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セルロイド製ピーター・パン②

後 彼ら その①


 白詰草の花冠を、おつむりに被せてあげると、弟の環は笑いました。花のような笑顔です。その笑顔を見ていると、少年は少女なのかしらと思うのです。美しい青年に育つ前、男の子は間違いなく女の子で、きれいな顔をしています。それなら女の子は?みどりちゃんには謎でしたが、そういえば、彼女のお友達の詩杏ちゃんも、友人に、とてもきれいな男の子がいるのだと言っていました。彼は、ピーター・パンみたいで、おもちゃみたいに、愛らしいそうです。
「ねぇ。それなら、詩杏ちゃんは、その男の子に恋してるの?」
詩杏ちゃんは、少しばかり考えるようで、けれど、かぶりを振って、その可愛らしく長い両手の指先を交差させて、腕を伸ばしました。白い色が、長く長く、天に届くようです。
「好きよ。けれど、めちゃくちゃにされたいとは、思わないな。彼はまだ、子供だからさ。」
ああ、やっぱりです。みどりちゃんにとって、詩杏ちゃんは、どうにも大人っぽい子供なのです。同い年です。身長も、きっと体重もおんなじでしょう。胸は、みどりちゃんの方がふくよかかもしれません。けれど、そのせいもあってでしょうか。詩杏ちゃんはまるで少年でした。美しい男の子のようで、勇ましい顔立ちをしています。なんならよっぽど、詩杏ちゃんの方がピーター・パンかもしれません。そのピーター・パンは、きれいな目でみどりちゃんを見つめます。みどりちゃんは、ぽっと頬を染めて、目を伏せました。みどりちゃんの玉模様のリボンに触れて、詩杏ちゃんは、ふっとみどりちゃんの頬に息を吹きかけました。
 あの、詩杏ちゃんの持つ、不思議な魔力は何なのでしょう。詩杏ちゃんに、その男の子に恋をしているのか問いながらも、本当には、自分が詩杏ちゃんに恋をしているのかもしれません。詩杏ちゃんは、それこそ彼女が言うように、本当はピーター・パンなのかもしれません。
 環が走り回っています。弟たちは、まだ恋心など知りようがありませんし、今はおもちゃや空想、怪獣や飛行機、車にピストルに夢中です。みどりちゃんだって、少し前はそうでした。それなのに、ある日、自分の身体に変化があって、今では男の人が、違う生き物のようです。その、違う生き物に関して、みどりちゃんは少しばかり、気があるのか、彼らが自分たちで、自分たちを慰める、というようなことをしているのを識って、ひどく心がうろたえました。同時に、浮き立つようで、自分で自分を慰める日もありました。けれども、一人遊びでは全然、天に昇ることはないのです。
 それからは、自分の好きな男の人の後を追っては、彼らのその横顔を見て、空想に遊ぶようになりました。みどりちゃんは、自分がおかしいのではないのかと思っています。思っていますけれども、それを口にすることは出来ません。こうして、弟たちの世話をして、一生懸命お勉強をして、そうして、何時しか先生になるために、今はパパやママの言いつけを一生懸命に聞くだけなのです。ああ、つまらない。一生、このような日々を過ごすのかしら。こうして、弟たちのお世話をして、遊び相手になってあげて、それで、はい、おしまい。それは、やはりみどりちゃんには、つまらないもののように思えました。
 青々とした木々が風に揺れています。みどりちゃんは目を細めました。もうすぐ夏至ですから、雨の日々が続きそうです。あとで、紫陽花園に、今年の花を見に行こうと、うつらうつら、白詰草の匂いに眠りに誘われながら、指先を遊んでいました。みどりちゃんの鼻を、薫風が掠めます。そうしている内に、蜃気楼のように、遠くから歩いてくる二人を見つけました。ああ、双子みたい。みどりちゃんの初めの印象は、まさにそれでした。正しく、双子のように、けれど、微かに詩杏ちゃんの方が、背が高いようです。どちらも水兵服を来ていました。二人並んで原っぱを歩いてきて、木陰にたどり着くと、同じように座りました。どちらもきれいな少年でした。ああ、ピーター・パンが二人。そうです。都南くんは男の子ですから、当然ですけれども、まだ幼い顔立ちで、頬が娘よりも赤いのが印象的でした。そうして、眦が涼しげで、水兵服につけた菫色のリボンが、きらきらと風に揺られています。けれども、詩杏ちゃんは、都南くんよりも、少年よりも少年めいた美少女でした。それを言うのならば、都南くんは、少女よりも少女めいた美少年ですから、どちらも美しいことに変わりない、少年が並んでいるようでした。
 学校の図書館に、美少年の絵画を集めた図録が置いてありました。それは、本棚の片隅、誰も手にしない歴史書の海の中に、ぽつんと佇んでいたのを、みどりちゃんが見つけたのです。みどりちゃんは一心不乱にそれを読み耽りました。古今東西の、美しい少年たちが、その中でみどりちゃんを見つめていました。詩杏ちゃんは言いませんでしたが、みどりちゃんには容易に空想出来ました。彼らに、めちゃめちゃにされてしまう自分が。そうして、彼らは彼らで、乱交の限りを尽くすのです。自分がそのような恐ろしい空想に耽っていた罪を白日の下に晒されたら、今こうして微笑んでいる詩杏ちゃん、真面目な顔で見つめる都南くんは、どのような思いを抱くことでしょうか。はっと、目の前に立つ二人を見ていて思い当たりました。あれは、あの本にあった絵の中の一つ、フランツ・クサファー・ヴィンターハルターの『エドワード7世と弟アルフレッド王子』のようです。二人の美しい少年が並んでいいる、とても有名な絵、そのものです。みどりちゃんは、頬が燃えるようでした。そうして、美少年たちは互いの水兵服をそれぞれの片手で遊びながら、みどりちゃんの様子を伺うようでした。
「どうしたの?そんな、夢見ているような顔。」
詩杏ちゃんの言葉に、みどりちゃんははっとして、顔を振りました。
「だって、蜃気楼が本当になったから……。」
そう答えると、詩杏ちゃんは、あははははと笑いました。反対に都南くんは冷めたような目で、じっと、みどりちゃんを見ています。
「ほら、コンサートホール。あそこでね、今日は合唱コンクール。」
ああと、みどりちゃんに合点がいきました。二人は、同じ合唱団に所属しています。そう思った矢先、詩杏ちゃんが歌声をあげました。周りの人が視線を向けましたが、詩杏ちゃんはおかまいなしで、歌い続けます。そうして、促されて、都南くんも歌い始めました。連なるソプラノに、みどりちゃんは、うっとりと聞き惚れていました。英語の歌詞で、なんと言っているのかはわかりません。
「なんていうお歌?」
二人が歌い終わると、みどりちゃんは尋ねました。
「七理紫水。」
みどりちゃんは頷きました。そうして、詩杏ちゃんは都南くんの喉を抑えて、
「でも、きっとね、この声ももう終わりなのね。悲しいけど。」
都南くんは、その手をぱっと払い除けて、
「知らないよ。」
「でも、都南くんはピーター・パンなんでしょう?」
みどりちゃんがそう言うと、詩杏ちゃんは考えるようでした。そうして、
「そうね。でも、だめだよ。ピーター・パンは御伽噺だからさ。都南は、現実だもの。」
「現実の男の子ね。」
「そう。現実の男の子はさ、こう、十五歳を頂点にして、だんだんと欠けていくんだってさ、お月さまとおんなじで。そう、本で読んだ。十五夜〜お月さま〜。」
「じゃあ、都南くんは、今が一番……。」
「きれいだし、かわいいよ。女の子みたいな少年だ。」
そう聞くと、この二人のピーター・パンは、確かに今だけの存在に思えます。詩杏ちゃんの言うように、都南くんも、だんだんと男らしくなっていくと、ピーター・パンは死ぬようです。そう思うと、みどりちゃんはふっと急に切ない思いに駆られて、手先で遊んでいた白詰草の冠を、都南くんのおつむりに被せました。そうすると、彼は、外国の包み紙に描かれたような少年のように愛らしくなりました。
「ああ、ほら、こうしたら。ずっと、このままなら、いいのにね。」
みどりちゃんが都南くんにそう言うと、彼は恥ずかしそうに、その冠に触れました。指先の白いのが、みどりちゃんの目に印象でした。
「ほら、都南。みどりちゃんの花冠、それをつけてりゃ、君は王子様だね。」
「女の子みたいじゃないか。」
「女の子みたいだけど、いっそうに男の子だよ。だってさ、男の子は女の子よりも、花にも月にも、似合いじゃないか。」
みどりちゃんに、詩杏ちゃんの言葉の意味がよくわかるようです。けれども、今の詩杏ちゃんにも、そのどちらもが似合うでしょう。そう思って、詩杏ちゃんにも花冠をかぶせると、それは不思議です。都南くんは紛れもないピーター・パンでしたが、詩杏ちゃんはアフロディテでした。泡から生まれた女神様。女神様なら、それはモンローかもしれません。青と菫のモンローです。白詰草の色のせいか、一層に唇が赤くなるようです。こうなると、もう、詩杏ちゃんはピーター・パンではありませんでした。紛れもない、女でした。けれども、そのように見ているみどりちゃんのことなど、もうお構いもなく、詩杏ちゃんも都南くんから花冠を引っ手繰ると、それをみどりちゃんに被せました。ああ、花はどんな化粧よりも恐ろしい魔術です。それは、花が雄と雌、その何れも一つに抱いているからかもしれません。はっと、みどりちゃんは気づいたように、都南くんを見ました。都南くんは、花なのです。ピーター・パンが花冠をかぶるのは、それは、彼が一種のふたのなりひらだということに、他ならないからです。
 鐘の音が鳴りました。近く、教会があります。その教会で挙げられる、結婚式の鐘の音でしょうか。みどりちゃんは、ふっと、詩杏ちゃんと都南くんの結婚式を夢見ました。あらら、それならば、どちらが花嫁で花婿なのかしら。どちらもでしょうか。あべこべに感じて、みどりちゃんは少しばかり酔うようでした。
 先程、二人が歌っていたあの歌は、童貞様を称える歌でした。みどりちゃんも、音楽の授業で何度か耳にしたことがあります。
「ああ、ほら、花嫁さん。」
新郎に手を惹かれて、新婦が歩いてきます。その周りに、幾人もの着飾った女性たちが見えました。その綺羅びやかな光景を、みどりちゃんはうっとりと見ていました。詩杏ちゃんと都南くんの二人は、囃し立てるように、また歌を歌いました。それは、童貞様を称える歌。新婦達は、歌詞がわからずに、二人の少年少女に拍手を送りましたが、みどりちゃんの内心はひやひやとしていました。
「受胎告知。」
「本当は、きっと、天使様が伝えに来てくれるのが、一番きれいなのにね。」
「そんな。あんなにきれいじゃない。」
「きれいだけど、夜は乱れるだろう。罪だよ。」
詩杏ちゃんは、冷たくそう言い放ちました。そうして、舌打ちをして、
「けど、私も人のことは言えないだろうな。」
詩杏ちゃんの顔色は、人形のようになりました。美しい人形ですが、然し、感情が読めません。そして、都南くんは歌うのを止めて、
「セックスをしない大人はいないよ。みんな、セックスしてる。パパもママも。」
都南くんはそう言って、座り込むと、
「だってさ、そうしないと、子供は出来ないんだ。イエズス・キリスト様、童貞様は特別だよ。」
「ピーター・パンだって特別さ。」
「なんで特別?」
「大人にならない。セックスとは無縁だ。神様だって、セックスはしてるのに、これはすごいことだよ。」
「アフロディテは男から生まれたんだ。」
都南くんがそう言うと、詩杏ちゃんはしゃがみこんで、都南くんの方に頭を預けました。 
みどりちゃんには、二人共がやはりピーター・パンに見えますが、それも、泡沫の夢なのでしょうか。この幼い頃だけの夢なのでしょうか。

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