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ルックバック、佐々木イン、マイ、マイン

色々と思うところがあるし、考察好きとして分かったところは色々あるけれど、それを自分がやり直しても仕方がない。それはさておき「背中を見て」の署名フォントが藤野のものになっているという点で物語による自己療養として『好き好き大好き超愛してる』の構造にある。村上春樹は前提として。

自分としては、何らかの死別があったわけでもないけれど、色々な後悔を抱えてはいる。それでも、僕自身が当事者になって救おうとする試みこそが独りよがりで何の寄与もできないことだったのかもしれないと思う。

「(Don't ) ルックバック(In Anger)」と考えるとヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qサブタイトルの「YOU CAN (NOT) REDO」を想起する。
・感情的に振り返るな
・感情的に振り返えれ
・(冷静に)振り返えれ
・(冷静に)振り返るな
が重ね合わせ的に存在する。Don't look back in anger は Oasis の自爆テロに対するアンセムではあるが、現時点においては「感情的に振り返るな!」だけで埋め尽くす罪こそが問題になっているのであろう。

小山田圭吾問題に起因してか「忘れることが大事」というプロバガンダが増えているが、それこそが起きてしまったことを無かったことにする圧力となる。無かったことではなく、むしろだからこそ我々はどうすべきなのかなのに。

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『佐々木、イン、マイ、マイン』を観た。この作品は堕ちていく友人との距離感や忘れた頃の死別について描いており、最終的には妄想世界の中での佐々木コールをすることによって、自己療養への試みをしている。

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今になってからの花束みたいな恋をした評を聞く。宇多丸が麦くんの新しい彼女が『佐々木、イン、マイ、マイン』でちゃんと別れたユキのその後だと話していて、監督も脚本家も全く意識していないのだろうけれど、俳優に感じるユニバースの面白さを感じたりもする。

「最高の形で始まったパーティ」と言語化されてしまった色鮮やかで根のない恋は始まる前から終わりを内在していたが、だからこそ花束のような思い出を抱えながら次の恋愛の生存戦略を練り上げていく。靴を欲しがる新しい彼氏やピアスを忘れる新しい彼女は互いの趣味嗜好からして羹を懲りて膾を吹いているんじゃないかとも思うのだけど、ある種の極端なモード変更を繰り返しながら、いつしかちょうどいい塩梅のシュタインズ・ゲートに辿りついていくのが成熟というものなのだろう。

正しい別れ方をした後に出会った二人同士の話だと考えると、俄然応援したくなる。

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