見出し画像

和学道より転載

私の開いているFacebookのページ
和学道より転載してます。

久々の投稿になります。
世の中はコロナの騒動で、変化してきてますが、皆様どうお過ごしでしょうか?
今話題の家にいよう。
これは、守られてるようで守られていない。
なぜなら、ニワカDIYが増えたのか、お店は混雑、そして、子供連れ、
観光地は締め出しを始めるし、色んなところに歪みを作りながら、守られてる風を装ってるからですね。

どこかでみんな、どうにかなる。なんとかなる。
別に大したことではない

という括りになってるからね。

いたずらに怖がりすぎも良くないけど、知識をきちんと持って生きるのは動物として当たり前の行動なので、その範疇で行動して欲しいと思うです。

今日の話は
新しい生活様式について。

公に発表したこのスタイルに少し疑問を感じたので。

このスタイルが今後定着し、それに準じていかねばならないことは充分わかった上であえて言わせて貰えたらという話です。

人はそれに慣れなければならないという言い方を目にしたのですが、
慣れるという行為は、私は好きではなくて

身につくと慣れるは、似て非なるものです。

躾が身につく、
所作が身につくは、功を奏するに値しますが、

慣れるというのは、妥協に値します。

人は慣れてしまっちゃいけないものって沢山あると思うですね。

この新しいスタイルは

人に対して機械的に接することを推奨しています。

それは、情けとか愛とか、そういうものを人に与えてはいけないということに感じてしまいました。

うつさない、相手のためを思って、の名の元に、
距離を保つのは

とても愛情深い行為に見えますけれど、やはり機械的に感じてしまいました。

肌の温もりも、相手の目を見て話すことも、
ハグをすることも
禁じられると人はどうなるのかな

それに慣れなければならないというのは

断定で、断定することって、何権利?

慣れては行けないけれど、
受け入れる時には受け入れます

ですが、
その気持ちがおかしいのだというのを
「忘れては」いけないのでは無いですか?

という人間でありたい。

さて、
そこまでに心を保ち続けられる人が今の日本にどれだけいるのか

この国の人間はみな
かつて、武士道を貫き、
凛として生きてきました。

この由々しき事態に右往左往したりしなかったかも知れません。

情報に流されて、右往左往しているのは、
かつての日本人としての思想から、現代に慣れてしまったのでしょうね。

この時期はみんな、一致団結だと、
気持ちをひとつにしても

その根底に
また、愛する人たちと触れ合える時が来ることを望んで行動したはずです。

この先、
機械的生活様式に慣れて行くであろう
今の日本人の思想って

なにか違ってしまったなと
つくづく思いました。

愛は、もろいとかよく言われますが

それは違います
本当の愛する気持ち、愛でる気持ち

そして、想う気持ちは不動でなくてはなりません。

私はこの気持ちを持ち続けられる日本人でありたいと強く思いました。

何度も突然失職させられ立ち上がりましたが、今回はきついです。 大事な縁隊長のご飯代をカンパ願えませんでしょうか? あなたの愛が今私たちを救います。よろしくお願いします。