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松澤七郎平 田宮流居合術の達人

松澤七郎平
明石藩の田宮流居合術の師範
江戸詰の剣客で、江戸でも評判の名人だった。

ある時、幟竿を二つに斬り、幟竿は地面に倒れず「斬った竿は立ったまま」だったという話が広まった。※松澤がその場を去った後、しばらくしてから地面に落ちた。

幟竿

この話を聞いた人物に「のぼり竿」を斬って、しばらくして地面に落ちるのはおかしい。
そんなことは「不可能」だと言われた。

さらに
そもそも「讃岐丸亀」の外に紀州から伝わった「田宮流」はないと当時の「田宮流」のいきさつをあれこれ言われた。

松澤はそれでも譲らなかった。

お互い譲らないので、この話は熱をあび
諸藩の多くの剣客を集めて「試し斬り」大会をしようという流れになった。

場所は「隅田川」
「試し斬り」の方法は川に流した「瓜」を斬る事
流れに乗ってくる瓜は反転しており
多くの剣客は上手く斬る事ができなかった。

そんな中、松澤七郎平は「流れてくる瓜」を見事真っ二つに両断した。
しかも、斬られたはずの瓜は12間※約21m流れた後「2つに割れた」。
これを「見た」多くの剣客達は松澤こそは「名人」であると称賛した。

この後「名人格付け」に柳生但馬の子である柳生又二郎が名人第一位だったが、松澤七郎平はさらにその上に名前を書き加えられた。

安永4年、明石に帰った松澤は藩主にベタ褒めされ禄高も増えた。
※安永4年「1775年」

松澤が神社の境内で居合の稽古をするのを見ていた人には
「目にもとまらぬ速さ」で「ただ手が動くのを見る」のみであったらしい。



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