超自分語り(小中学校)

楽しくない憂鬱な保育園を卒園した私は、まちに一つしかない小学校へと入学しました。田舎なのでひと学年40人ほど、中学も一つしかないのでそのままの顔ぶれで9年間です。

正直、小中学校のときのことはあまり覚えてません。運動神経がないんじゃないかというくらい悪い私は体育が大嫌いで、体育するくらいなら勉強の方が良かったです。実際勉強ではそれほど困ることもなく、実際よりできないフリをすることもありました。目立つのが嫌だったからです。学校ではいわゆる優等生で、先生に怒られることも殆どありませんでした。

だけど小学校も中学校も、私は楽しくありませんでした。とにかく体育がつらかった。特にマラソンの時間が嫌でした。

私は小児喘息のせいもありよくマラソンを休みました。これが本当につらかった。マラソンが嫌いなのはみんな同じです。みんながつらくても頑張ってるのに、自分はしなくていい。実際のところ、喘息のせいで皆のように走れないのか、単に根性がないだけなのか。自分は逃げていると思いました。だけど全身全霊で頑張っても、私は一番最後に泣きながらゴールすることが精一杯だった。とっても悲しかった。周りができていることが、なぜ自分にはできないのか?考えてみても、誰かに訊いてみても答えはない。「みんな辛いけど頑張ってるんだよ!」とか「甘えるな」とか言われるのがせいぜい。ちなみにこのつらさは高校時代も続き、今も続いていると思います。あんまり覚えてないといいながら結構覚えてますね笑

中学時代、部活は吹奏楽をしていました。私はサックスを担当していたのですが、本当に下手でした。自分では最大限努力しているのに指が回らない。でも本当に好きだった。結局コンクールで金賞を取ることさえできませんでしたが。地区大会で大きなまちの強豪校の演奏を観ると、怖気付きました。レベルが全然ちがうのはよくわかりました。それでも楽しかったです。

こうして振り返ってみると、

「自分では限界まで頑張ってるのにまわりの足元にも及ばない」

こうした経験がいろいろあるなあと思いました。皆ができることが自分にはできない。未だに私を苦しめています。


つづく

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