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これからは、井の中の蛙になる力が求められるんじゃないかってお話

「井の中の蛙大海を知らず」

井の中に留まってお山の大将やっちゃダメだよって、どちらかというとネガティブなイメージの故事成語なんじゃないかと思う。

でも、現代においては、むしろ逆に考えるべきなんじゃないかってお話。

耳タコな話だけど、現代はインターネットが発達して、はるか遠くのコミュニティの状況がすぐに把握できる。スマホが普及して、SNSが広がって、その傾向はものすごく加速したと思う。

こんな現代において、井の中にとどまっている人はいるのだろうか?むしろ、否が応にも勝手に大海に放り出されてしまう人がほとんどなのではないだろうか?

訳も分からないうちに大海原に放り出され、なんとか溺れないように必死にもがいている。だから、多くの人が自己/他己の承認に飢えている。当然だと思う。自分をつなぎとめられる確かな何かがなければ、あっという間に溺れてしまうから。

その欲求を満たすために、自分の中で自信のある一面を精一杯綺麗に切り取って、SNSに広げて自慢する。だけど、当然、周りのみんなもそうする。だから、表面的に見える世界は、とんでもなくレベルが高い。ただでさえ、コミュニティが広がってレベルが上がっているのに、それに輪をかけて、みんなが選りすぐりの自信作ばかり持ち寄っているものだから、いつまでたっても高得点が取れない。承認欲求は満たされず、むしろ不安が強まっていく。

じゃあ、どうするか?

だったら、「井の中の蛙に戻っちゃえばいいじゃない」って。

自分が居心地よく感じられる適度な広さのコミュニティに、世界を小さくしてしまえばいい。自己肯定感が得られる世界を、自ら作り出せばいい。

だけど、これは思っているよりきっと難しい。だって、隣の芝は青く見えるものだから。一度見てしまったらきっとなかなか忘れられない。そんな中毒的な青い芝が、今の世の中はどんどんむこうから流れ込んでくる。

だから、井の中に留まる力ってものに意識的に目を向けてみてもいいんじゃないだろうか。

その一つの方法は、自分のダメなところを他者と共有することだと思う。ダメな自分を全面に押し出して形成されたコミュニティでは、きっと自然体な自分でいられると思う。

実はすでに、最近少しずつそんな方向に向き始めてる気がする。

例えば、YouTube。少し前までは、○○ルーティン動画、といえば意識高い系のハイセンスな内容が多かった。でも最近は、真逆の、自堕落な生活を見せちゃいます、みたいな内容がたくさん出ている。「あぁ、自分とおんなじだあ」って、安心感を得ている人も多いのではないだろうか。(かくいう私もその一人です。話がそれますけど、Youtubeのルーティン動画って、他人の私生活を覗いちゃっているかのような背徳感がたまr...)

(そういう意味で、自分のダメなところしか公開しちゃいけない、ダメッターみたいなSNSがあってもいいですよね。)

井の中の蛙になる方法は、他にも無数にあると思う。

SNSを物理的に辞めるっていうのももちろん一つだと思う。地元の人たちとのコミュニティに没頭してみるのも良いかもしれない。


「井の中の蛙大海を知らず」には、続きがある。(らしい。)

「されど空の青さを知る」である。

井の外の世界はよくわからない。でも、頭上に広がる空の高さは、誰よりもよく知っている。これからはそんな成長の仕方もありなのではないだろうか。

「(大海の蛙空を知らず されど)井の中の蛙空の青さを知る」

そのうち、こんな言葉が国語辞典に載るかもしれない。




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