いざとなればお寿司

 どうにかこうにか「社会人」を数年続けられた今でも、朝起きて絶望的に仕事行きたくない日というのは稀によくある。暑い日や寒い日、雨の日なんかは家でゴロゴロしていたいし、逆に天気がいい感じの日は「遊びに行きて〜」と思ってしまうのだ。

 そういう腰が重たい日でも、出社しなければ自分含めいろんな人に迷惑と面倒をかけるので、なんとか身支度をして電車に乗る。私は偉い子である。出勤する程度では誰も褒めてくれないので自分で褒める。

 入社してから千日以上経ったのでそろそろ歯磨きのように無感情で出社できる習慣がついても良いのではと思うものの、残念ながらそうなる気配は全くない。

 その代わり、いつしか私の中で無意識に習慣化していたことが一つある。

 それは、出社がめんどくさすぎる日には「今日は自分にご褒美をあげようと考える」ことだ。

 「ご褒美をあげる」こととは違う。

 「お昼はちょっと贅沢してラーメン食べよう」とか、「帰りに駅前でエクレア買ってこう」とか、フルパワー時には「仕事終わったら一人回転寿司決めるぜ」など。

 そうやって唾液で理性を溶かしてやると、「出社がダルい」という正常な防衛反応がどっか行って脳内はグルメでいっぱいになり、見事通勤電車に乗れるのである。

 そして不思議なことに、この妄想を実行することは、私の場合10回中1回くらいしかない(1回はある)。

 「あれ食べよう、これ食べよう」と妄想し恍惚の境地で出社しても、休憩時間になれば「まあいつも通りでいっか」と豚丼の小盛りを注文しているし、仕事が終われば普通に帰宅して小説を書いたり副業に取り掛かっている。

 そうしてまた別の日に「今日こそは帰りに寿司行くぞ!」と妄想するのだ。その繰り返し。

 思うに、「未来にあるかもしれない快楽への妄想」は、実際の物質的快楽に勝るとも劣らないくらいのパワーを人間に与えるのではなかろうか。

 「いざとなれば帰りに寿司が食える」という「保険」をかけることで、どんな困難にだって立ち向かえる気がしてくる。気がしてくるだけかもしれないけれど。

 「来週には好きな漫画の新刊が出る」とか、「来月には推しのライブに行ける」とか、そういう少し先の幸福に支えられて、私たちは"平凡で困難"な日常を生きている。

 と、BUMP OF CHICKENの歌詞を借りていい感じにまとめようとするうち日付が変わりそうで、また鉛のような体を引きずって事務所の鍵を開ける瞬間が迫ってきた。

 明日こそは寿司を食べようと思う。

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