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特別になれるような気がしている

なにか特別になりたかった。
特別になれるような気がしていた。

自分にはまだ秘められたなにかがある。
そんなふうに唱えてきた気がする。

だけど、「大人」と呼ばれる歳になった今も
結論ありふれた凡人で、
そんな自分にがっかりする。
勝手に期待されては、失望される自分も可哀想なもんだなと我ながら思う。
なんとカオスな思考。

そうして、しばらくするとまた同じように
「きっとまだ見ぬ可能性を秘めているはず」
だなんて、まだ会っていないいつかの自分に期待を馳せる。

いつかの自分への期待を捨てきれないのは、きっと私だけじゃないはず。
(そう思いたい・・・)

この堂々巡りをいつまで繰り返すのだろう。
もしかしたら一生こうなのかもしれないし、
いつか諦念感情がフワッと舞い降りてくるのかもしれない。

頑張ろう思えば大抵のことは出来るけど
興味がないのに始めたり、急に飽きがきてしまったり、
そういうことってまあ続かないんです。

時に「試しにやってみたらどハマりしました!」
ということもあるんだろうけど、
直感的なセンサーでハマるハマらないって
ある程度は最初のうちに決めてしまうように思う。

大人になれば尚更のこと、
自分で取捨選択できる幅が広がるから拾うことも、また、捨てることも、
よくもわるくも簡単にできてしまう。
(自分で取捨を判断できて、そこにある価値も決められるから大人になれてよかったなとは思う。)


そうそう、話は少し脱線するが
私がこの短い生涯の内でハマったことといえばバレエ一択だ。

小学生から始めて7年程習っていた。
アラサーの今でも時々踊り出してしまうくらい、
トゥシューズでまだ立つ練習を続けているくらい、
大好き。

バレエはずっと楽しくて家の鏡の前でひとり発表会を開いていた。
ちいさなことでも出来るようになることが嬉しくて、嬉しくて。
飽きることがなかった。

こういう「楽しい!」「好き!」のモクモクとわきあがってくる感情を思い出させてくれるバレエには感謝だ。

これから先、無邪気にバレエと向き合っていた頃の自分のような自分に出会えるかな。

環境、歳を重ねるごとの心身、思考回路、優先順位、
変化の中で自分なりの特別を見つけられますように。

もしかしたら長いトンネルの中にいるような気持ちになることもあるかもしれないけど、
トンネルも進めばいつか出口の明るさが見えてくるはず。

特別になりたくて、なりきれない自分を責めないで
これからも期待と絶望を繰り返しながらとりあえず1つ1つ歳を重ねていこう。



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