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稚児桜⑧

その八『鏡』

 日新館での武芸において、弓術・馬術・剣術・柔術・居合・砲術があるが、君は弓術、和助は柔術、そして駒四郎は槍術を最も得意としていた。駒四郎は、戦闘狂である。然し、別段喧嘩が好きというわけではなく、あくまで武芸武道の場での闘争を愛しているだけだった。負けん気は強い。一度、賊が屋敷内の竹林に侵入した疑いがあり、兄に代わって徒手空拳で飛び出すと、何を恐れることもなく、その者を召し捕えたという。結果、賊ではなく、隣家の下婢だった。その下婢は、主人に叱られたのを苦に逃げ出して、野村家の竹林に潜んでいたわけだ。事情を聞いて、駒四郎は隣家へと赴くと、その下婢の非礼を侘びた上で、どうか許してやって欲しいと言った。それを聞いて、主人はいたく感銘を受けて、その下婢を許し、駒四郎を勇猛果敢な少年だと褒め称えたという。君に、この一件は、恐ろしいことに思えた。幾ら武門の子に産まれたとはいえ、徒手空拳でそのような危険地帯に飛び込むなどとは、君には思いもよらぬ。真剣を持ってして迎えなければならないだろう。駒四郎は、頭に血が登りやすい。然し、同時に氷のような冷静さをもって、相手を見詰めている。自分が彼のようになるのは難しいことだろうと、君には思えた。
 思えば、日新館には斯様に武闘に長けた連中が多い。それは、稽古を積み重ねてきたこと、何よりも武家の血がそうさせるのだろうが、果たして、何時しか命のやり取りは自分の身辺にも起こりうるのだろうか。隣で槍を振るう駒四郎を見ていて、血が凍るようだった。
「何見てる?」
駒四郎は、君をひと目も見ずとも、口にした。中空を突き、声を立てた。
「いや、別に、何も。」
君はそう言うと、自身も巻藁へと槍を突き立てた。
「十文字槍。」
駒四郎は何事か呟いた。君が視線を向けると、
「十文字槍を使いてぇ。」
「まぁ、御前なら使いこなせるだろうね。」
君がそう言うと、駒四郎は鼻を鳴らして、
「頭の中の空想じゃよ、もうそれで稽古してんだ。」
また槍を突いた。鋭い突きである。十文字槍は、覚禅房胤栄を開祖とする宝蔵院流槍術の代名詞で、九尺柄に横刃を持つ槍である。名のごとく、十字で、その突きは無限とも言える刃圏を持っている。日新館では大内流などの流派もあるが、多数は宝蔵院流槍術である。
「使い所があるかい?」
「あん?」
駒四郎は手を止めると、君を睨んだ。君は向き直って、
「剣術も、弓術も、槍術も、全部、銃に取って代わってるだろう。」
「まぁ、それでも最後は白兵戦よ。」
「戦も、次はいつあるともなし。」
「近頃きな臭せぇ。どこそこで戦闘は起きてる。そりゃ、でかい戦なんてもう時代じゃないけどな。」
駒四郎はそう言うと、再び中空を突き始める。
「それに、剣よりも、戦じゃ槍が一番だ。これに勝るものなし。」
「達人なら、柄を斬っちゃうさ。すぐに間合いに入られる。」
「俺は達人になる。そんなヘマはしねぇ。」
駒四郎は、強く言い放った。君は、その突きの発する風音に、耳を奪われた。
 稽古が終わり、寮への帰り道、駒四郎の言葉が浮かんだ。近頃きな臭い。それは、確かにそのようである。討幕派の動きが活発だと、そのような話を聞いている。長州藩の高杉晋作が、奇兵隊なる軍隊を成立し、薩摩藩と手を組もうとしている。討幕の為の下地が、着々と整えられている。京都守護職として、帝のお側に居られる松平容保公の心労は如何許と、藩士たちが話しているの耳にもした。
 槍術場を振り返る。夕暮れが降りてきて、黒く染まった屋根瓦を焼くようである。君は立ち止まり、暫くの間それを見詰めていた。先程の、駒四郎の言葉がまた耳に蘇る。駒四郎は、戦いの迫っているのを、本能で感じているのか。長州と薩摩が手を組んだら、もし京都で戦乱が起きたらどうなるのか、そうすれば、京都守護職を担っている容保公並びに会津藩は、政敵として長州に疎まれるだろう。そもそもが、奴らの怨嗟は渦巻き続けているのだから。君は、脇差を抜いて、日を斬った。何度も、何度も日を斬った。辺りには誰もいない。その中で、幾度も剣を振り下ろした。一頻り、斬り続けて天を見ると、然し日は切れていない。そのままの、円い太平の形である。君は荒い呼吸で、その日の丸を見詰めていた。だんだんだと、帳が降りてくる。日はいくら経とうとも、二つに割れない。君は、日が暮れるまで、暫くその光景を見詰めていた。暗くなってようやくに、寮へと戻る。
 和助が酒を呑んでいた。いや、食らっているという方が、その形容には正しいのかもしれない。少し酔うようで、目に剣呑な灯りが宿っていた。
「何してた?」
「日を斬っていた。」
「火?火は斬れまい。揺らいでいるし、生き物のようだ。」
「俺の言う日と、御前の言う火は異なるね。お日様だよ。」
「ああ、天の日か。それなら、もっと斬れまい。届きすらしない。」
「日は毎日、新しく産まれるようだ。死んで、産まれて、また死んで、また生まれる。それを繰り返す。」
「日に新たにね。」
「まことに日日を新にせば、日日に新にして、又日に新たなり。」
君の言葉に、和助が微笑んだ。日新館の訓示であり、殷王朝の湯王がその言葉を自戒として使っていた。遥か古代、今よりも二千年以上の遥かである。その頃から、日は今と同じように巡り、恵みであって、王様にすら斬れない。
「神様にすら斬れない。」
「神か仏か…。どちらかには斬れそうだ。そういえば、御前が先日視たと言っていた白鷹。」
「うん。」
「それも日のようなものかい?」
「どうだろうな。あれは、啓示のようなものなのかも。でも、俺にはわからん。」
「日は昇り、降る。斬る斬られるなんて、そんなちゃちなものじゃなし。」
「わかってるよ。御前、俺を莫迦だと思ってんのか。」
「だってさ、そんな日を斬るなんて、どんな気持ちでそんなことしてんのかと思ってね。」
「日を斬る、そんなことすらする奴がいたらと思ってね。不安に駆られたんだ。」
和助は酒を煽った。あれほどの酒量を注ぎ込んだのならば、君ならば卒倒するだろう。
「所詮は人間同士の殺し合いさ。お天道様には関係ねぇ。」
「殺す覚悟はあるか?」
「どうだろうな。俺は人を斬ったことはない。当然、ほとんどの奴はそうだ。御前の親父様なら別だろうけど。」
「さぁな、所詮は田舎侍さ。」
「まぁ、殺す、殺されるの覚悟は出来てる。けど、なるべくなら、人を斬るなんて、そんなことはしたくない。」
また和助は酒を煽った。今日の酔いは深いらしい。
「やぁ、入るよ。」
「うん。待ってたよ。」
和助が言うと、襖が空いて、散切り頭の男が顔を出した。
「篠田。」
尚書塾一番組の、篠田儀三郎だった。やぁやぁと言いながら、にこにこと笑顔で室内に入ってくる。儀三郎のことは、何度か槍術場や弓術場でも見かけている。剣術も、中々の腕前だと聞く。然し、その柔らかい目差に、君は彼のことが印象に残っていた。儀三郎は君を認めると、やぁやぁと言って、そのまま杯を取り出すと、和助に酒を注ぐように目線で促した。和助は嬉しそうに酒を杯に注いでやる。そうして、二人して晩酌を始める。君はそれを見詰めながら、
「たまにこんなことをやるのか?」
半ば呆れながら尋ねると、和助は頷いて、
「飲めるやつは、あんまりおらん。御前の付き合いがよければ、別の塾の奴を連れてくる必要はないんだが。」
二杯目を注ぎながら、和助は憎まれ口を叩いた。君は苛立って、胡座を書くと、和本を手にした。
「こんな夜半まで勉強かい。」
君が顔を上げると、儀三郎が微笑みながら杯に口づけていた。酔で、頬が温まって、紅い寒椿のようだった。
「うん。最近、少し遅れてる。俺は要領が悪いからな。」
君がそう言うと、儀三郎は頷いて、うんうんと、酒を煽った。
「まぁ、のんびりでいいんじゃないかい。僕ら、普段勉強しすぎでしょう。」
「そうかね。」
「そうだよ。偶にはこう、酒を酌み交わすのも悪いことじゃない。」
「そうだよ、虎之助、まっこと、儀三郎の言う通りだ。」
和助が悪ノリして、君に絡んできた。君は無視を決め込んで、和本を浚った。
「そういうところだ、虎、御前に駄目なところは。いいか。ここにいる儀三郎、いいや、ここにおわす儀三郎殿下は、それはそれは義理堅い御方なんだ。彼はね、人との約束を破ったことがないんだよ。あれは、そう、何だったかな、とにかく、儀三郎君がまだ六つか七つの頃、朋友と蛍を見に行こうと約束していた。二人共、それはそれは楽しみにしてな。そうして、いざ蛍を見に行こうとしたその日だった。凄まじい嵐のような暴風、大雨が降り注いだ。当然、普通ならばお開きだよ。蛍なんて見れっこないわな。朋友も諦めて、屋敷でじっとしていたら、ドンドンと扉を叩く音がするじゃねぇか。あら、こんな夜にお客人?と朋友は親御さんに言われて、表まで出て扉を開けると、おら、ほら驚いた。まさかの儀三郎殿下じゃねぇか。片手に蛍籠、片手に箒を持っていた。どうしたんだ、こんな夜には蛍なんか出てきやしねぇぞと、当然、朋友は言うわな。するてぇっとだ、何。俺だってまさかこんな晩に蛍なんか出るなんて、てんで思っちゃいやしねぇ。でもな、御前とは約束を交わしたからな。今宵は蛍狩は出来ぬけれども、また、御前と蛍狩に行こうぞと、そう云うわけだ。それだけじゃねぇ。それから暫くしてだ、季節は冬だ。今度はまた、別の朋友の家で会合を開くことになった。然し、この時は寒空の下に、骨まで凍らせる冷たい雹が乱れ落ちだ。そんな寒い昼日中、無論、会合なんて、会場になった朋友本人ですら、あるはず無いと、もう頭から飛んでるわけよ。それなのに、また誰かが表を叩く音が聞こえる。ああ、まったくこれはもう、儀三郎殿下の十八番だね。朋友が表の扉を開けると、外は雹が滝のように降り注いでいる。それを背にして、ほら、殿下が寒さに歯を食いしばりながら、袴の股立を取ってね、両手には下駄を抱えて、そうして、扉が空いて朋友が顔を覗かせると、にっこりと微笑んだそうだってんだから、兎角殿下は義理堅い。」
和助は捲し立てるようにそう言うと、酒に酔って気安さから鼻歌を歌いだした。儀三郎はにこにことしたままで、酒を呑んでいる。
「今の話が本当なら、確かに随分と真摯な男だな。」
「まぁ、多分に話が大きくなっているけれどね。」
「へぇ。例えば?」
「そこまで大風でもなければ、そこまで雹も降ってない。」
「なるほど。でも、君が約束を違えないのは事実のようだね。」
「まぁ、損して得を取れってね。」
打算的に話す割には、雰囲気が柔らかい。儀三郎がいると、空気も軽く、心地よい。
「そうして、和助も見事に傘下に収めたわけだ。」
君が和助を指差して笑うと、もう和助は酩酊状態で、遠くを見ている。もう落ちた日の代わりに高々と上がった月を眺めながら、何やら譫言を囁いている。
「君はどう思う?」
君は、同じ様に気分の良さそうに酔っている儀三郎に尋ねた。
「どう思うとは?」
「つまり、長州と薩摩だよ。」
「ああ。」
「先刻まで、和助とその話をしていた。奴ら、だんだんと、力をつけてきている。」
「ああ。」
「君の見立てではどうなる?」
「わからん。正直な所ね。けれど、幕府は次の長州征伐に向けて、軍備を拡大しているとは聞いている。」
「京もきな臭い。」
「京は無頼ものだらけだ。新選組だって、統率が取れていないという話だ。」
「長州と戦になったら……。」
「大きな戦にはならないさ。飽くまでも容保公のお立場は守護職だ。寧ろ、帝に近いのだから。現に、帝が寄り添っているのは容保公だけだと聞く。幕臣共は、自分たちの利権を守るのに必死だ。帝を蔑ろにしている。」
「うん。損な役回りだ。」
「損かもしれないが、他に代わるものがないほど誉れがあることも事実だ。長州は、嫉妬しているのさ。」
「嫉妬ね。」
「ああ、まぁ、子供の戦のようなものだ。」
「それが大きく発展して、殺し合いか。」
「何れは。でも、それでも俺たちが関わるような戦じゃない。殿達が戦うのだろう。」
そう儀三郎は言って、杯を煽った。先程までのにこやかな表情が、幽かに曇っている。
「けど、戦になれば俺はすぐにでも戦うつもりだよ。」
「人を斬るのか?」
「其のために、ここで学んでいるのだ。御前もそうだろう?」
君は少し黙って、
「人を斬るためじゃない。藩を、人を治めるためだ。」
「治めるためには力がいる。綺麗事だけじゃすまないこともある。俺は、必要があらば斬る。けれど、御前の言い分もよくわかる。」
儀三郎はそう言うと、君を見詰めて微笑んだ。君は、どうすればいいのか、眉根をしかめたが、幽かに微笑んだ。
「尚書塾に、御前と気が合いそうな奴がいる。」
そう言って、またにこにこと微笑むと、少し待っていてくれと、ふらりと外へ出ていってしまった。和助は鼾をかいて寝ている。困ったやつだと、君はため息をついた。そうして、やはり、各々戦いへの意志があり、人を斬る覚悟があるのだと、そう思っていることに、君は当然ながらも、自分はまだ生半可ではないかと、迷うようである。このように、今は無防備に眠るだけの和助とて、今この場に火の粉が及ぶものならば、忽ちに斬って捨てるだろう。君は、怖いようで、人を斬る恐怖よりも、斬られる痛みにこそ、同調してしまう。それは、君が幼い頃から物語が好きて、空想や草子に描かれた人々の心根までに思いを馳せる、その特異な性質に端を発するのかもしれない。然し、彼らは英雄豪傑であって、彼らも又、人を数多殺して来た者たちである。それなのに、彼らが遠い人々に思えるのは、その罪科が、君にはまだ感覚としても理解出来ていないからかもしれない。
「入るよ。」
そう声がして、君の夢想は破られて、襖を開けると、先程とは変わって頬色の落ち着いた儀三郎、そして、その横に長髪長身の、眼光の鋭い男がいた。男は、眉毛が濃く、どこか天狗のような威圧感が備わっていた。じろりと、部屋を睥睨して、
「失礼する。」
とだけ呟いて、部屋に上がった。
「池上新太郎と申す。」
その名前を聞いて、あ、と、君は思い出した。池上新太郎。尚書塾で、最も剣の腕が立つ男。十一歳で四書、十三歳で小學の賞賜を授かったという、天才肌である。この男と、三礼塾の有賀織之助、この両名が同年輩で、日新館で一等目立つ立ち位置の少年たちだった。池上新太郎の名前を聞く度に、有賀織之助の名前を合せて上がってくる。君は、少しばかり引け目を感じてしまう。このようなことは、雅楽の時に、駒四郎に感じた以来だった。ここで、学ぶ度毎に、世相に名高き人々の少年期を見るようで、やはり、自分が如何に学ぼうとも、生まれながらに才気走った者との違いを、直視せざる負えないように思う。そのように見ていると、新太郎は目を細めて、
「ああ、石山虎之助、君がか。」
思わず、新太郎に識られていたことに、君は驚いて、
「俺は、君に会ったことはない。いくつか、見かけただけ……。」
「うん。そうだ。でも、俺は知ってる。君は、弓術ならば並ぶ者がいないとされている。石山家は、代々追鳥狩の名手だと聞く。」
君は、驚いた同時に、何か心が温かくなるものを感じて、それは何故なのだろうと、ただ顔に出ぬよう、はにかまぬように、唇を噛み締めた。
「それは光栄なことだ。君のことは俺もよく知ってる。文武に長けた、日新館の太陽。」
「大げさだ。俺は優等生を演じてるだけだ。太陽ってのは、有賀とか、井深とか、ああゆう天才肌を云うんだ。」
「一理あるな。」
儀三郎は新太郎の横に腰を下ろして、またにこにこと微笑んでいる。
「こいつが、御前に会わせたい奴がいると。」
「俺も、彼にそう言われた。」
「どうしてだ?」
二人の声が重なって、同時に儀三郎を見た。儀三郎は、そのあまりにも調った二人の声に思わず笑いを漏らして、
「うん。御前達は似ていてしょうがないと思えてね。どちらも、頑固そうで、真面目ったらしくて。似ている似ている。」
そう言われて、君と新太郎は顔を見合わせた。新太郎の方が君よりも、三寸は背が高い。
「例えば、どの辺りが?」
君に言われて、儀三郎はううんと天を見上げた。
「俺はね、言葉にするのが、あまり上手くないんだが……。そうだなぁ、でも、二人共、すごく藩校の士って感じなんだ。頑なに、その美学を全うする。童子訓を、座右の銘にしている。」
そう言われて、二人共儀三郎を見て、同時に声を上げた。
「御前は童子訓を粗末に思っているのか?」
儀三郎は慌てて、
「違う違う。違うよ。無論、大切な教えだが、御前達は、あの教えを骨身に染み込んで、そうして、自分の物にしている。その凄みが、その品格が、風情から匂う。それが、似ているのさ。」
匂うと言われて、君は慌てたが、然し、新太郎は、
「俺たちは、そのように言われて育まれてきた。この山で、この町で。御前もそうだろう?」
「如何にも。俺たちはそのように育ってきた。でも、俺は正直、迷うこともある。御前達は、迷っても、恐らくはこの教え一途に、それを透徹するだろう。御前達は鈍らじゃない。ぞっとするほどに鋭い、会津の刃だ。」
そこまで話すと、儀三郎はまた微笑んで、
「さぁさぁ、呑もう呑もう。」
と、和助の杯を奪って二人に酒を振る舞う。そうして、先程の酔が残っていたのか、突然、倒れるように、儀三郎もまた、眠りについた。そうすると、虫の音と、月の音だけが、静かに耳鳴りのように二人を包んでいる。
 月を見ながら、君は新太郎の横顔を見ていた。新太郎は、その視線に気づき、杯を上げると、
「思いつめた顔をしている。」
そう問われて、君は、
「君は、これからの世の中、どう変わっていくと思う?」
「世の中?」
君は、今日はこのような質問ばかりだと、自分の心がさざめくのを、自嘲するように微笑んだ。
「うん。もうすぐ、大きな戦になるとして、会津は、どうなると思う?」
「長州とのか。」
「そうだ。」
新太郎は、少し顔を下げた。生真面目そうな顔をしている。然し、真剣に考える新太郎の目は燃える火のようで、その火の熱いのに、君は酔ってもいないのにほほが熱を帯びるのを感じる。
「何れにせよ、藩を守るために、俺は戦う。其のために、産まれてきたのだと。」
「人を斬れるか。人を斬ったことはあるか?」
新太郎の目差が君を射抜いた。君はそれを受け止めた。新太郎はため息をついて、
「人を斬ったことはない。斬りたくもない。」
「そうか。」
「うん。御前は?」
「俺も、斬りたくはない。」
君はそう言って、脇差を抜いて、格子から幽かに差し込む月明かりにその刃を濡らした。その銀の月を見詰めながら、君は、そこに映る新太郎を見た。彼も、同じ様にその刃を見詰めていて、俺達は鏡のようだと、その時に儀三郎の言葉がすとんと臓腑に渡った。
「斬りたくはないが、斬るしかない。戦になれば。」
「藩のために斬る?」
「人のために斬る。」
君は頷いた。俺たちは、恐らくは、この中でほとんどの人間が人を斬ったこと、斬り殺したことはない、それは、今霧散しようとしている。互いに、人として成るために修めてきた武を、人に放ちその魂を奪うのであれば、それは何のための武道か。君は、埒も無い考えに囚われながらも、然し、同時に安心があった。昨日今日、会ったばかりの男である。然し、彼は君を知っていて、君も彼を知っていた。鏡だった。そうして、その鏡と初めて話をして、君は、和らぎのようなものを、覚えていた。

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