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デカフェコーヒーとジジェク、後処理マーケティング、フィッシュマンズ

カフェイン摂取量を少なくするためにコーヒーや緑茶をルイボスティーに置き換えているのだけど、朝や食後にコーヒーを飲みたい気分になるので、デカフェコーヒーを導入した。実際問題として通常のコーヒーとほとんど変わらない味と飲み口。これならなんの我慢もせずにカフェインを減らせる。

デカフェコーヒーこそが、スラヴォイ・ジジェクのいう「危険や害悪をもたらす要素を抜き去って、快楽だけをもたらす要素だけを分離した存在」の具現化に相応しい。それは「恋愛抜きの恋愛」「麻薬抜きの麻薬」「信仰抜きの信仰」の議論にも繋がるのに、ノンアルコールビールや脂肪抜きクリームにはピンとこなかった。まずいからだ。

つまりデカフェコーヒーの「できの良さ」が思想そのものの正当性を塗り替えうる。「恋愛抜きの恋愛」にはVR技術などの「できの良さ」に依存するし、「麻薬抜きの麻薬」は大麻よりもサウナ水風呂外気浴の方が相応しいのかもしれない。

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アカデミックな批評には社会的緊張がなく、逆にジャーナリスティックな批評には知的緊張がない。つまり前者にはメディアの意識がなく、後者にはメッセージの意識がない。

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正しいものを効果的に伝えるのがマーケティングであるなら、正しいものを作るためのリサーチや製品コンセプトも一体になっているのだが、敗戦後処理としての情報操作がマーケティングと呼ばれてしまう状況がある。

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フィッシュマンズの『空中キャンプ』をヘビーローテーションしている。これまであまり意識したことなかったがドキュメンタリー映画公開の影響もあって聴いてみたのだ。サブスク時代においては知っているか? 入っているか? が重要となる。

心地よい抜けのある音作り、ゆっくりと染み込む少年性を秘めたボーカル、少しだけ生活から遊離した歌詞。アルバムタイトルの「空中キャンプ」を体現したかのような音楽。『ナイトクルージング』はもちろんだが、『幸せ者』や『BABY BLUE』も好み。後に大きな影響を与えたというのも分かる。

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王谷晶によると村田沙耶香の『コンビニ人間』が芥川賞を取った影響で、女性視点の男女の恋愛関係に落とし込まない小説の企画が通りやすくなったという。『コンビニ人間』自体はADHD的な描写が取り沙汰されやすいが結果として後進のシスターフッド的な作品の誕生に影響を与えているのが面白い。歴史の過程というのは得てしてそういうものか。

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2012年7月8日

この時期はトークイベントによく参加していた。カード型文具へのフェチはキャンプ道具フェチに近しい。移動先でも快適にすごするために持ち歩く道具の密度を高くする方法を考えていた時期があるが、インターネット回線にデータだけを移動させることが許されるようになった現在においてはレガシーなのかもしれない。

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