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最近のあれこれ


早歩きの定番

何年も歩き慣れたこの道は、
いつの間にか早歩きの定番になっている。

自宅と駅を結ぶこの一本道。
気づけば毎日時間に遅れないように、
ひたすらに足を動かしている。
この街に引っ越してきて、気づけば10年も経っていたらしい。
向かう先は変わってもこの道だけは変わらず通り続けている。

けれど、私は朝に通るこの道があまり好きじゃない。

耳を澄ますと後ろからいくつもの足音が無数に自分に迫っている感じがするから。
私よりもずっと早歩きで力強く地面を蹴る沢山の音。

その音を聞いて自然と少し早く足を動かすけど、きっと後少しで抜かれる。
ような感覚にずっと焦らされている感じがする。

別に競争してるわけじゃないし、
時間に追われているわけじゃないけど、
なぜか焦ってしまう。

道を変えればひと段落なんだが、
ちょっとめんどくさい。


だから今日も満足はしてないけど、
この道を通って駅に向かう。

あれこれ。


しなくていいをやる仕事

最近読んでいた本にこんなことが書かれていた。

「しなくていい、考えなくていいことを決めておくとラクになる」

この言葉が数日間、頭の中でつまってて、
ぼーっとこの違和感を探ってみた。


結果、
私はこの言葉にあんまり納得してなかった。
それはたぶん、「しなくていい、考えなくていい」を決めている今の自分に満足してなかったからだと思う。

最近気づいたのだけど、わたしはあんまり怒るのが得意じゃない。得意じゃないというか、めんどくさいと思ってる。
嫌だなーとか、なんでだろうとか、思うことは1日の中でいくつかあって、漠然と心がモヤモヤする感覚になる瞬間もある。

けれど、自分の機嫌を自分でとることになれてしまって、何も言わず「大丈夫」の言葉でその状況をおさらばして、ヘラヘラして、後からこっそり傷ついてしまう。

納得してないし、大丈夫じゃないけど
状況が混雑する方が疲れる。
だから怒らない、考えない、伝えない、をしているわたしに満足はしてない。


なんでもかんでも口に出すと人を傷つける
口に出さなすぎは人を心配させる

日常生活では、
境目がいまだによく分からないし、
いい塩梅がみつかってない。



自分のモヤモヤも言葉にできないのに、
毎週金曜日にはインターンとして通っている小学校で「怒らないといけない」瞬間が襲ってくる。
友達を傷つける行動や言葉を見つけたら、自分ごととして子供たちにいけないよと訴えないといけない。

そう、これが凄く難しい。
学校では、子ども1人1人の怒りやモヤモヤを、上手に間に入って届けたり、修復したり、治したりする役目を大人はしないといけない。

怒るに関しては、
先生はしなくていいを決められない。
無条件に、する。「やらなきゃいけない」

(ベテラン先生のさっきまでニコニコしてたのに、一瞬にして鬼になる器用さは長年の経験の成果です)

学校ではいつも、大人と子どもという双方の極端な関係があって、先生という職業は子どもを前にすると正しいことを導かないといけない。

大人と大人の関係の中ではしなくていいが認められるけど、
子どもを前にするとそうはいかない。
自分がラクになるより、子ども達のことを思って怒る。だから、ラクになるためにやらないが通用しない。

先生って難しい。
あれこれ。


betterな1日

毎日は選択の連続だ。

二択を突きつけられた時は誰だって自分にとっての色んな意味を考えて比べながらbetterを選んでいる。
(たまに違うこともあるけどね。

ちょっとこっちの方が楽そうだからbetter
こっちよりワクワクするからbetter
こっちは近道だからbetter
直感で美味しそうだからbetter

だから、人生はいつも選択に迫られている。

ついこの前、お友達に招待されて
豊島晋作さんの講演会に行った。
テレ東のニュースキャスターであり、世界中を飛び回る報道局報道記者であり、YouTubeや番組を編集するディレクターでもある。
「伝える」「届ける」を武器にしてる人の言葉はなんか軽さと重みの両方あった。

そこで聞いて、すごく印象的だったのが
「人間は”する”か”考える”しかできない」

たしかに、人間の行動を極端に表すならこの2つ。この言葉を聞いた時、なんか漠然と人間って単純だなと思ったし、ちょっと人生を考えすぎたな自分と思った。

2つのことしか究極できないのに、
どうにかしてラクに生きようとしてしまう。

物事をbetterばかりに分割させて、ミクロに1つ1つ考えてしまうけど、たまにはマクロにbestを考えてもいいのかも。


たまには、大胆に生きてみよう。
1日の感想が「まーいっか、楽しかったし」で終わらせてしまうようなそんな日が欲しい。

本気で自分のbestな日に出会えるのは
たぶん自分が人生をやり切った時なんだと思う。

わたしはまだ20歳だから、
たぶん究極のbestの日にはまだまだ程遠い。

でも、bestな最後の日を最高な日にするために、betterな1日を今日も笑って大好きな人と過ごしてたいなーと思ってる。

あれこれ。



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