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ショーハショーテン!とべしゃり暮らし


最近、『ショーハショーテン!』の1巻が発売されたので読んでみた。
お笑いを題材にした漫画である。
作画は小畑健先生。『ヒカルの碁』や『デスノート』の作画を担当されていて、連載時の1999年〜2005年くらいは凄かった。とにかく絵が美しかった。

一番好きな漫画を選べと言われたら、私の場合は、『ヒカルの碁』か『HUNTERXHUNTER』か『GANTZ』で悩み続ける。

『ショーハショーテン!』は小畑健作品の中で親しい匂いがするのは、『バクマン』だろう。『バクマン』は漫画家漫画であるけれども、まぁ天才同士がタッグを組んで、ジャンプでの人気獲得、アニメ化を獲得する話だが、
『ショーハショーテン!』も天才同士が出会うという極めてオーソドックスな仕立て。
主人公は天才ハガキ職人だが、然し恥ずかしがり屋なので、人前では前に出られない喋れない。
彼のセンスを買って相方になりたいと誘うのは元天才子役で、彼がアドリブを効かせて主人公のネタを引き立たせる。

芸人漫画といえば『べしゃり暮らし』があるが、これは2005年くらいに週刊少年ジャンプで連載が開始した。その前に、プロトタイプの『柴犬』や『スベルヲイトワズ』などがある。3巻まで週刊少年ジャンプで連載し、その後ヤングジャンプに移籍した。
青年漫画と少年漫画はターゲットが違うため、この2作品を一概に比較することは出来ないが、『べしゃり暮らし』の方が私は好きである。

お笑いを漫画化する上で最大のハードルは、ネタを紙面に落とし込むのは激烈に難しいということで、ネタは紙面に落とし込まれた時点で殺されているようなもので、これが滑ると作中に描かれた人物の笑い、設定が全て台無しになる、つまり、根本のドラマを破壊する恐れがあることである。
然し、ここに大いなる誤謬があって、というのも、漫画内で繰り広げられるネタというのは、あくまでも漫画内のキャラクターに向けて放たれているものであり、読者はその範疇にない、ということが理解されていないというこだ

そこに落差が生まれて悲劇的な結果になるわけだが、然し、『べしゃり暮らし』のネタはそれでも笑えるというのがすごい。
無論大爆笑ではないが、笑えるツボが丁寧に読者にも共有されている。これは漫画の達人であり、自身もお笑い芸人としてM1などに参加している森田まさのり先生だからこそ可能なのかもしれない。
お笑いのネタは、芸人の個性や声、間の取り方、顔、様々な要素が絡み合う非常に複雑な一瞬一瞬の藝術であって、それを作中作として取り上げるのはそもそもが暴挙なのである。その暴挙を乗り越える為に作品ドラマとしての面白さこそが必定であって、『べしゃり暮らし』にはそこにある程度のリアリティを担保して面白さを確保しているが、『ショーハショーテン!』は哀しいほどにリアリティがなく、漫画的になりすぎていて、ネタ自体がお遊戯に思える。
然し、このネタもまた高校1年生の素人だからこその拙さを描いていて、実際には今後ステージが変わるにつれて、作中外でも笑えるネタが出てくるようになるのかもしれない。

天才を描くには、そこに説得力をもたせる必要性がある。明らかに抜きん出た存在、例えばスポーツであったり、勝敗のある競技などはそれを描きやすいが、『響-小説家になる方法』などの作中作を描くものというのは、登場する人物のリアクションなどで示すしか方法がないため、何を持ってすごいのかが曖昧となり、あまりにリアリティに欠けると、それがギャグでしかなくなってしまう。
結局はドラマに行き着くわけで、そこでの展開、演出こそで、作中作を輝かせなければならないのだ。

『ヒカルの碁』は読者のほとんどが囲碁のルールを識らないわけだが、それは些末なことであり、演出と筋運びの勝利であろう。その後に連載された『ユート』はスピードスケートの漫画で、ほったゆみ先生の新作であったが、これは受けずに打ち切られた。『ユート』はスピードスケートの漫画ではあったが、筋運びが鈍すぎた嫌いがある(私は結構好きだった)。

小畑健先生がネームを漫画に変えていく技術は非常に高度なもので、これが素晴らしい原作と出会うと傑作に昇華される。然し、そのような作品は、なかなか生まれ得ない。芸人漫画でそれは、あまりにも難しい挑戦に思えた。


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