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往復書簡

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 京都市北区の宝ヶ池で、ふたりの男女の遺体が発見された。ひとりは青年で、もうひとりは少女と呼べる年齢だった。五月に入ったばかりの温かい季節のことだ。互いの手首と足首とを赤い紐で固く結んで、入水だった。通報があって、私が現場に着いたのはまだ昼前だが、陽の光が木漏れ日になってふっていて、ふたりの濡れた着物を温めていた。ふたりを繋いだ紐も水に濡れて、毒々しいほどに赤かった。青年の右手首と少女の左手首、青年の右足首と少女の左足首、結ばれた箇所のそれぞれがお人形のように揃えられて、陸の上に並ぶと美しかった。
 少女の頬色は、冷たく白く、そのせいで人形めいて見えた。寒気がする美しさである。青年の方はというと、微かに血が残っているようで、肌が生きているようだが、しかし、死んでいるのだった。
 ふたりの若い恋人たちが、何かの事情があった末に、死を選んだようだった。そこに事件性はないように思えた。私がふたりの側を離れると、すぐそこの木の枝先に、小鳥が二羽留まっていた。それは二羽の菊戴だった。小さな顔をせわしなく動かして、二羽で戯れ合っている。注意深くみると、それぞれの片足に小さな赤い紋様が見えた。血でもついているのか、足を怪我しているのかと思えた。
 池から離れると、馬が三頭、躍動的に描かれた銅像が目に入った。後で調べたところ、メキシコの芸術家の作った作品で、エスタンピーダという名称らしい。最近作られて、この公園に寄贈されたとのことだった。野性の馬が、暴れるように重なって、群れている姿だった。すぐ近くには宝ヶ池グランドプリンスホテルがある。この池と公園は、その宿泊客にもなじみ深い、遊歩道でもあった。池には鯉や亀もいて、死を選ぶにはほど遠く穏やかだった。
 パトカーの中で一服していると、フロントガラスを叩く音が聞こえて、顔を向けると同僚が数枚の紙の束を持って立っている。それは全て濡れているようだった。私はそれを受け取ると、かすかに滴る池の水を息で乾かすように吹きながら、表面の字面を読んだ。
 それは手紙のようで、数枚の束の宛名にはそれぞれ、安宅百子さま、田村義尚さまと、そう書かれていた。それでふたりの若い恋人たちの名前が分かった。どうやら死んだふたりの間でやりとりされていた手紙のようだった。中には安宅光悦という人物に差し出された手紙もある。名字が同じであるから、おそらくこの少女の血縁の誰かであろうか。人様の手紙を盗み読むことに捜査という名目があろうが後ろめたいものがあり、その当人たちがすぐ近くにいるのだからそれもなおさらだが、読み進むうちに、このふたりの若い恋人たちのこころに触れることが出来たようで、日暮れ近く、夕映えに池の水面が染まりだした頃まで、その手紙に没頭した。
 読み終わる頃、私はさきほどの菊戴を探した。果たして、あの菊戴たちは、あの枝先にまだ留まっていて、私を見つめていた。少しばかり疲れて、眠たそうな顔つきをしている。赤く濡れた足先が、夕映えを浴びて美しく光っている。
 さて、私がこの手紙について紹介しようと思ったのは、この小さな恋人たちの死が、おそらくある種、純潔な死であったことを、どうしてもこの文章を読む人たちに理解して欲しかったからに他ならない。この若いふたりの手紙は、昨年の春から今年の春までの僅か一年の間にやりとりされたもののようだ。このような年頃の青年と少女の死など、山とある話であり、大抵は病か身分の違い、交際に対する親からの反対、その三つに該当するだろう。だから、この手紙もその例に漏れないことは、予め申し上げておく。
 私は無神論者で、神や仏は信じない。八百万のような神も、汎神論も信じていないが、それでも何か大きな、霊的なものがあることは感じている。この手紙を読んで、そういったものに思いを馳せたこともここに記しておく。
 これらの手紙に関して、私は何も脚色するようなことはしていない。そのままで、ありのままに、時系列順に並べられたこの手紙を読んで頂いて、そしてそれに関してどう思うか、全ては諸兄のご賢察に任せる。

         ○


昭和六十一年三月七日付

 本日はお忙しい中お越し頂きまして、まことにありがとうございました。
 田村様がお帰りになられてから、お土産に下さった美味しい栗のお菓子を、みんなで戴きました。私、ほんとうのところは栗は苦手なんですの。でも、田村様に戴いたお菓子は、本当に不思議なくらいに甘くて、おいしくて、すぐにぺろりと無くなってしまいました。特に、母がほんとうに喜んで食べていましたわ。
 それと、お貸し頂いた三冊の少女小説、ありがとうございました。春休みに入りましたら、さっそく読みはじめようと思っています。おかえしできるのはまだ当分先になりそうですけれども、おゆるしになってください。
 北山通りにはまだまだ桜の匂いはいたしませんけれど、ちょうど、田村様がお帰りになった翌日に、梅の花が芽吹いておりましたの。もう春ですのね。
お礼をかねて、お手紙を差し上げました。どうか、ご自愛くださいませ。

                        三月七日 安宅百子

  田村義尚様


昭和六十一年三月十六日付

 御手紙頂き、ありがとうございます。大変うれしく読ませて戴きました。手紙を見付けた時、家の玄関脇のポストの中に、一輪の花が咲いていたような、そのような心地がいたしました。
 お土産も喜んで頂けたようで、大変心が弾んでおります。あの栗のお菓子は、私の住む家のすぐ向かいのケーキ屋で誂えたものでして、土産に持参すると必ず喜ばれるのです。安宅先生やご家族が栗がお好きかどうか、正直のところ賭ではありましたが、その賭に勝った心地でございます。
 また別途送らせて頂きました先生宛の手紙にも書かせて頂いたのでありますが、先生にご教授頂いた原稿に手直しをして、発送しております。先生にはなんどもなんどもご指導を頂きまして、御礼の言葉もございませんが、何卒百子様からも御礼を申し上げてくださいますよう。
 さて、こちらではかすかに桜の芽にもほころびが見えるようです。同じ近畿地方ですが、僅かにこちらの方が桜の挨拶も早いと見えて、四月には美しい桃色に町が染まることでしょう。京都の桜は美しいですから、是非ともまたお尋ねしまして、この眼で見てみたいと考えております。
 私がお貸ししました少女小説のいくつかですが、ゆっくりとお読みになってください。文学は噛み砕かないと、時折わからなくなることがございます。私もよくそれで失敗するのです。そういうところが、私の到らないところで、反省すること頻りでございます。
 それでは、学校のお勉強と、バスケットボール部でのご活躍をお祈りしております。
 またお手紙差し上げます。

                        三月十六日 田村義尚

安宅百子様


昭和六十一年四月十日付

 先日は大徳寺でのお花見、誠にありがとうございました。安宅先生から百子さんの計らいだと聞かされまして、感激しております。
 魚住川の川沿いの道も、桜並木が美しいのですが、京都はやはり花の都だと、そうあらためて実感しております。京都の美しいのは、文化もあるのでしょうけれど、四季の花やかなのが、そうさせるのだと、道を歩いていて思わされます。
 先生に大仙院の枯山水の美しいのを聞かされておりましたが、ああして実際にその場に腰を下ろすと、美しいだけではなく、その侘びしさも心に染みいるから不思議です。
 ああいう町で生活をしている先生と、それから貴方とに、正直嫉妬が止まらないほどです。私の家の周囲にはそういった歴史的なものは少なくて、古くからの小説、川端康成や谷崎潤一郎の本を読んで、擬似的に頭の中でそれらをこしらえて、それを夢想するのがやっとのことでございます。
 魚住川の川岸には、谷崎潤一郎の倚松庵がございますが、それももうなんども幼い頃から通ったせいで、新しい発見は何もなく、感興もございません。
 谷崎といえば、私も以前に外から見物しただけでございますが、下鴨神社の糺の森の裏手にございます潺湲亭、また川端康成が『古都』を執筆したという『下鴨泉川亭』、このような文化的建築が多いのも非常に羨ましく思えます。あんなにも森閑としました糺の森の、冷たい空気の中にあれば、筆が神憑るような時もございましょう。
 ああ、京都に住めたのならばどれほどの刺激と、新しさに満ちた生活が出来るのだろうと、そのようなことを日々考えてしまうのです。
 文化の香りを感じることが出来るのが、京都の旅のうれしい収穫でございます。
 あのような楽しい会合をご用意してくださって、誠にありがとうございました。その御礼を手紙でお伝えします不躾をお許し下さい。
 それから、手紙を書こうと思いましたのは、御礼の他にもございまして、あの日、百子さんのお召しになられていたお着物と花の簪の美しさに、不思議な陶酔を感じたことを、お伝えしたかったからでございます。やわらかな首筋にかかる桜の花が、貴方の花やかな美しさを引き立てていて、黒い御髪に一筋簪の赤いのが、見事な鮮やかさで私の胸に残っています。美しい日本の女性のきれいな姿が、そのまま絵や小説から切り取られたようにも私には見えました。
 突然手紙でこのような無礼な言葉を書き立てることをお許し下さいませ。大徳寺と、桜と、枯山水と、そして日本の美少女とのその調和を、貴方と町を歩く道すがら思い浮かべて、次はこの情景を自分の物語の中に書いてみせると、そのような思いに囚われて今に至ることを、ここに申し上げます。
 桜の季節が終わりましても、葵祭、それから蛍の季節もございます。また夏になれば祇園祭に大文字の送り火と、美しい光景が町を彩ることでしょう。そういう京都の夏の風物を、また先生や貴方と見て回れたらと、そう願っております。
 不躾で長い手紙を書いてしまいまして、誠に申し訳ございません。文学のことになると、つい頭に血が上りまして、長々と書いてしまうのは私の悪い癖でございます。
 何よりも御身体をご自愛くださいませ。それでは。

                        四月十日 田村義尚

 安宅百子様


昭和六十一年五月七日付

 ご無沙汰しております。
 先日お家に遊びにいらしてくださったこと、父から伺っております。あの日はお友達の家に行っていましたの。せっかく来て下さいましたのにお会いできなくてごめんなさい。
 その折に、また栗のお菓子を買って来てくださって、ありがとうございます。あの栗のお菓子、また母がほとんどを平らげましたのよ。私、可笑しくてって可笑しくって、なんども笑ってしまいましたの。
 そうそう、お借りしていました少女小説をいくつか読みました。なかでも、川端康成の『親友』がとても好きですわ。どこか『古都』に似た味わいを抱きました。双子のように似ている少女が出てくるせいかしら。双子というものは、ほんとうに不思議な芸術ですわね。
 さいごの展開は、めぐみちゃんもかすみちゃんも、あんまり出てこなくなって、少し無理矢理にかんじましたけれど。
 また来られるときは、お手紙くださいね。お待ちしております。

                        五月七日 安宅百子

 田村義尚様

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