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押し入れガジェットの整理、押し入れメモの整理、さようであるならば

昨日に引き続いて押し入れの整理をしていた。

現在は iPad の Siri と hue にスマートホームを統一したので Amazon echo や Google Home なども不要になっている。失敗したのはオーディオ機器類。昔から色々と試してきたが集合住宅なのでサウンドバーで低音を鳴らしたりするのは躊躇するし、光音声ケーブルも時代の徒花になってしまったから AirPods Max の空間オーディオに統合されている。ここから先も変わっていくのかもしれないけれど、タブレットとヘッドフォンの方向性になっていくのだろう。Oculus Quest 2 は持ち続けるか悩んでいる。

残っている不用品は単価が安かったり、自分で持ち運ぶのはしんどかったりするのでネット買取を依頼する。ごみに出してもよいのだけど何かしらのリユースの期待が別れの儀式となっている。

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併せて過去のスクラップやメモの整理をしている。はてなブックマークをしたらEvernoteに書き出されていくなどといった仕組みができていたが、今となってはゴミの山だ。ブログ削除などによって全文残しておいた意味がでてくることもあるけれど、消えたものに執着しても仕方がない。

当時の自分の未熟さを認識することもあるけど、7年前にそれは書いてたみたいな話も多かったりもする。この記事もそのようになっていくのだろう。リサイクルできるのかと言えば、そういうものでもないし、整理なんてせずに捨ててしまった方が楽だが一瞬ぐらいはときめきを確認してから削除している。別れの儀式のように。

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「さらば」「さようなら」とは、本来「 然あらば」「さようであるならば」ということで、「前に述べられた事柄を受けて、次に新しい行動・判断を起こそうとするときに使う」とされた、もともと接続の言葉です。

さようであるならば手放そう。別れよう。そこにあるのは罪悪感をアウトソースするための自己憐憫的な理由づけにすぎないのかもしれないが、必要なことだと個人的には思っている。

シン・エヴァンゲリオンにも「さようであるならば」を描くための物語であったのだな。

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