見出し画像

Nice to e-meet you、声だけか写真だけしか知らない関係、メッセージ

海外とメールやチャット等でやりとりするときに、「Nice to e-meet you.」と書かれることがあるのだけど、海外に限らず「Nice to e-meet you.」だけの人が増えてきている。仕事関係はもちろん、オフ会だって2年近く行ってない。

「Nice to meet you.」の境目はカメラ有りのオンライン会議やオンライン飲み会をしたらなのか、音声SNSで話したらなのか、やっぱりリアルで会う時までとっておくべきなのか。

---

散歩をしながらPodcastをよく聴いているのだけど、パーソナリティの声だけしか知らないことも多い。テレビも処分してしまったので、例えばアフター6ジャンクションでに出ているTBSアナウンサーの顔さえも想像上の存在だったりもした。

自分自身もリモート会議でカメラをONにすることが減ってきたし、そもそも資料の投影だけで全画面表示している。Clubhouse や Twitter Spaces も音声だけだ。相当話している人であっても実像を知らないことが多い。

逆にマッチングアプリでは顔写真からスタートするから、実際に会うまで声が分からなかったりもするのだろう。

---

『メッセージ』を観た。テッド・チャンの『あなたの人生の物語』が原作。「あなた」にあたる部分の描写が弱かったので結果として、映画版はこっちのタイトルのが正しいのか。

「どのような言語によってでも現実世界は正しく把握できるものだ」とする立場に疑問を呈し、言語はその話者の世界観の形成に関与することを提唱する仮説である。

何をどう理解するかという点においては言語が前提になる。有名な例としては海外には「肩こり」の概念がないという話がある。異星人との対話の試みを続ける中でかの言語を理解できるようことで分かってしまう概念と、それを受け入れて過程を丁寧に過ごそうとする決意。『インターステラー』的なSFギミックではあるが、明確に逆の規範にあると感じた。

---

ワクチンを接種したから出歩けるかといえばそんな状況でもなく、Nice to e-meet you. だけの関係が今後も増えていくだろうか。辻仁成が中山美穂に言ったとされる「やっと会えたね」をいつか使ってみたいという妄想。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?