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初めての気持ち

28年生きてきて、初めて抱く感情があった。

今日は妻の妊娠20週目の妊婦健診だった。
最近は仕事が暇なこともあり、つわりの症状が重かった妻に代わって、家事(主に妻の弁当づくり)に励んでいた。
その健気な努力の甲斐あってか、産婦人科のお医者様が「そんなに旦那さんが張り切っているなら一緒に来てもらったら?」と妻に仰ったそうで、付き添いは最小限に、という状況にもかかわらず、健診に同行させてもらえることになった。
これまで静止画としてしか見られなかった赤ちゃんの様子(エコー)を、リアルタイムで見られるのがとても楽しみだった。

いざ診察室でエコーがはじまると、心臓が動いている様子や、週数相当に大きく育っている様子を見てちょっとした感動とともに安心した。
また、たまたま起きてくれていたのか、腕や足を頻繁に動かしている様子も確認できた。動いてる様子が見られるとは予想しておらず、こんなに動くものなのかと驚く反面、元気そうな姿が純粋に嬉しかった。

そしてなにより驚いたことに、どうやら女の子らしいということがわかった。

実はこれまで、妻の直感(夢に基づく?)によればきっと男の子だということで、自分もなんとなく男の子なんだろうなと思っていた。(よく分からないが自分の祖母も男の子だと確信しているらしかった。笑)
それが、きっと女の子だと判った瞬間、真っ先に襲った感情は、意外だとか、ショックだといったものでは一切なく、なんとも言い表せない漠然とした感動と、じんじんと底の方からやってくるような嬉しさだった。
元々、男の子が産まれても女の子が産まれても同じくらい嬉しいと思っていたが、いざ性別が判ると全くそのとおりだった。
当たり前のことなのかもしれないが、自分にとってはその事実が、少し大袈裟にいえば、衝撃的だった。
就職にしろ晩ご飯の献立にしろ、二律背反の選択肢が目の前に現れたとき、何かと理由を見つけ、二者の間に優劣を付けて選択をしているのではないか。自分に選択権がない場合も、理由を見つけて自分を納得させているのではないか。
少なくとも自分は普段、そうやって色々な選択をしているように思うので、どちらでも等しく嬉しく思える二者択一が世の中にあるということが、すごく新鮮に思えて、そのことにまた感動してしまった。
不妊治療を経て、妊娠が発覚してから、何度も涙腺を刺激されてきているが、日々感動を与えてくれる赤ちゃんには、感謝しないとなと思う。

今日は、これまで経験したことのない、なんとも上手く言葉にできない感動があったので妻に話して伝えたところ、今のうちに書き留めておくのが良いと力説されたので、苦手ながらメモすることにした。

このほかにも、
「赤ちゃんを元気に育ててくれている妻への感謝の気持ち」
「性別が判ったことで、なんとなく、赤ちゃんが産まれてくる事実がよりはっきりと現実味を帯びてくるようで、ワクワクする気持ち」
「性別が判ったことで、これまで男の子と女の子の両方を想定してつけた2つの胎児ネームの一つに別れを告げるのが寂しい気持ち(結局、両者は2つで一つということにして、別れは告げない方針で妻の了承を得た。)」
など、今日は珍しく色々な感情を抱くことになったが、この辺の詳細は疲れたので割愛します。

おわり。

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