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集中と分散とクライテリオン

おはようございます。フェニックス髙橋です。
さて今回ですが、コロナ禍という「災害」に対して、日本はどう乗りきっていくべきなのか?という事を考えてみたいと思います。

大上段に振りかぶって見ましたが、テーマはシンプルに「集中と分散」です。
言わずと知れた「東京一極集中」について。

明治維新以来、150年近くこの方針は変わっていないことになります。
一極集中を示す資料は山ほどありますから、詳細は割愛させていただきますが、今回考えたいことは「このまま集中が続いて良いのか?」という事です。
まず事実として、東京は人が増え続けています。
2000年-2015年で見ても、東京都は190万人くらい増えています。大体福島県と同じくらいの人口が増えている計算です。因みに人口密度でいうと、2015年では9529人/km2(可住地面積辺り)で、2000年と比べて1340人分密度が上がっています。
かつては東京都の人口が減った時代がありました。ドーナツ化現象とか言われていた時代です。それも1995年辺りを境目に再び増加傾向に転じます。規制緩和と行政改革のせいだと思って間違いないでしょう。この頃は首都移転計画も盛んに議論されていました。地下鉄サリン事件などもあり、結構真剣に議論がされていたと記憶しています。コレも2005年くらいに完全に消えました。変わって出てきたのが「道州制」の議論というのは何とも皮肉な話。

話を戻しまして、一極集中の是非です。
もちろん都会の方が便利ですから、東京に人口が集まってくるのは仕方がないという側面はあります。
現代の国際社会は「都市間競争」なんだから、東京が強くなることは国にとっても良いことだ。と仰る方も大勢いらっしゃいます。事実、国の政策としても首都に対するインフラの整備は続いているわけですね。
お金の話をすると「借金まみれの財政なんだから、効果の高いところにお金を使うのは当然でしょう。強い日本を作るためにワイズスペンディングが必要だ」などという人もいます。
こう言った主張をされる方は、いわゆる「保守」を自称している人に多いイメージです。
とにかく日本が強くなれば良い。その為に多少の犠牲はやむを得ないという事を言うんですね。小泉純一郎の辺りから「保守」はこんなことばかり言うようになってると思います。因みに首都移転計画を実質白紙にしたのもこの方でした。
対するリベラルはと言うと、対抗軸はなく「黙認」という感じです。「コンクリートから人へ」ですからね。人に対してお金を配るという事は当然ながら人口に比例しますから、基本的に都市への資金投下が多くなります。いわゆる「リベラル」は都市型政党としての色が濃くなりやすい。究極的には「人が大事」で、文化や風土には興味がないですからね。社会主義ガチ勢は宗教を否定しますから伝統に興味がないんでしょう。とにかく田舎の道路や堤防を整備するくらいなら、都会の人に社会福祉のサービスを提供した方がいい。と言うのがリベラルの思考。

どうやら「右」も「左」も一極集中に対しては反対ではないらしいという事が言えそうです。

ですが、自分はこの議論の中に大きな欠落があると思うんです。

それは「時間」です。もう少し言うと「過去」と「未来」ですかね。

コンサバの方々はこの国を世界一にしたい、オレの好きな日本は世界一じゃなきゃダメなんだ。という、一見すると非常にナショナリスチックな発言をされていますが、愛するというのはそう言うことなんでしょうか?
三島由紀夫が「愛国心」に嫌悪を感じるというような事を言ったらしいですが、今の文脈なら分かるような気がします。完璧じゃなかったら愛せないのか?と思うと、コレはずいぶん拗らせてると言うか重いというか。少なくとも自分が国を愛すると言ったら「ステーキもソーセージもうまいし好きだけど、やっぱり親子丼だよな」という「愛着」だと思うんです。「愛国心」ではなく「愛着心」。そしてこの2つは「バッティング」しますよね。
世界一の日本を目指す「保守」の人達は「伝統」という「過去」を否定する。
何となくシカゴ学派に丸山眞男の匂いを感じるのは当然なのかもしれませんね。小林秀雄の気持ちも良く分かります。

ではリベラルはどうなのか?コンクリートから人へと言うのは、想像力が欠如してるのではないかと。
ここに道路があって堤防があれば、将来の日本人が豊かに暮らせるという可能性は十分あると思うんです。
左翼は天賦人権論ですから、「伝統」という「過去」を否定し、今ここにいる人間が何よりも大切だと言うわけですね。

現代は「保守(コンサバ)」も「革新(リベラル)」も「今の人間(自分)が大事」という点において意見が一致しているんですね。
だから教育にかける予算はOECDに勧告を出されるレベルまで減らされるし、伝統を守る(=故郷を守る)という意識も希薄で、東京一極集中を許容しているんでしょう。

今回のコロナ禍において、ようやく考えを改めるチャンスが来ているのではないでしょうか?
極度な集中のため感染拡大が止められない。コレだけ人がいれば、感染経路が分からないのも当然だと思います。その為に経済を止めてしまって、「保守」が大事にしている強い国が壊れ始めている。
人口が集中しているから、高齢者のような弱者が集中的に倒れていく。また経済が止まれば、生活が苦しくなって自殺する人が増える訳です。「リベラル」が大事にしている「人の命」が集中しているから奪われるんです。

では分散さえしていれば良いのか?もちろんそんな簡単な話ではありません。
分散のあり方はきちんと議論しなければならないでしょう。その時の基準(=クライテリオン)が「豊かで元気に暮らせる社会」になれば、国の未来は明るいものになるのではと思います。

昭和の日に歴史に思いを馳せながら、将来の日本人が豊かに楽しく暮らせるような今後の日本像を、外に出れないGWにじっくりと考えてみたいと思います。

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