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往復書簡

1-3

 昭和六十一年八月五日付

 ご無沙汰しております。お元気でしょうか?
 先月お会いしてからまだ二週間ほどしかたってはおりませんけれど、逆にもう二週間もたったのだと、時間の流れのはやいことに驚いております。
 先日、銀閣寺にご一緒したときに、とてもなつかしい気持ちがされると、さみしそうにそうおっしゃっていた横顔をおもいだしながら、この手紙を書いております。
 義尚さんは私よりも九つも年上ですけれど、ときどき一人になった子どものように哀しいお顔をされるように思えます。それが、なぜか私の心の底にいつものこっています。
 お父様とお母様とのご関係は、私の口から申し上げられることはないけれど、一度話し合う場所を持たれた方がよろしいかもしれません。お母様のお気持ちは、きっと愛情だと思います。とても美しい愛情を、お母様もお父様もあなたにお持ちなのだと、私はお話しを聞いていて、そう思いました。
 あなたがお好きだとおっしゃった、『枕草子』の一節の、美しき乳子の苺食いたる、という言葉。あの日はじめてその言葉を聞いてから、ずっと頭に中にありますの。私の苺を食べるくちびるで思い出したと言っていましたけれど、きっとあなたは、それにくわえてお母様も思い出したことでしょう。
 祇園祭りには私一人で行きましたわ。友達はみんな、他校の男友達をさそって行ってしまいましたの。一人で回っても面白いことはないと思いましたけれど、きらきらとかがやく町の灯りを見ていると心が浮かぶようでした。お稚児さんたちのお化粧すがたは、まなじりのべにが女の子のようで、とても愛らしかったわ。先日いただいたお手紙に書いてあったのと同じ、洗われたようにきれいな街なみでした。祇園祭りの時期は、梅雨時ですから、いつも雨がふるんですの。その日はきれいな月が空に見えました。
 ふしぎと、あなたといないとき、あなたが見るように景色を見ている心地がします。
 それではお身体にお気を付けて。

                        八月五日 安宅百子

 田村義尚様


昭和六十一年十月二日付

 ご無沙汰いたしております。先日はお家におさそいいただきまして、まことにありがとうございました。美味しいお料理までごちそうになって、お礼の言葉もございません。
 魚住は初めてでしたけれど、本当に大きなお家ばかりで、私驚きました。その中でも、田村様のお家はほんとうに大きくて、私の家はなんて小さなお人形屋敷なのかと思っちゃいました。
 ほんとうに、おひなさまにでもなったみたいでしたわ。
 魚住川の水面に浮かんだ月の灯りがとてもきれいで、祇園祭りの夜を思い出しました。あなたは水に映る月が美しいと、そうしきりにおっしゃっていて、その言葉がくりかえされるたびに、私の心も水のようになって、そこに月が浮かぶようでした。
 あの日お借りした、あなたがお書きになった少女小説を、今ゆっくりとおふとんの中で読んでいます。毎日の寝る前の楽しみの一つです。そのまま、あなたのお書きになった物語から夢の中へとつながるようです。不思議な気持ちです。安心した気持ちです。
 お土産にお渡しした、カステラの味はどうでしたか?ザラメがたっぷり乗っていて、美味しかったでしょう?私はあのカステラがほんとうに大好きなの。卵もとてもこいの。
 あなたも気に入ってくれたら嬉しいです。
 またお家にもいらしてください。いつでもお待ちしていますわ。
 それでは、おからだにお気を付けて。

                        十月五日 安宅百子

 田村義尚様

昭和六十一年十一月六日付

 御元気でしょうか?つい数日前にお会いしたばかりですが、どうしても気持ちをお伝えしたく、御手紙を差し上げました。
 貴方が来られた時よりも、さらに魚住の山々は赤く燃えるような火の色です。紅葉の色づきが激しいのは、自分の心のせいかもしれないと思うほどです。月を見るときも、山の色づきを見るときも、雨に洗われた町の草花を見るときも、自然を見るときには、いつも自分の心を見るかのようです。自然が鏡のように私の心を写し取ってくれるのです。
 「花に逢ひては花を打し、月に逢ひては月を打す。」という言葉がございます。花を見るときは花の心に、月を見るときは月の心になる、そういう意味でございますが、私も、貴方と出会ってから、その思いが一層に強くなったことを感じております。
 自分の心の火の色が、山々に燃え移って、そうして日本の山の頬を染めさせているのではないのかと、そういう幻想や聯想が目ぶたを閉じていても、開いていても映るのです。どのような理不尽や怒りにも立ち向かえる、そのような力強さが心に産まれているのです。
 貴方の頬色やうなじが赤く燃えて火の色になっていたのも、私と同じ心持ちだからでしょうか?もしそうであるのならば、あれが私の勝手なまぼろしではないのであるのならば、百万の軍勢を後ろに引き連れている心地でございます。勇壮な師団を率いる将軍の心地でございます。
 不思議な力が湧いております。その力が、私の筆を進ませて、様々な物語を紡ぎ出す動力となっているのです。貴方は私の中にしるしを残していきました。私も貴方の中にしるしを残すことが出来るのならば、これ以上の喜びはございません。
 すっかり心が熱くなりまして、このような文章をつらつらと書いてしまいました。お許し下さいませ。
 秋の魚住は美しいです。いつもの、この屋敷の中で父と母と三人でいるときの心苦しさも今は消えて、秋の色が生きるようです。柿の色や、紅葉、銀杏、全てが鮮やかな生きるしるしのように火の色です。
 また魚住に遊びにいらしてください。今書いております作品を、先生にお届けするために、また近いうちにお屋敷にもお伺いさせて頂きます。
 カステラはとても美味しゅうございました。あの子は味がわかっているねと、父が偉そうに言いながら頬張っていた姿が可笑しくて、私は笑いが抑えられませんでした。母はこういう父の物言いに対して、ずいぶんと顔をしかめておりましたが……。しかし、母もぺろりと平らげたのは言うまでもありません。ご安心くださいませ。
 それでは、また御手紙差し上げます。 
 何よりも御身体をご自愛ください。

                        十一月六日 田村義尚

 安宅百子様


昭和六十二年一月十八日付

 ご無沙汰いたしております。御身体のお加減は如何でしょうか?年末に風邪で倒れられたと、百子さんからお電話でお聞きしまして、心配しておりました。足を運ぶことが出来ずに、申し訳ございませんでした。
 先日、先生にも申し上げました通り、私の肺の具合は宜しくないようです。父とは話し合いを設けまして、その折、大変な悲観に暮れておりました。今にも、発狂せんがほどに、父の形相は変わっておりました。私も、自身の運命と対峙するのに、些かの躊躇もないかものかと思っておりましたが、いざそれを告げられるとなると、その哀しみと苦しみで、筆が思うように進みませぬ。母は病院で療養しろとそう言うのですが、その言葉に、私は自分の人生の先が袋小路なのを、その全身で感じております。
 死が怖いのはありますが、それ以上に、私はまだ何者でもございません。ですから、何とか自分の作品を作りたいと願うのです。自分の文学を完成させて、それから死んでいきたいのです。これは幼い私の我が儘でしょうか?
「掬水月在掌 弄花香満衣」という言葉が心に浮かびます。于良史の言葉ですが、このような境遇に陥っても、私にも掴める美しい真理などがあるのでございましょうか?甚だ疑問でございます。人は死を身近にこそ、真理に触れるといいますが、私は逆に恐ろしさで真理が遠ざかるように思えます。
 先生には私の『三寒四温』に関してご指導ご鞭撻を賜りまして、大変感謝しております。私は、もう一作、肺病で死ぬ女性の物語を書いております。日本に生まれて日本に死んでいく、美しい中世を生きた女性の話です。これは私の遺書になるやもしれません。弱気なことを言うなと先生は仰るでしょうが、私は生まれて初めて真剣になれたのかもしれません。
 年の早々からこのような暗い話題で始まる手紙をお許し下さい。
 しかし、一つだけ良いことがございまして、家の柴犬が六匹の子犬を産みました。どの子犬も元気で、二匹は女の子で、四匹は男の子です。今は貰い手を探しております。犬は不思議です。それを言うのであるのならば、人に飼われる動物の多くがそうなのかもしれませんが、どの動物たちも、親は産みの親ではないのです。皆天涯孤独で孤児のようなものです。そうして、その孤児たちを、天からの授かりもののように、人々が親になって育てるのです。人は血のつながらない者を育てるのです。血が通わないのに、なぜこれほど動物たちは愛しいのでしょうか?不思議なものだと、子犬たちを見つめながら、私は思いました。そう思いながら犬を抱きしめると、その温かいのに、自然と涙が溢れるのです。
 私は必ずまた一作を書き終えます。勿論、許されるのであれば、長生きをして、様々な作品を書くことを続けていきたいとそう願っております。
 それでは、御嬢様にも宜しくお伝え下さいませ。
 何よりも御身体にご自愛くださいませ。

                        一月十八日 田村義尚

 安宅光悦様


昭和六十二年二月十日付

 おかげん、いかがお過ごしでしょうか?
 先日は子犬をありがとうございました。小さな女の子と、男の子の二匹で、今はもう家で元気に駆け回っています。あなたのお家ではじめて見た、あのお母さまから、こんな可愛らしい小さなお人形さんが産まれてくるなんて、命の不思議ですわ。
 こんなことを書くのはあなたに対してへの不義理ですけれど、父への手紙を読ませてもらいました。
 その中で、あなたの書いていた、犬への愛情の話を読んでいると、私も同じ感情を抱いてしまうことを思って、なみだがこぼれましたの。人間や、親の、生まれつきの思いなのかもしれません。きっと、あなたのお母様もお父様も、同じ気持ちでしょう。血がつながるあなたが苦しむのを、血のつながらない私でもふかい哀しみで息もとまりそうなのに、お二人はどれほど哀しいのでしょう。
 でもきっと、私がなみだをこぼしたのは、あなたの心になっていたからかもしれません。あなたと同じ愛情に、心が満ちていたからかもしれません。
 今、机に向かって、この思いだけはすぐに伝えたいと思って、筆を走らせています。
 どうかお身体だけは、ご自愛くださいませ。
 またお会いできる日を楽しみにしております。

                        二月十日 安宅百子

 田村義尚様


昭和六十二年四月二日付

 お身体いかがでしょうか?
 先日はお家に来ていただいて、ほんとうにありがとうございました。
 もうあなたに会うことができないかと思って、恐ろしいほどでした。あなたは少しだけやせていたけれど、笑顔がお変わりなくて、ほんとうに安心いたしましたわ。
 父からお手紙を読ませていただいて、いけないことだとわかっていたけれど、それであなたのお家をお訪ねした次第でございました。お母様には怒られましたけれど、お父様は優しく励ましてくださいました。その日はお会いできなくて、ほんとうになみだがあふれました。全部泣いても、いくらも雨のようになみだがこぼれるのが不思議でした。これほど自分の身体の中に、水があふれていることに、驚きました。
 あなたが最後にくれたお手紙に、月を見るときも、山の色づきを見るときも、雨に洗われた草花を見るときもと、そう書かれていたのを読んで、私はあの小鳥たち、宝ヶ池公園で見ました、菊戴を思い出しましたの。あのかわいい菊戴の夫婦(きっと、あの小鳥たちは夫婦ですわ)を見るときも、あの子たちは私たちの心を映していてくれたように思えます。
 男の子だろうか、女の子だろうか。あなたはそう言って菊戴を見つめていました。造化の妙をつくしたようにそっくりだと喜んでいて、二羽ともまどかに愛らしいけれど、目もとやくちばしが凛々しいのは男の子だろう、そう思ってみると、女の子の頭の上の菊の花が、淡くきれいに咲くようだ、そうおっしゃっていました。よくおぼえています。
 あなたの言葉のあとに、女の子の菊の花はとてもきれいに見えました。美しい幸福のしるしのようでした。
 私たちの掌で眠るとき、あの子たちがとても安心していたのをおぼえていますか? 
 あの夜、あなたのうでの中で、その終わりには、私は安心していました。幸福な熱病にかかったように温まった体を、あなたにきれいだと祝福されて、私は安心しました。
 それからそのときも、あの菊戴の夫婦を思い出しましたの。あの二羽は、互いに安心していました。あの二羽は私たちの鏡でした。
 あなたは私を美しい十六の少女だとおっしゃったけれど、本当は心根のいやしい、冷たい十六の女なんです。あなたにそれがつたわらないのが、哀しいけれど、嬉しかったんですのよ。
 私には仏様がこの世にいらっしゃるのかはわかりません。けれど、もし私は死んでしまうのなら、あなたとともに死にとうございます。そうしてふたり菊戴になって若い恋人たちの掌におりたち、安心した眠りに落ちて、そのまま菊の花びらへと変われたら、それはどんなに美しい童話かと、そう思いますの。
 そんなまぼろしは、私のつまらない少女小説だとあなたは思うかしら。
 桜の花が散る前に、あなたに会いに行きますわ。
 どうか、どうかお身体をご自愛くださいませ。

                        四月二日 安宅百子

 田村義尚様

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