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青木繁と布良の海 2.
2023年の3月、私は疲れていた。
年度末はいつも忙しいが、特に忙しくて毎日残業ばかりだった。
私は配偶者に宣言した。
「繁忙期が過ぎたら、遠方に出かけたい」
答えは「いいよ」という明快なものだったので、私は喜んだ。
今回の3月は特に忙しいのできっと手取りもいつもよりいい筈と思った私は「2泊でもいいかなあ?」と家族に確認し、全員からOKをもらったのですぐに飛行機の往復チケットを確保した。
千葉県館山市に行きたかったのだ。
千葉県館山市といえばイヌマキの高い生垣で有名な場所がある。郷里が台風のよく当たる場所にある私はなぜか似たような場所にシンパシーを感じており、以前も高知県の室戸市(室戸台風、室戸第2台風で有名)に行ったことがある。今度は館山に行って、イヌマキの生垣を見たい。そう思っていた。そして千葉に行くなら泊まりたい旅館がある。
まて。
千葉県館山市……
館山……
脳の抽斗がぎぎっとかすかに軋んで開いた気がした。
青木繁のいた場所は館山ではなかったか?
あわてて記憶の片隅にしまっていた情報を探すがあまり役立たなかったので芸術新潮を探した。家が汚いので探し出すのに数週間かかったが、なんとか見つけ出した。
青木繁特集号。関東の地理に疎いので忘れかけていたが、青木がひと月半
逗留した場所は館山市の文化財になっていると書かれていた。これはもう、行くべき時が来たのだ。
私が布良地方を訪れたのは千葉に到着してから2日目の朝だった。
早くに宿を出てイヌマキの生垣が多く残る地区を散策し、ちょうど10時ごろに到着した。前の晩に降りはじめた雨は生垣をめぐっているときに一度小降りになったものの、車を走らせているうちにまたざあざあと降っていた。レンタカーを近くの駐車場にとめて目当ての場所へ。
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眼下に見えるはあこがれの小谷家住宅。
千葉に来る前に予習をしていたが、小谷家住宅は青木繁の功績を今に伝える「海の幸記念館」という名前になり、現当主の小谷福哲氏が館長をつとめられている。
かなりの大雨のせいかこの時は私しか見学する人がいず、館長と奥様にとても丁寧にもてなしていただき、ゆっくりとお話を伺うことができた。
「ところでここはどうやってお知りになりましたか?」と聞かれたので昔から青木繁の絵が好きだったこと、この場所を芸術新潮で知ってからずっと来たかったことなどを伝えるとおふたりに大変喜ばれた。芸術新潮に載っていらした先代ご夫婦は残念ながら少し前に亡くなられたそうだが、おふたりがこの場所をずっと残したいと考え、また地元にも協力者がいらして記念館になったという話を聞かせていただいた。
館長の青木繁に対する愛は先代を超えるのではないかと思うような情熱を感じたが、むしろ私の興味は記念館とその当主(過去の、青木を滞在させた小谷喜録氏)に向いていた。
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