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楽しみの見つけ方

「やりたいこと、楽しいことすればいいのよ」とか
「趣味をみつけなさい」って笑顔で優しく言われると
何も言えなくなる。見つけてればやってるよって言いたくなる。
もちろん今やってることがただ、時間をつぶしているってこともわかってる。
「楽しいか」って言われるとそうじゃないんだよ。
これより、もっと充実していることもあるってのもわかってる。
でも、何が自分に合っているのかわからないんだよ・・・

今は、ネットサーフィンや動画などを見て時間を過ごす人もいるようだけれど
そうしていると、なぜか「サギ」まがいの案件に巻き込まれることが多くなる。

悩む人に、どんなことをしている自分が理想なのかとたずねると、
「ワクワクして、またしたいと思えること」とか
「笑顔になれること」
「周りの人に話せるようなこと」
「未来のその日を楽しみに、今の苦労を辛抱できるようなこと」
という共通点はある。

でも、媒体がみつからないし、それをしているところに一歩踏み出せない。
手あたり次第やみくもに探していると
さらに落ち込むことになる・・・・

どうすれば、見つかりやすくなるのか?

見つけられないと思っていた人が見つけらえた例をみてみると
「10代までのポジティブな体験」がキーワードになっていた。

その中で、
1,ひとりでも味わえること
2,誰かがいないとできないこと
3,誰かがいるとさらに楽しくなること

という3つにわけて、
自分の興味関心が向くことを試していくと
気づけばそれが趣味となって
休日の時間を使うことや、人とのつながりを作るきっかけになっている人が多い。

もちろん、小さいころから
ずっとやってみたかったけど出来なかったから
大人になってやりはじめた。ということもあるだろうけど
「憧れ」と「やってみたこと」は違う。
年をとってから「憧れ」に手を出すと格差社会を目の当たりにして
余計に落ち込むこともあるから注意が必要。

幼いころやってみたことに絞るのがポイント。
自分という土の中に眠っていた「種」を、傷つけないように
そっと掘り起こしながら見つけていく・・・

15才のとき、働いていた建設現場で怪我をして病院に入院したとき
たまたまとなりのベットで暇つぶしにアイヌの刺繍をしていた人を見て
その器用さと美しさに心奪われた少年は、
その時初めて、繕い物以外の「針仕事」をした・・・
それを思い出した70代の男性は、民族博物館に行き、日本刺繍を始めた。

児童養護施設でかまぼこ板を切って積み木づくりをしていた少年は
大人になって、子ども達とカプラを始めた。

学校を休みがちで、貧しくて部活動もままらなかった少年が
唯一、中学校でみんなと活動できたのは合唱コンクールだった。
その少年は、楽器もいらない一人でできるヒップホップからはじめて
ヒップホップバトルでスカウトされて仲間とバンドを組み
それを維持するために働きだした。

なぜか、車中泊キャンプにはまった青年は
ステップファミリーとなって15才の時に、
いずらくなった家庭をとび出したけれど、
幼いころに、父親が何度もスキーに連れて行ってくれていたことを思い出して
「オヤジも必死で生きてたんですね・・・
いろいろ衝突もしたけど、
俺のこともかわいがってくれてたんだって今は思える。
この趣味も、オヤジのおかげだと思う」と
若き父親の気持ちを振り返って
趣味をさらに味わい深いものに感じるようになった。

経済的に恵まれない子供時代を過ごした人は
ひとりぽっちで過ごした人も多いので
社会人になって趣味を見つけることは容易ではない。
そのことを、「勉強しなさい」としかる親がいて、
部活動ができて、インフラが止まらない生活を送っている人は
考慮しつつ声掛けをしてほしいなと思いつつ、
改めて、子どものときにいろんなところに行って
いろんな人にあって、いろんな体験をしておくのは大事なことだと
改めて感じるゴールデンウィーク・・・