学的根拠に基づかない誤った医療情報には、気をつけてください。こういうことって冷静な時に知っておかないと、いざという時には藁にもすがる思いで騙されてしまいます。私は、全く相手にしませんでしたが、これに近い話を人づてに紹介されました。その話曰く、お祈りをしてもらうと病気が消えるそうです。お祈りで病気が治れば、誰も苦労しません。(宗教は否定していません。) 
無知を伴う善意ほど怖いものはないと思います。

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