人は何のために生きるのか

私達は何のために生きているのか、これ以上大事なことはありません。
これについては古来、幸福と明らかにされています。
私達は幸せも求めて生きています。

その幸せをいろいろな手段によって手に入れようとしています。
いい大学に入って、結婚して、収入の大きい仕事について、旅行をしたりして。

人それぞれ手段は違いますが、幸せを求めています。

例えば、コーヒーと紅茶、どちらか
ホットとアイス
ミルクはつけるかつけないか
シロップはありなし?
どちらが幸せにれるか、人生は選択の連続です。
苦しいことを嫌って、幸せを求めています。

今まで砂糖3個の人が今回は1つにした。
一見、不幸に向かっているように思うが、未来健康になりたいと未来の幸せを求めています。

そうやって幸せになれそうなほうを選んで生きてきて、幸せになれているでしょうか?
自殺者数は、毎年2万人を超えています。
10年に一度の東日本大震災でも2万です。

1日100人、1時間4,5人が今日もどこかで自殺しています。
20-30代の若者死因のトップ自殺です。

平和、豊かな日本で自殺をしています。
幸せな人が自殺はしません。
幸せを求めている人が幸せになれないのかというと、幸せに2つ有ることを知らないからです。

それが、相対の幸福と絶対の幸福です。

相対の幸福とは、比較して喜ぶ幸せです。
これが立派になれば、
恋人や友達があれば、
比べることによって、幸せを感じます。
1万円の小遣いをもらっただけでは幸せかどうか分かりません。
友達は10万もらっていたら、喜べなくなります。
反対に、1000円しかもらっていない人がいると幸せを感じます。

比べることで、幸せを感じるので、必ず競争になります。
勝ち組とか負け組といわれます。

そんな人生を芥川は、オリンピックゲームに似ているとたとえました。

生まれた時にスタートをきったようなものです。
絶えずレースが強いられます。
小学校なら算数の成績勝ちたい。
50m走は、社会に出てからあまり役立ちません。
それでも競争して追い越すと、次のライバルが現れます。
部活で優勝した、すると、県大会、全国大会と強敵が現れます。
追い越すまた新たな敵がいます。
何とかそれを乗り越えようともがきます。
やがて追い越した時によかったと達成感があります。
それもつかの間で、もっと上を善いものをと走りだします。

また追いかける人が現れてくる、もうここまで来ていたか前の人を見ると
何とか追い越したい、追い越そ追い越そうとします。
後ろの人をみると、今の幸せも実感できず、今の状態も安心できない。
せっかく手に入れて喜びも続かない。

でもその幸せが続かないと満足できないので、変わらない幸せを求めています。
ところが、絶対の幸福は、『歎異抄』に、「摂取不捨の利益」といわれるように、一度完成したら変わらない幸せです。

それこそ、みんなが求めるものなのです。


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