首都の品格《④大阪ディスの深層心理》

『実際、苦悩する者は誰でも、その苦しみの原因を本能的に探し求める。さらに詳しく言えば、何か生身を持って活動しているような原因を求めるのでありいっそう正確を期して付け加えると、ある一人の責任者を、つまり彼もまた苦悩することがありうるような悪い人間を求めるのである。…苦しむ者は、どんな口実でもいいからとにかく自分の激情を、実際にそのひとに向かって、あるいはその「人形」に向かって吐き出すことができるような生きた存在を探し求める。なぜならば、激情を吐き出してしまうことは、苦しんでいる者にとって最も効果的な鎮痛の試み、痛みを麻痺させる試みであり、あらゆる種類の苦悩に対してほとんど無意識的に熱望される麻酔剤であるからだ。』
           ドゥルーズ『ニーチェ』

「私は不安だ。これは誰かのせいにちがいない。」――ニーチェによれば、反動的人間は他者が悪いということをまず想定しなければならない。たとえば『細雪』で有名な作家・谷崎潤一郎の次の文章を見てみよう。

「大阪の人は電車の中で、平気で子供に小便をさせる人種である、-------と、かう云つたらば 東京人は驚くだらうが、此れは嘘でも何でもない。事実私はさう云ふ光景を二度も見てゐる。尤も市内電車ではなく、二度とも阪急電車であつたが、此の阪急が大阪附近の電車の中で一番客種がいいと云ふに至つては、更に吃驚せざるを得ない。
      (谷崎潤一郎「大阪人と東京人」)

 この文章が発表されたのは、昭和3(1928)年である。その後、谷崎は自らの考えを180度転換し、上方に対して(特に大阪に)公然と反感を表明した自分の過去の誤りを認めた。かつて大阪人の公徳心の欠如を鋭く衝いた辛らつな批評家が、昭和7(1932)年の『中央公論』に載せた「私の見た大阪および大阪人」の中で前言を撤回し、「東京人が大阪を貶すのは大阪に欠点があると云うより、自分達の都市が首都という大都会に相応しい力を持っていないのでないかとの不安から出ている」と谷崎は主張した。谷崎は言う。実際には関東よりも上方の方がより日本的であり、真に日本精神を体現しているのは大阪人ではないのか、よく議論してみる必要があると。

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