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相手のためを思って

私は関わる人に深い愛を持って接するようにしている。
相手が聞きたくないと思うような指摘をすることもある。

そんな姿勢でいたからか、相手を傷つけてしまったり、嫌われてしまったりしたことは少なくない。それでもいいと思っていた。「相手のためを思って」したことだから、どう思われてもいい。嫌われてもいい。そう思っていた。

でも、心のどこかで寂しい気持ちも抱えていた。

私はこんなにも「相手のためを思って」やっているのに。という自分の思考に縛られて身動きが取れなくなっていた。

そういった失敗を重ねてきて、今、思うこと。

「相手のためを思って」と言う時、
それは結局は、自分のためだということ。

自分にメリットがあるから。
言わずにはいられないから。

本当に相手のためを思うなら、
「あなたのためを思って」という前置きは不要なはず。

例えば、男性のズボンのチャックが開いていたら
「あなたのためを思って言いますけど、ズボンのチャックが開いてますよ」とは言わないはず。

必要なことをサラッと言う。
相手がそれをどう受け取るかは相手に任せる。

そんな姿勢を心がけていたら
家族や友人、そしてクライアント様などから
感謝されることが多くなった。

最近も、友人に「余計なお世話かもしれないけど」って内容を伝えたことがあった。以前の私なら、「そんなのおかしい」「やめたほうがいい」という想いを持っていたので、そういう伝え方になっていたと思う。友人からも「変わったね」と言われた。

「余計なお世話かもしれないけど」「お節介かもしれないけど」という前置きが、自然と私の中から出てきた。「あなたのためを思って」と言われると、そう言われるのとでは受け取り方が全然違うと思う。

「相手のためを思って」と思ったり、言いそうになったりしたら思い出してほしい。それは本当に相手のため?それとも自分のため?



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