高齢化・単身世帯化の中での動物との暮らし
最近、高齢化・単身世帯化で癒しや安らぎを求めて、ペットを飼う人が増えている。
コロナ禍で60代以上の多頭飼育や野良猫への不適切な餌やりも増えている。
ぶぶづけやに来る人たちは、ほとんどがひとり暮らしだけれど
今のところ、動物と暮らしている人はいない。
動物好きな人が多く、かつて、傷ついた野良猫の保護や
子猫の保護を相談されたこともあるけれど、
大抵の人たちが
「いのちだから、それなりの責任を持たないといけない。
飼う以前に、自分の年齢を考えると
ペットを看取れるか、自信がない」
とか
「仕事で家を空けることが多いから、
飼いたいけど、動物がかわいそうだと思うし・・・
生き物を、見栄とか、癒しとかさみしいから飼うって
なんか違うと思うんだよなぁ・・・
可哀そうだからってのも違うんだよな・・・
この子が好きだからとか、一緒にいたいからってのが
自然なんじゃないのかな・・・」
という人が多い。
彼らには、動物のことも慮っている気持ちがある。
世の中には、本人の権利や意思決定支援の反映を唱え
「年老いても、お金がなくても、ペットと暮らしたい人が
"本人の意思"を尊重して、共に暮らせるように!」
「ペットは孤独を癒し、高齢者の認知症を防ぐから
保護猫を、高齢者に預けよう」
などという風潮もあるが、
たとえば、「動物=自分」として仮定して、
「年老いて自分の生活も自分でできなくなって介助がいる人と暮らす」のと
「元気でいろんなことを一緒にできる人」といるのと
どちらが、生きるエネルギーが満たされそうか?
と考えてみると、
上記のような意見が
はたして、「動物と人の双方の福祉」を考えたときに
妥当なのだろうか?と考えてしまう。
高齢になり、一人暮らしになってから
「ペットを飼いたい」という主張には
「社会的孤立」や「孤独」からの解放を願う「意思」があることが多い。
本人が口にしていることを、安易に鵜呑みにするのではなく
その言動の背景を聞き取り、本人の本当の意思(願い)を想像し
それを実現することのほうが重要ではないだろうか。
犬や猫は、何万年も前から人間と共に暮らしてきた同士であり
おなじ命なのだ。
殺処分ゼロという御旗をかかげ、すばらしいことのように
デカルトの動物機械論的な人間の視点だけで、
福祉を唱える有識者人たちの意見に
なんとなく、反論もできず心がザラザラしていた勉強会あと・・・
「さみしいから飼うってのって
それって、自分のことしか考えてなくね?
それでもいいんなら、俺だって飼いたいさ。
でも、それって人間のことだけしか考えてなくね??」
という、幼いころ親からの虐待に耐え
社会から隔離された経験をもつ
20代の若者のストレートな言葉に、
やっぱり、この人達ってすごいな・・・と
「飼わない選択による動物福祉・動物愛護」を実践している
この人達のことを、心から誇りに思えた。