首都の品格《⑤東京中心主義》

『怨恨とは、弱者である限りの弱者の勝利、つまり奴隷たちである限りの奴隷たちの反逆と彼らの勝利のことである。』
            ドゥルーズ『ニーチェ』

  東京奠都以来の東京中心主義が浮き彫りになっている。(東京)メディアによる奇妙なまでの偏向報道も、大阪を排除するかのような心理も、東京の大阪に対する反感が源泉だったようだ。
 我が国における負のレッテルの最大の被害者は何と言っても大阪である。大阪が最大の被害者になった理由は何であろうか?東京が活躍してもらっては困る都市、それは大阪である。なぜなら、東京の干渉が取り払われれば、大阪には東京を凌駕してしまう、それだけの能動的な力・工夫する力があることを、東京は河内の茨田連衫子と武蔵の強頸の時代から系譜的に理解しているからである。
 大阪を蔑む風習ははるか江戸時代から連綿と続いている。徳川幕府は大阪における豊臣家の記憶を消去するために、豊臣大阪城を地中深くに埋めて、その上に新たな大阪城を築いた。東京から大阪に対する同様の心理が現在でもよく現れていることの一つが「ガラが悪い・下品・騒がしい」等々に代表される大阪のマイナスイメージであるというのは言い過ぎであろうか。それは、大阪を小さく「見せたい」――なによりも東京自身がそう「見たい」といった心理の表れであろう。

 我が国における中央集権体制はヒト・カネ・モノ・情報を東京に集中させ、それらを一括管理し、各地域における情報産業や創造活動の多様性を失わせている。その結果、経済は停滞し、文化の創造は劣化し、多くの国民の活力を減退させている。新型コロナウイルスを巡る昨今の状況をみるにつれ、東京の中央政府の不甲斐なさ、それが日本の中枢であることが、ここまで日本を弱くしてしまったのだとするのははたして言い過ぎだろうか。

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