備忘録 22-11-15
知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ
――知者楽水、仁者楽山
『論語』
その理由を孔子は、「知者は動き、仁者は静かなり」と、動と静の対照に求めている。
「水」は、河である。「不尽の長江、滾々(こんこん)として来たる」(杜甫の詩)とあるように、一日として休むことなく流れ続け、流動してやまない。知者の頭のはたらきもこれと同じである。知謀はつぎつぎと湧き出て、尽きることがない。その進退も、世の中の動きに応じて自在に変化する。これに対し山は、「動かざること山の如し」(『孫子』)で、動かざるものの形容である。仁者もまた世の中の動きに超然として自分の内面世界を守り、いささかも動かない。
知者と水、仁者と山は、イメージがぴったりかさなるのである。
筆者も若いころは水(海)を好んだが、近ごろは、山を好むようになってきた。一日中、山を見ていてもあきない。これはもっぱら歳のせいではあるが、それだけ仁者の域に近づいたのだとすれば、うれしい。
以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より
今日も一日顔晴りましょう。