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聖者の哀れみ

仏典には、このような記述があります。

『一人の人が、無始(むし)以来、輪廻に生死を繰り返している中で、無数にさらしてきた屍を積み上げれば、完全無欠山(かんぜんむけつざん)よりも高く、流してきた涙を集めれば、四海(しかい)の水よりも多い。』


お釈迦様をはじめとする聖者方は、
輪廻の苦しみを知り、苦しめる魂の解放を願って修行を続けました。

お釈迦様の哀れみについて、仏典はこう語っています。

      〜〜〜

かつて仏陀が熱地獄に生まれた時のことである。
仏陀はカマルパという仲間と一緒に燃えさかる地獄の荷車を引いていた。


暑さ重さで二人のカでも荷車を動かすことができないでいると、地獄の獄卒(ごくそつ)たちが責めたてて、その苦しみはたとえようもなかった。

その時、仏陀はこう思った。

二人で引いても動かないものならば、わたし一人で引いて苦しんだ方がましだ」。

そこで、カマルパの握る燃えさかる棒をとって獄卒に、「わたし一人で引きます」と言った。

獄卒たちは怒って、「だめだ、だめだ、おまえら二人で引け」とわめき、仏陀をしたたかなぐりつけた。

しかし仏陀は、この時めざめた美しい心によって地獄から救いだされ、神に生まれ変わった。

仏陀の心に利他の望みが生まれたのは、この時がはじめてであるという。

(中沢新一『虹の階梯』)

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