なんで思い出したのかわからないけど。

精神状態と部屋の散らかり具合はよく似てるなと思ってる小澤です。今はめちゃくちゃ整ってます、凛々しい部屋です。

なんか今日はおじいちゃんの話をしたいので、自分のおじいちゃんの話しますね。ちなみに命日とかでもなんでもないはずです。そしてただ思い出しただけの話です。特に多くのエピソードがあるわけじゃないです。ビスケット食べながら読んでください。

父方のおじいちゃんは写真でしか知りません。確か60代で亡くなってたと思います。お父さんの実家に飾られたおじいちゃんの顔がとてもお父さんに似ていて、小さい頃は完全にお父さんだと思っていました。実家でただ一人写真を飾られてお父さんは大切にされてるんだなと勘違いしてました。

母方のおじいちゃんとはちょっとだけ思い出があります。山形に住んでいて、夏休みか冬休みか。帰省したタイミングでしか会えなかったおじいちゃん。会うととても可愛がってくれました。まだ小さい頃、おもちゃを買ってあげるからと近くのスーパーにいくことになりました。車。運転はおじいちゃんです。当時70歳を超えてたおじいちゃん。バリバリに車を運転します。

運転席におじいちゃん、後ろの席に小澤少年。

ぶーん

発進の勢いで後ろに後頭部をぶつけます。信号に差し掛かります。

ギュン

止まった勢いで額を打ちつけます。青になります。

ぶーん

発進の勢いで後ろの後頭部をぶつけます。

そうです、おじいちゃんは0か100しかない男なのです。パチンコになりながらやっとスーパーにつきおもちゃの拳銃を買ってもらいます。「これでなんでも倒せる」。そして帰りもパチンコにされて倒せないものがあることを知るのです。

今思うとおじいちゃんは、「タダでものが手に入ると思うな、ものを手に入れるときは痛みを伴うんや!」ということを孫をパチンコにすることで教えてくれたのかもしれません。等価交換とはどういうものか教えてもらった気がします。本当に気がするだけです。たぶん違うし。

そんなおじいちゃんも老衰でなくなり、小学生の頃初めてお葬式というものに参列しました。

山形の家につくといろんな大人たちが座敷に集まっています。布団で寝ているおじいちゃん。どういう状況なのかわかるようなわからないような。

「ほらおじいちゃんに手を合わせて」

母にそう誘われておじいちゃんの前へ。母の動作を見よう見まねでやろうとして

思いっきり二拍手する小澤少年


大人たち大爆笑

『じいちゃん神様みたいだなあ!』『ここは神社だなあ』

散々いじられたのを覚えてます。

なんで思い出したのかわからないけど、落ち着いたらちゃんと墓参り行こうと思います。

ぱんぱん👏

追記

ちなみになんですけど、この初めてお葬式に参列した時に家から寺にいく時から火葬場にいく時か忘れたんですけど、親戚のおじさんから「行った時と帰る道かえないと魂がついてきちゃうんだよ」って言われたんですけどそれってよくある考え方なのでしょうか。謎です。ただ親戚のおじさんの言葉信じて、小澤はずっと近くのスーパーいくのも行き帰りの道かえてます。何がついてんくんだよ。


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