たまゆら
1-5
翌日、さつきは前の晩から楽しみで眠れず、結局寝付けたのはまよなかを過ぎてからでした。起きるともう朝陽で、さつきは慌てて飛び起きると、急いで髪の毛をとかして、日まわりの色のワンピースに着替えて、待ち合わせの松江駅までおとうさまのお車で送ってもらいました。車はびゅんびゅんと風を切るように進んでいって、馬に乗るかのようです。これから向かう牧場に、白馬もいるかしらと、さつきはいろいろな想像をしました。
駅に着くと、もうまゆ子は着いていて、さつきの姿を認めると、掌をぱたぱたとふりました。その笑顔が愛らしいのに、さつきの顔はほころびました。さつきがほほえむと、まゆ子の顔も花のようになりました。
おとうさまとお別れして、電車に飛び乗ると、松江から三十分の小旅行です。駅にはまゆ子のおかあさまが着いていて、さつきとまゆ子を笑顔で迎えていてくれています。まゆ子のおかあさまは黒々とした御髪で、つややかに光るようです。さつきのおかあさまよりも、いくぶんか細く、そのせいか、触れると折れてしまいそうにさつきの目にうつるのでした。
「いらっしゃい。あなたがさつきちゃんね。まゆ子が寮から帰る度に、あなたのお話しをうれしそうにするんですよ。」
そう言われて、さつきは頬が赤く染まりました。
「さつきちゃんはね、さつきちゃんはねって、いっつも言うんですのよ。」
「もう、ママ。恥ずかしいわ。しょうがないじゃない。なかよしなんですもの。」
まゆ子は照れたように、なかよしという言葉を強調しながら言いました。それを聞いて、さつきは心に雪洞が灯ったように、温かな思いです。
「はいはい。さぁさつきちゃん、乗ってくださいね。今からわたしたちの旅館まで案内しますから。」
まゆ子のおかあさまの運転で、すぐにまゆ子の旅館に着きました。温泉宿の入り口には、何人も仲居さんが立ち働いていて、まゆ子を見る度に花やいだ顔がぱっぱっと咲きます。まゆ子はなんどもなんども名前を呼ばれて、その度にやさしく手を振り替えしました。その手を見つめていると、さつきは、まゆ子の指筋が天に向かってまっすぐと伸びるのに、美しいガラス細工を重ねました。
「今日泊まるお部屋は三階よ。」
そう言って、まゆ子はすいすいと目的地までの道のりをおよいでいきます。さつきはただきょろきょろとあたりを見回しながら、その背中についていきました。
まゆ子の実家の温泉宿は、『牡丹屋』といって、今年でもう創業三百年を迎えるのだそうです。ところどころを支える年老いた柱は、とても力強い色です。
「三百年だなんてすごいわ。千七百年のはじめでしょう?何時代?」
「江戸時代よ。私はここの跡取り娘なの。」
江戸時代と聞いて、さつきは声にはならない声をあげました。その顔つきがよほど面白いのか、まゆ子はさつきと反対に、声をあげて笑いました。
部屋は三階の南側にある、奥まった場所でした。十二畳の和室に、八畳の次の間があります。広縁の襖をあけると、そこにはとおくうっすらと宍道湖がみています。朝陽を受けて、鏡のようにきらめいて、さつきは美しいと感じました。
「すてき。宍道湖がこんなにきれいに見えるのね。」
「そうでしょう?宍道湖でとれた、しじみのおみそ汁もとてもおいしいのよ。」
ふたりは荷物をおいて、周辺の散策にでかけました。玉湯川に沿ってふたりで歩いていると、木々の緑がまぶしく、心地よい気分になります。神さま探しという看板があって、よくみると、神話をモチーフにした銅像が、道のおりおりに飾られています。小さな神さまで、とても愛らしいのです。少しふくらんだおなかを、さつきは優しく撫でてやりました。それからしばらく進んでいくと、大きな勾玉の装飾がされた橋がありました。緑色の勾玉が向かい合っていて、その光景に、さつきは大森くんを思い出しました。
「あれ、あの勾玉。」
「かわいいでしょう。あそこは勾玉橋って言うのよ。」
なるほど、たしかに勾玉がとても目立っていて、それ以外に名付けようのありません。さつきとまゆ子はしばらくの間散歩をして、元来た道を戻りました。途中足湯に浸かりながら、いろいろなおしゃべりをしました。同級生の坂田さんと、豊村さんが、とても仲がよいから、エスじゃないかと、そういう噂が出ているということや、武藤先生が、社会の新山先生と付き合っているという噂など、恋や愛の話でふたりは楽しみました。
おしゃべりをしているとすぐに時間が経ってしまって、あっとう間にお昼です。まゆ子に手を引かれて、さつきは旅館に戻りました。
「お部屋をとってもらうなんて、なんだか贅沢だわ。」
「お布団は自分で敷くのよ。それから、ご飯もレストランまで食べに行くの。お膳ではこないわ。」
「でも、友達の家に泊まるのに、旅館だなんてヘンな気分。」
「さつきちゃんはお客さまなんだから、ゆっくりしていってね。そうすると、とても楽しいわ。」
まゆ子はそう言って、うれしそうにさつきをもてなします。さつきもなんだか、自分がまゆ子にとって特別なゲストなんだと、そういう心で気持ちが温まりました。
夜は一階のレストランで、懐石料理を頂きました。もちろんお酒は飲めないので、ふたりともジュースです。さつきはりんご、まゆ子はオレンジのジュースでした。お酒じゃないのに、酔うかのようでした。おいしいしじみのおみそ汁を飲んで、おなかがも温まると、つぎはからだです。ふたりは旅館の温泉に浸かろうと、浴衣姿にきがえました。御影石のタイルは水で黒く光るようです。からだを流して、ふたりはお風呂に浸かりました。お客さんはまばらで、さつきとまゆ子の他に、おばあさんと小さな女の子の家族だけでした。さつきは上機嫌で、まゆ子とまたお話しを続けます。何か、ずっとずっとおしゃべりができそうな気がしました。さつきが話すと、まゆ子が打つように言葉を返します。言葉をやりとりする度に、ふたりの親愛がふくらんで赤らむようです。
(大森くんにはわたしたち、エスじゃないわ、って言ったけれど、ほんとうはそうじゃないかもしれないわ。)
さつきはしゃべりながら、ぼんやりとそんなことを考えていました。大森くんを思い出して、その聯想は、たまゆらの響きと、魂へとつながりました。さつきが大森くんに聞いた話をすると、まゆ子は、
「一霊四魂でしょう。知っているわ。伊達に玉造に住んでいないわ。」
「私は知らなかったよ。」
「松江はまだ都会だもの。大森くんは奥出雲でしょう。田舎はそういう迷信をありがたがるもの。」
「私は幸魂だって。愛の大きな人だって。」
そういうと、まゆ子はほほえんで、眦が溶けるようにさがりました。やわらかい笑顔で、さつきの心は洗われるようでした。
「四つあるのね。まゆ子ちゃんも幸魂が大きいかしら。」
「あら、私は好奇心が強いのよ。智魂が、私は強いのよ。」
そう自慢げに胸を張るまゆ子は、こどもながらに凛々しい頬色です。いつもの可憐な横顔とは、また違う、家庭でのまゆ子でした。
お湯からあがると、ふたりはまた玉湯川の周りを散策しました。夜になると、昼間の木々たちは眠っていて、静かなものでした。夜の空気が、ふたりを包んでいました。さつきは、まゆ子に大森くんから聞いたことを話そうか、迷っていました。大森くんは、おかさまがいません。あのたまゆらは、大森くんがおかあさまを探す音色なのでしょうか。まゆ子にそのことを伝えたくとも、それを大森くんに内緒でまゆ子に話すのは、いけないことだとさつきは思いました。エスのふたりは、どんな秘密でもわかちあいます。でも、この秘密だけは、まだまゆ子とはわかちあえないと、そうさつきは思いました。
「どうしたの?暗い頬色ね。」
まゆ子はさつきの頬を掌でくるむと、さがった眦がいっそう落ち込みました。目の中の水がきらきらと光って、美しい色です。まゆ子の脣もきれいな色でした。思わず、さつきはまゆ子の脣に、そっと自分の脣を重ねました。小さな口づけでしたが、匂いが濃く、さつきは胸がたかなりました。
その夜は、さつきは眠れませんでした。となりで眠るまゆ子の寝息がかすかに聞こえていて、寝ているとわかっていても、そちらを見ることが出来ませんでした。まゆ子は、いったいどんな気持ちなのだろうと、そうさつきに不思議でした。まゆ子は、温泉で、自分は智魂が大きいと、そう言っていました。女の子どうしの口づけも、好奇心のきらめきでしょうか。
さつきは自分の脣をしずかに紅差し指で撫でました。そうすると、天井に大森くんが浮かびました。大森くんが、さくらの花びらで化粧をしている光景が、さつきの目ぶたの裏にぱっと咲いて、大森くんは神楽の衣装をまとって、神さまのような出で立ちです。さつきは芍薬の花になっていて、そうして大森くんの紅差し指がその花びらにふれると、ますます赤らんできれいになります。少年を化粧したいくつもの花びらが、青い月にかさなりました。
さつきが目を覚ますと、もう朝陽でした。いつの間にか眠っていて、それでもまだまゆ子は寝ていました。洗面上で顔を洗うと、鏡の中に映る自分が赤く美しいのをさつきは知りました
「芍薬が私なのかしら。」
そう言って、紅差し指でまなじりに触れて、そのまま頬から脣にまぼろしの紅をひきました。