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稚児桜④


 其の四『蛇』

 「おい。何やってるんだ。」
声が聞こえて、君は視線を向けた。清玄はその声に気付いていないようで、和助はまた同様だが、君の様子を見て、それを察したのか、
「どうした?」
「いや、ほら、あそこだ。」
よく見ると、子供らが四五人集まって、一所で何かを揉めている。よく見えないと、和助は首を延ばして、それに君も倣う。子供らの中心に、一人、目力の強い子供がいて、先程の声の持ち主は彼のようだ。彼は、他の子供らに対して、何か怒りというよりも、哀れみを抱いているような目差である。そうして、地面を見ると、君と和助は、声を揃えて「あ。」と呟いた。蛇が、血を滴らせてその場に蹲っている。生きているのか、死んでいるのか、わからない。
「この蛇を殺したところとて、君らの功になるわけでもなし。」
彼はそう言って、蛇に触れた。蛇は幽かに動いた。
「せめて、死ぬのであれば、天命か、自ずから果てるか、それだけでも選ばせてやろうぞ。君らに、何の益もないのだから。」
子供らは、興が削がれたかのように、納得したのかしていないのか、何か文句のような言葉を呟きながら、その場から離れていった。そうして、一人残された彼は、自分の衣服を裾を引き千切ると、それを蛇の上にかけてやった。そうして、そのまま、その場所から離れていった。君と和助は蛇の元までそろりそろりと歩いていくと、しゃがみこんで、そっと布を取り上げた。果たして、蛇はそのまま、そこでジッとしていた。痛みを堪えているのか、蛇は腹から碧い血を流していて、そのまま唖し黙っている。その目は、この世を呪うでもなく、ただ、耐えている。君はその布をまたそっと下ろしてやると、和助を首で促して、その場から離れた。暫く、君も、和助も、どちらも話すでもなく、ただ歩いていた。すると、和助が口を開いて、
「尚書塾の、津川喜代美だよ、あいつ。指なかったろ。」
そういえばと、君は思い出した。
「津川はさ、あいつ母親と中田観音にお参り言った時にさ、午飯を食った茶店に、猛犬がいたんだと。あいつ、それで猛犬だっていうのにな、その自分の食べてた飯の残りをやったんだ。それが運の尽きよ。いきなり猛犬が襲ってきて、指をいかれた。」
「なるほど。それで指がないのか。」
「うん。でもあいつの恐ろしいところは、その後だよ。犬に指をいかれたとはいえ、まだ一部は残ってる。全部噛み切られたわけじゃない。それを、あいつは犬の毒が回らないように、自分で指を噛み切った。そして、顔色一つ変えずに、在り合わせの木綿切れで作った包帯を巻いて、そのまま参詣を終わらせやがったのよ。」
君は口笛を吹いた。なるほど、会津っ子の魂が真から通っている。母親に対しての、愛情も過不足がない。然し、君に一番の驚きは、あの、死に向かう蛇に向けた憐憫である。一言で、哀れであるが、然し、あの耐える力、誰にも語ることなく、死へと向い、唖し黙るあの蛇に、その尊厳に、命に対してかけるあの情け、君には、その彼の態度こそが、何よりも衝撃だった。何故なら、あの蛇はもう死ぬのだ。あの怪我を負ったまま、自然界で生きていける筈はない。明日の夜には、あの蛇はもう土塊へと変わるよう、命がどこかへと向かう。然し、君は、彼の中に君自身を視た。なぜか、様々な生き物に対して、時折閻魔のように振る舞う君、そうして、御仏のように、掌を差し出す君。雨の降る中、泥水に落ちたマイマイを、掌に乗せてやり、そのまま紫陽花へと運んだ。そのような記憶が、思い出された。
 そうして、暫く和助と共に並んで歩いていると、河原で遊ぶ子供らの姿が目に入った。その中には、先程の喜代美の姿があった。先程とは打って変わって、あっけらかんと、子供の笑い声である。

キャラクターイラストレーション しんいし 智歩

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