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保育に対する私個人の考え方

私は昔から保育で「皆んなでつくるよ!」と子ども達を全員集めてやるのが嫌でした。

ある保育園では「子どもたちが自然な感じで作れるように」「一人ひとりが違う個性を発揮できるように」などなど保育で難しいことを要求される毎日でした。
たくさんの子ども達がいて、たくさんの課題を出されて苦しくてたまらない日々でした。
負けず嫌いな私はとにかく頭を捻って試行錯誤していました。

私はこの頃ほとんど、保育終了時間まで仕事していました。
シフト時間は毎日違い、時間が早まってくるシフトなので、睡眠時間はほとんどなく4時間寝られたら良い方でした。
へたをすると一睡もできないこともありました。
さかのぼること、保育士・幼稚園教諭・秘書士資格をとるため、短大の時間割はほとんどギッシリでした。保育の課題があったりで、そのころから睡眠時間は数時間しか取れない生活が始まりました。
そんなことをしていたら、不眠症になり疲れないと寝られない状態に陥りました。
まわりに相談しても「嘘だ!寝れる」「私なんか…」とまともに聴いてくれないし、私が欲しい言葉をくれないので、相談しても無駄なんだと気づいてしまったんです。
そこから、自分がやりたいことをするには自分がしっかり知識を身に付けることが大切だと思ったんです。


「もう少し自然に全員がやれる方法があるから」と、次々に高い要望がきました。
私は「え、まだやらないといけないの?じゃあ、他の視点から探さないといけないかもしれない」とまじめに考えていました。なぜか楽しんでいる私もいました。辛いけど、どこかワクワクする気持ちが入り混じっていたんです。

ところが、一緒に組んでいた保育士は「私の考えが全く理解できない」とそこから嫌味が始まりました。

精神的には「保育を高めたい!」という私個人のプライドがあったので、職場の人間関係よりも自分の夢を優先していました。

まわりの人間関係のために保育の質を低めても面白みがないのがどうしても許せなかったんです。
それに一緒に組んでいる保育士には考えを伝えましたが、ちょっとしたことですぐに愚痴が始まるので、全く質が高められないことに遅さやネガティブなことに付き合っていくことが耐えられないことが増えていきました。
そして、「つまらない」と気力が湧いてこなくなりました。

「どうして、愚痴ばかり女性は言うのだろう?」それが一番鬱陶しすぎて、「ネガティヴなことからはネガティヴしか生まれないのに!」と、相手の精神力の弱さに呆れていました。
愚痴を言っている暇がかったら、書物とかで調べたりすれば何かアイデアが浮かぶかもしれないのに!それもしないのに、私にもそんな無駄な時間を割いてくるのが我慢の限界でした。

休みの日も研修で勉強会に行っていて、プライベートの時間はほとんどない状態でした。しかも、その研修は私が希望したわけではなく、他の保育士が希望していたものが「私が受けたい」と勘違いされてしまったことからはじまりました。勘違いと分かっても「私が受ける」ことに変更はありませんでした。

「なぜ…私が受けるの?」と、心の中で叫ぶ私。


「東洋経済ONLINE
他人にマウントをとる人のあまりに情けない心理
他人の価値を落として自分の価値は上がるか」より

マウントには乗らないが勝ち


マウントを取るというのは「自分のほうが上なんだぞ!」というアピールをすることです。自分を大きく見せようと「国立有名大学の出身」や「一部上場企業に勤めている」と自分のステータスや実績などをアピールしてきます。

マウントを取る人はいったい何を考えていると思いますか。マウントを取る人というのは承認欲求が強い人です。承認欲求というのは「周りからすごいと思われたい、認められたい」という欲求です。そして、承認欲求が人一倍強いのに、その裏では自信がなくて不安でたまらない。自尊心を保てなかったり、努力して自分の価値を上げることができなかったりします。

一方、人間なら誰でも「自分には価値がある」と思いたいものです。だからマウントを取って「お前より俺のほうが勝っている」と思えれば自分のプライドが守られます。

こうやって他人の価値を落として相対的に自分のほうが優位に立とうとすることを「引き下げの心理」といいます。

マウントを取る人は周りの目を気にして小さなプライドを守ろうとしている気の毒な人ともいえます。だから、何か自慢されても「へーそうなんですねー」とだけ言ってスルーしておくのがいいです。

他人にマウントをとる人のあまりに情けない心理
他人の価値を落として自分の価値は上がるか


上記の心理を科学的根拠に基づいて理解できれば人に振り回されない!

このように「スルーして良い」となっているのに、しつこい人は「こんなのは違うと否定してきます」
そういう人にいくら私のやることを説明しても理解できないのです。

これまでに「note」にまとめてきたものを読んだとします。
そうすると、ひとまずやってみる。だけど、「何なの?」と全く理解できず、「自分の方が上だと」マウントや愚痴をはじめるのです。
理解できないのは当たり前です。
それをやったところで、私がそこで「何に気づたか!」は、私の感覚です。

私は「得た知識をまとめてインプットからアウトプットにするため」にnoteを利用しています。

もし、やってみて分からないは当然だと思います。文章では全ては表せないのです。

私の頭の中を整理するために書きたいことを自由にできて心がスッキリしていきます。
書いたものは投稿しても今後、最新の情報や他の情報をプラスしたりして内容に手を加えることでより良いものになると思います。


私は人に話してもマウントや嫌味が凄いので、スッキリしませんでした。
会話をするとどんな人も「自分の話をはじめます」それが嫌なんです。
「私は邪魔されずに伝えたいし、私の内容を理解してくれる人が理想的です」
ただし、私が伝えたことを理解しているのかは私の感覚的なものです。
私が自分の考えを話すとまわりは怒りや話を切ります。
これはその人達も心がスッキリしていないんです!
かわいそうですね!
そう思ってスルーしています。

心がスッキリしない人にも今後の人生が変わるように考え方をまとめようと思っています。

私は人に振り回されず、好きなことをして自由な発想力で人生を生きていきたい!

よく「結婚するのが幸せ」「友達と飲み会や遊ぶのが人付き合い」とか言ってくる人がいますが、
今の世の中、何が自分の幸せかは人それぞれです。

私は、自分のために時間を使いたい。そして子育てや発達障害児、保育士さんにより良い情報をつたえたいのです!
それが今の思い。そして、未来に向けてできることを増やしていきたいと考えています。

この私の文章を読んでイメージは人それぞれです。
イラつきやネガティヴなことを言う人は心が満たされていない証拠です。
それにまずは「気づく」ことが大切です。
素直にそれが認められる人だけが良い方へ変化するのだと私は思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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