「情熱が測定できればいいのに」

君はそう言うと、せっかく上手く描けたカラシニコフ氏の肖像画を破り捨ててしまった。

「どうしたの?上手く描けていたのに」
僕の言葉を遮るように、
「カラシニコフ氏の顔、見たことあるの?」
と訊かれてしまった。
無い。ある訳がない。カラシニコフ氏の顔なんて、見たことある日本人が何人いるだろうか。数えてみる。貿易商の叔父さん、彼はカラシニコフ氏をマブダチと言っていた。はい、一人。B組の岡原さんは先週カラシニコフ氏と会ったと言っていた。二人。それと、ALTのアルシャヴィン先生はカラシニコフ氏と高校の同級生だと言っていた。三人。いや、アルシャヴィン先生は日本人じゃないか。じゃあ、僕の知る限り、カラシニコフ氏の顔を見たことがある日本人は二人ってことになる。
「二人」
と君に自信満々に声を投げつけた。
君は
「何が?」
だって。そりゃそうだ。「カラシニコフ氏の顔を見たことある日本人の数」の話は僕の頭の中でだけ巡っていたことだから。君の困惑した表情には納得がいくし、同情もする。僕は思っていることが時々口に出てしまう。
「あ、いや、何でもない」
ウチダザリガニがカミツキガメを見つけて、岩の隙間に引っ込んでいくみたいに、僕は大人しく引き下がった。なんでウチダザリガニを喩えに使ったのか。北米のザリガニのくせに「ウチダ」を名乗っているからだ。
「ま、内田っていう学者に因んで付けられたんだけどね」
しまった。また声に出ていた。
「ふうん」
君も僕の癖には慣れている。だから、ほとんどの場合はこのように綺麗にいなしてくれる。先ほどの例は、会話の中で起きたタイプだったので、君は思わず反応してしまったんだよね。僕は分かっているよ。
「そういうところも、可愛いんだよな」
「嬉しいこと言うわね」
「ネギダール族はネギ塩味ではないけどね」
「よかったじゃない」
「《もはやクスリではない》じゃない?」
「そうかも知れないわね」
「ワニか」
「ええ、ワニよ」

ああ、幸せだな。こんな日々がいつまでも続けば良いのに。

「決定的得点機会の阻止ってやつだね」
「話があるの」
「映画館の匂いが一番だなぁ」
「別れましょう」
「道の駅とサービスエリアは違うよ」
「さようなら」
「て、え?さようなら?」
「そう。さようなら」
しまった。ついに僕の癖に愛想を尽かして君は僕の元を去ろうとしている。ああ、申し訳ないな。
「会話が成立しないことに嫌気がさしたんだろ。申し訳ないと思っているよ」
「ううん、そこではないの。ネギダール族。彼ら、絶対ネギ塩味のはずよ。価値観の相違ってやつね。残念ながらここだけは譲れないの。あなたとはもういられない。さようなら」

 

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