虫恋の恋愛観について

どうも。一生駆け出し作曲者の虫恋です。普段は音楽とかエロゲとか作ってます。今回は、タイトルにある通り虫恋の恋愛観について書いていこうと思います。どちらかというとこれから自分で作曲するときにぶれないようにするための備忘録的な感じなので、あまり公にとって益になる情報とは言えないと思います。まぁ、しょうもない高校生のクソデカ独り言だと思ってみてくださいな。

さて、私の恋愛観について語る前に、これからこの独り言を理解してもらうために覚えておいてほしい単語がいくつかあります。それは、

  • サヨナラダケガ人生ダ

  • 刹那的恋愛観

です。これらの単語を覚えておいてもらうといくらか理解は楽になるんじゃないかなと思います。

さて、「恋」という感情ですが、はっきり言って自分でもよくわかりません。ラブソングばかり書いているお前がそれはどうなんだ、って感じですけど。大体曲の詩を書くときは自身の理想を言葉に落とし込むようにしてます。理系の学生らしく定義が知りたくなり、辞書を引いてみると、

恋(こい)とは、ある人を好きになってしまい、寝ても覚めてもその人が頭から離れず、他のことが手につかなくなり、身悶えしたくなるような心の状態。 成就すれば、天にものぼる気持ちになる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B
恋-Wikipedia

だそうです。なるほどなるほど。じゃあ「好き」って何なんだと。そう考えると詰まってしまうわけなんですよね。日常生活でよく「この曲が好きだ」とか「この食べ物が好きだ」などと多用しますけど、果たしてここで言う「好き」とそれらの「好き」を同意義にしていいものなのかと。まぁ良い訳が無いんですが。「この食べ物が好き」っては簡単に言えるのに、「あなたが好き」っていうのはなかなか言えないじゃないですか。言える人がいたら教えてください。

じゃあその違いはなんなんだよ

まあそうなるわけですよ。これに関して僕なりに簡単に考えてみると

  • 日常生活での好き=無くなることのない、そこにある物への「好き」(概念が「好き」)

  • 恋愛上での好き=無くなってしまうかもしれない物への「好き」(それ自体が「好き」)

だと思います。

日常生活での好き

日常生活で良く使う「好き」っていう単語は専ら無くならないものや無機物に対して使われるものだと思ってます。例えば、林檎を例に挙げましょうか。「この林檎が好きだ」そうですか。ではあなたはその林檎じゃないとだめですか?その林檎とは全く違う重さで違う形状で、違う時期に採取されているけど同じ味のする林檎ではどうですか?おそらく何ら問題もなく「好き」だと答えるでしょう。この場合での「好き」の対象は「林檎そのもの(それ自体)」ではなく、「そういう味のする林檎」という概念なわけです。その林檎自体は食べても無くなりません。またお金を払えば「そういう味のする林檎」が手に入るわけです。

恋愛上での好き

恋愛上で使う「好き」っていう単語は無くなってしまう(失ってしまう)かもしれない物に使われるものだと思ってます。例えば、あなたが「好き」だという人がいたとして、その人と全く同じ顔で、全く同じ声で、全く同じ体系を持っている人は好きですか?まぁクローンみたいなものです。僕は嫌です。裏でこそっと入れ替わってたりしたら分からないと思いますけど。この場合での「好き」の対象は林檎の場合と違って、「その人そのもの」なわけです。人間というのは上で挙げたものとは違い意思を持っています。自分の言葉一つでその意思を変えかねないのです。あなたが「好きだ」とその人に伝えて、あなたが嫌われたらもうそれ自体は戻ってきません。

物凄く分かりにくいと思いますけどざっくりと言えばこんな感じです。その概念が好きなのか、それ自体が好きなのか。それが違いだと思ってます。じゃあそれを踏まえたうえで語っていきましょう。

サヨナラダケガ人生ダ

最初に書いたこの言葉、覚えていますか?「サヨナラダケガ人生ダ」。かの有名な小説家、井伏鱒二氏が漢詩、「勧酒」を訳した時に生まれた言葉です。

勧酒
勧君金屈巵  君に勧む金屈巵きんくつし
満酌不須辞  満酌辞するを須もちひず
花発多風雨  花発はなひらきて風雨多し
人生足別離  人生別離足る

コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

漢詩「勧酒」
訳・井伏鱒二

大雑把な意味は、「この杯で酒を飲んでくれ。並々と注いであげる。花が開けば風雨で散ってしまうように、人生は別れがつきものなんだから。」みたいな感じです。どういうわけか、人生には別れがつきもので。昨日は元気だった人が事故でいきなり亡くなってしまう、みたいなことがざらにあります。さらには、人間は必ず別れなければいけない時が来ます。「死」です。「死」は何物への別れを意味します。

この言葉が何か関係があるのか。最初に言ったもう一つの言葉、覚えていますか?「刹那的恋愛観」です。

刹那的恋愛観

「刹那」って言う単語は一瞬、瞬きする間もなく見たいな意味ですね。「刹那的恋愛観」っていうのは、「せめて今一瞬だけでも良いからそばにいたい」みたいな考え方です。これに対して「ずっと一緒にいたい」っていうのが「永劫的恋愛観」です。でも、一生一緒にいることなんてできません。「サヨナラダケガ人生ダ」。必ず人は別れなければならないのです。つまりまぁ、願うだけ無駄なんですよ。そんなの。だったらせめて、今一瞬だけでもあなたのそばに居たい。みたいなのが私の考え方です。例えば花火を見る一瞬だったり、例えばキスをする一瞬だったり。その一瞬一瞬を大事にしたいんですよね。だから僕の書く歌詞にはそういう情景描写を落とし込むようにしています。

告白

で、これらの考え方の元、告白という行為について考えてみようと。最初に自分の考えを述べておくと、「告白しなくても良い」です。告白ってのは「あなたのことが好きです」って伝えるアレですよね。目的としては、「ずっと一緒に居たい」とかそういう願望の元やるわけですよ。まぁそんなのは無理なんですけど。それで告白にはリスクが伴います。その人を失ってしまうかもしれないんですね。まぁアレです。告白して疎遠になる的な。失うぐらいなら今一瞬だけでも一緒にいたい。なら、告白しなくても良いか。ってことです。一生片思い。それで良い。だってあの人と会えるから。

伝えるには何もかも遅すぎて

失ってから気づくものってありますよね。人間ってバカなので当たり前って思っちゃうんですよね。失ってから気づくんですよ、「あぁ大切だったんだな」って。
これって「恋」でも同じことがあるんじゃないかなって思ってます。サヨナラの後に気づくんですよね。「あの人と一緒に居たかったんだ」「あの人と一緒にいる時間が楽しかったんだ」って。でももうそれは戻ってこないんですよね。「伝えるには何もかも遅すぎて」。BSSとはまたちょっと違いますけどね。結構これ僕好きなんですよ。完全に僕の実体験のせいなんですけど。それについてはまた今度。

まぁめちゃくちゃ読みづらいと思いますけどこういう理屈です。こじらせとか色々言われそうですけど。こんな考え方の元で歌詞を書いてるのでわかるとちょっと歌詞が分かりやすくなるかもです。


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