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RMの言う「狂わないための戦い」とJ-POPの機能

 BTSの楽曲「ON」には「狂わないためには狂わないといけない(※papago訳 原詞:미치지 않으려면 미쳐야 해)」という歌詞があり、その意味していることについてナムさん(RM)は、ドキュメンタリーで、VLIVE(個人配信)で、インタビューなどで何度か語ってくれている。彼らの8周年を祝うイベントFestaの期間中、6月7日には「Bicycle」というRMの自作の楽曲も公開された。

 彼は、美術館に行くのも、植物を育てるのも、自転車に乗るのも、自分が狂わないための戦いなんだと思うと言った。

 「狂わないためには狂わないといけない」とは、大変強烈なインパクトを持つ、この上なくキャッチーなセンテンスで、「おお…。」思わず感嘆してしまうね。しかし、単語の意味は分かる。ちなみに、彼がVLIVEで語ってくれる補足も、言葉は難しくない。でも「あーはいはい!ええ、そうね、なるほどっ!ポンッ」と、なれないのである。もとい、なれなかった。パクチーには、「狂う」「戦う」という語彙の壮大さと、「美術館」「植物を育てる」(彼は盆栽を4つ育てている)「自転車」という単語のプリミティブな可愛らしさがどうもうまくつながらなくて、具体的にどういうことかよくイメージできなかったのだ。だから、「有名で、忙しくて、お金持ちの彼には、きっとそういうこともあるのだろう」と、自分と共感できない遠さ、高さに彼を置いてしまって、分からないのは仕方のないことだ、と思ってしまった。

 しかしある時、ぽとんと、ざわわっと、肌感覚でこのことがはっきりと理解された。ああ!そうか。これは誰がどうとか関係なく、全ての人に関わりのある、そしてそのことは戦いと呼ぶに相応しい、まさしく戦いだわ。ええ、そうね、はい!

 「小さな幸せ」というトピックが一時期韓国で流行したことがありました。BTSの「Boy with Luv」も、そのテーマが入っています。「あなたの小さな幸せはなんですか?」という問い、「お気に入りのソファでコーヒーを飲みながらぼんやりすること」「金曜日の夜、仕事から帰ってベランダでビールを飲むこと」「眠る前にキャンドルを灯して音楽を聴くこと」、などなど、人それぞれさまざまな「小確幸(しょうかっこう/소확행.ソファッケン:小さいが確実な幸せ)」を、彼らはファンに問い、それをシェアするということを行った。「小確幸」は2018年の韓国の流行語にもなっている。

 この、自分が自分に提供可能な小さな幸せを、その時間、そのことに完全に全身全霊を委ねて、没頭して、感じて、余すところなく、味わうこと。正直パクチーは、このことの効果を軽んじていました。しかしそうじゃなかった。これこそが、戦いでなんである。だから何の?

 それはつまり、霊性を落とさないための戦いであると…!

 「小さな幸せ」。それらの共通点は、「一見、生産性がない」というところにある。それでもあなた自身のために、いつ何時でも、優先順位を高めに、この小さな幸せを味わう時間をあなたは確保しなくてはならない。ものごとにはネガティブとポジティブの二面ある。わたしの中にも、ネガティブな人格とポジティブな人格がある。"現実には自分は可能な限り最善の選択をした"、それでもぬぐいきれないもやもやが、それはもはや「今の」自分の力ではどうしようもないものだったりもする、怒り、なぜ、どうして、イラつく、わけが分からない…。

 それを、そのまま、脇に置いて、ポジティブサイドにのみフォーカスするのである。「小さな幸せ」にフォーカスするのである。ただもう、頭から爪先まですっぽりと。そこに満ち満ちにひたひたに100%その感じている今の幸せだけに集中して、味わうのである。

 そうしている間に、自分の霊性が上がるのを待つ。

 やがて時が満ち、霊性が上がった時、かつて問題だと思っていた事象は、とりたてて何の問題もないものになっている。問題だと感じない自分になっている。ネガティブな面にフォーカスすることなく、自分の霊性が上がることでその事象は音もなく解決されている。最近パクチーはどうしてか「霊性」という言葉がしっくりきてるのだが、「精神レベル」あるいは「意識レベル」、「バイブレーション」と置き換えてもさしつかえないと思われる。

 あなたが「小さな幸せ」を感じる時間とは、あなたに苦痛をもたらすものが何もない時間だ。さあ、あなたの「小さな幸せ」を感じるためのアイテムは揃いました、これからわずかな時間でも、完全に全てのマイナスの思考や条件から自分自身を隔離して、救い上げて、満たされて、幸福な、完全なハッピータイムを過ごすことができるだろうか。しかし、ナムさんが言っているのはこのことである。

 ハッピータイムに「미치다(ミチダ)」とは、不釣り合いに感じるかもしれない。一見生産性と遠い、経費にならない行為に没頭することについて、その行為が資産価値を生むのかどうかということについて、忙しい彼の、もっと効率的で直接的なお金の、時間の使い方はあるはずだという、彼の行動のそもそもを批判する声があるとして、一つはそれに対抗する説得力を持たせるための、強度のあるこの言葉が「미치다(ミチダ)」だったのかもしれない。そしてもう一つは、あるいは「미치다(ミチダ)」の日本語訳を「狂う」としたことがそもそも認識のずれを生んでいて、わたしたち日本語ユーザーの理解が遠のいてしまったのではないか、少なくともわたしの場合はそうだった。「미치다=crazy」。つまりこれは、脇目もふらずに熱中する、夢中になるという意味なのである。「ON」の歌詞が「狂わないためには夢中にならないといけない」だったら、うん。普通だね。可愛らしい感じさえする。しかし、今や自分に合っていて最高に良くやれていると彼が感じているアイドルの仕事が、彼を狂気に誘う時、彼の精神を保護し続けるために、ただ苦痛を忘れて夢中になる時間を確保し続けることは不可欠だった、それが彼の言いたかったことなのじゃないのか。それが彼の霊性を下げずに保つのだと。そのせめぎ合いは、バランスを取ろうとする自分を客観的に形容するならば、戦いのようだと。

 自分の中のネガティビティについて、ほじってほじってとにかく解決を目指して追求する、というやり方もあると思う。いくつかのことに関して、自分が直接的に関わって、変化を起こすことで解決されることもある。しかし、いくつかの部分において、どうしようもできないことがある、いくつかの怒りや、いくつかの恨みや、いくつかの悔いや、他人の人生そのものや。それらについて、「何もしない」というのが、ここで今紹介しているアプローチです。そのまま置いておく。「ある意味逃げ道ではありますが(byジョングク:2021 FESTA 「ARMY万屋」)」。それがそこにあるのも分かっている。自分の弱さも、苦しさも分かっている。だけどそれについてどうこうしない、ジャッジもしない、刺激もしない、ただそこにそれがあると、それを持っているのが自分であると、とある事柄について、例えば、常に怒りを持ち続けているのが自分であると、認める。「ありのまま受け入れること。気楽に(byジョングク)」。

 もちろん、わたしたちは一日中「小さな幸せ」ばかりをやっているわけにもいかない。であるから、その場合は、そう、目の前のことに集中するのである。目の前の作業。仕事。手入れ。心血を注いで、ひとつひとつの所作を丁寧に。他のことを考える余地のないくらいに。それこそ「미쳐야 해(ミチヤ ヘ)」、脇目もふらず、熱中して、今だけに集中する。「未来も過去もあまり気にせずに(byジン:2021 FESTA 「ARMY万屋」)」。これは言うなれば、なんというか、座禅に近いかもしれない。何かの修行のようかもしれない。しかしこれが実行できると、時間の質は高く、アウトプットの質は高く、いかにも霊性が磨かれているような実感をわたしは持つので、このやり方はそこはかとない満足感がある。

 これらは決して、思考停止して、自分の本来の道筋と合わない苦痛の伴う現行を受け入れ続けよ、という話ではありません。あてもなく苦痛に耐え続けて欲しいと思っているわけでもなく、ただ数あるネガティブに対するアプローチのひとつ、ひとつのアイデアの提案です。

 いくつかの苦痛に関して、それは思い悩んでも解決しない。共に生きるしかない。しかし解決しない苦痛にフォーカスしてネガティブについて思い悩む時間を人生の中で多くとるか、あるいは、自分のために自分が幸せだけを感じられる時間を、1秒でも多く提供することも、あなたにはできるのである。

 目の前の仕事に集中し、今に集中し、小さな幸せに集中して、やり過ごす。あなたの時間がネガティブにジャックされることと戦い、あなたのポジティビティが下がることから守る。やがて霊性が上がるまで。

 霊性が上がるとは、思考するエリアが広がることなんだそうです。「自分」から始まって、自分のことで頭がいっぱいで、自分が満たされているかどうかが思考の全てで、「自分さえ良ければいい」。やがて思考の中に「大切な人」の幸福度がリアリティを持って入ってくる。「自分さえ良ければいい」という人が他人を慮るようになった時、その人は霊性が上がっている。「家族」や「仲間」が認識と愛の及ぶ範囲に入る。それが広がり「地域」になる。日本にいれば「日本」が、そして「世界」が、「有象無象」「地球上のすべてのもの」が、と、霊性とはリアリティを持って認知される空間的なスケールと比例して無限に成長するのだそうです。もっともっとレベルが上がるなら「宇宙」「銀河」「他の銀河」「他の宇宙」、その先も。

 こうしてみると、BTSのメンバー達がどのような霊性なのかが分かりそうな気がします。彼らの歩みは、歌詞の遍歴は、そのまま彼らの霊性の進化を見ているようだ。彼らの8周年を祝うライブのタイトルは「SOWOOZOO(小宇宙)」で、これは彼らの楽曲「Mikrokosmos(小宇宙)」から取ったものですが、この曲では、街の灯りひとつひとつには、それぞれ一つしかない魂が存在しているのを象徴しているのだ、ということが歌われている。それが70億あるのだと。

 冒頭、わたしはナムさんについて、「有名で、忙しくて、お金持ちの彼には、きっとそういうこともあるのだろう」と、自分から理解を遠ざける距離に彼を置きました。それはある意味、「地位」と「名誉」と「資産」を理由に、「彼は人に理解されなくても、共感されなくても仕方がない」と分断の壁を積極的に保持する発想です。「彼」は誰にでも、「地位」「名誉」「資産」は何にでも置き換えることができます。そして、目に見える大きな分断、差異があっても、わたしに彼と同じようなステイタスがなくても、わたしと彼がシンパシーを持って肩を並べる方法が一つある。それは、自分が、彼と、同じ霊位に立つことです。

 ところで、J-POPがBTSのようなグローバルな活躍をしていないのを残念に思ったり、J-POPのアーティストも世界で通用する音楽をやって、ビルボードやグラミーでトップを目指すべきだと思われますか?

 わたしは、J-POPが日本語で、日本人を満足させることを最優先にして成立しているのを、稀有ですばらしいことだと最近感じています。Disney『あの夏のルカ』の楽曲でトクマルシューゴさんがsuis(ヨルシカ)さんのボーカルで提供した楽曲「少年時代」のリバイバルしたものを聞いて、「ああ…これ日本人にしかできないな…」という気持ちになった。

 前述の「小確幸」は、日本が発信元で、その最初をたどると村上春樹さんの著書にあるそうです。そしてわたしは、この「小確幸」、些細なことから幸せを感じ取る能力について、日本人を、古くは万葉の時代から非常に得意にしてきた民族だと思っているのです。わたしたち日本人が感じる「小確幸」には、自然、時間の経過、季節感、空気感、温度、湿度、手触り、素材、質感が常に、小さく大きく関わっているように思う。BTSの「ON」の歌詞をそのまま日本語にして日本人がJ-POPとして歌ったら、そこにはやっぱり不自然さ感じてしまうのではないだろうか、なぜなならこの曲には「自分から見た視点」でしか詞の世界が書かれていなくて、だから良いとか悪いとかいうのではなく、日本語の「歌」が元来そうであるという、ただそういう文化なのだと思う、J-POPの一番の特徴は、人間以外の描写、人の力の及ばないものの気配みたいなものが必ずと言っていいほど大なり小なり歌詞に詠み込まれていることじゃないだろうか。

 わたしはこういった、「自分」「あなた」以外の視点で描かれている、人の力の及ばない自然、時間、空気感について、わたしたちが日常的にそれを自分の世界の一部として感じていることに、そこはかとない不思議な霊性の高さを感じるのである。日本人が日本人にしかフィットしない、しかしその日本人を満足させる楽曲が提供されて続けている、というのは、あるいは一つの完成された文化形態なのでは?他の文化の他の民族の人たちに共感され得ないからといって、しかしそこにはすでに独自の、高度に成立した価値の高いものがないとは言えないのではないか。

 「少年時代」のsuisさんの発音を聴いて、そこには言葉そのものの力をそのまま最大限に発現させるために、もはや「自己」は抜いているような、巫女的な感じすらした。何人かの日本の女性シンガーに感じることだが、わたしは彼女たちを非常にシャーマニックに感じて、しかし彼女たちの発声は基本的にシンプルなのである。トクマルさんの音のこだわり方についても、音圧を高く作る商業音楽の真逆の方向で、このように緻密に世界を作り上げることが、果たして日本人じゃない人にも可能なのだろうか?わたしは一度だけ彼のライブを見に行ったことがある。もちろん、商業音楽を作ることだって彼には可能だ。だけどその範囲にない、しかし日本の伝統音楽というわけでもない、しかし音楽という世界で彼だけの言語を使って、ここまで世界を構築することに、誰も歩いていない孤高の世界に、こんな遠くまで追求し続けられる、自分の世界に「狂える」なんて。そしてそういうあり方が、ガラパゴスに一つの成立した宇宙のような曼陀羅を作ってしまうのが、非常に日本人的なのじゃないかと、わたしには思えたのである。

 そして、「小さな幸せ」が霊性を落とさないための戦いだ、という点に戻る。どれだけ日本人が、その風土に霊性を育てられているか、わたしの言いたかったことが伝わるだろうか。どこをどう見ても決して低くない。わたしたちは、自分たちの良さを良さとしたまま、やがて、スムースに霊性を高めてゆくのだろう、BTSを好きになったり、応援したりしながら、自分たちの方法と良さを保ったアプローチで、やがて彼らの霊性と並ぶだろう。

 BTSの「Butter」の機能も、そこにあると言ったら言い過ぎだろうか。世界のさまざまなネガティブな問題、人種、紛争、格差、その重さから一度自分を切り離して、完全に保護された短くともポジティブな時間を持つこと。そうして霊性を下げずに保つこと。すべての人の霊性が上がって、問題が問題としてポップアップしなくなるまで。この曲が人々の小確幸であるようにという以上に「大きな意味はないんです」というナムさんのプレス用の返答を、純真に信じてはだめだろうか。改めてもう一度、「小確幸」は人々が、人々を狂気に誘うものと戦い、正気を保つことを助ける手段である。

 「そういう経験を振り返ってみると、感謝の気持ちになります。様々な話ができるからです(by SUGA:BTS ft. Sakshma Srivastav | Indian Interview | E NOW | Exclusive)」。やがて問題だったことが問題でなくなった時、ネガティブな要素は、人々の役に立つ、価値のある、感謝すらできるものになる。

この歌の中心になる歌詞はこれだと思います。「狂わないためには狂わないといけない」正直僕はこれを一番言いたかったんです。僕が、あの…いつも様々な方法で言っていることでもあるけど、何か一つに狂う…だから本当に人はこの世の中、この複雑で、この世の中が…すごく不条理なことが多いから、僕たちが理解できない非合理に溢れてて、合理的なふりをしながら。本当に…ある意味鳥肌が立つようなことが多いじゃないですか、鳥肌が立つような人たちも多いし。だから、そんな世の中で気をしっかり持って生きていくには何か一つに狂わないといけない。何でも、狂ってこそだし、それが自分の仕事だったり、あるいは自分の趣味だったり、何かに狂って僕たちが生きてこそ狂わずにいられると思ったんです。でもこの曲の場合はそんな話でもあるけど、とにかく本当にここで狂って僕たちがこうやって練習して狂ってこそ僕たちがこの…とにかく僕たちがバンタンとして持っている様々な懐疑だったり、あるいはシャドーですよね。シャドーに代表されるものに侵食されないようにするには狂ってないといけない。だから、逆に、狂わないためには狂ってないといけない。この話を一番たくさんしたかったし、実際この話を僕の友達にも一番よく言ってると思います。狂わないといけないって。それでこそ狂わないって。

 中盤引用したジョングクくんのコメント、「ある意味逃げ道ではありますが、ありのまま受け入れること。気楽に」は、「ARMY万屋」においてスタッフが用意したテーマ「変わってしまった暮らし」についての返答で、「その方が落ち着くし、それを受け入れられたら、その時自分自身が今何をすればいいのか考えられます」に続く。メンバーたちが「それは最高だね」と褒めたこのグクの叡智ある考え方について、おそらくこのことをきっかけに彼はその考えを獲得したのではないか?ということを、パクチー以前にこのnote(「今、ジョングクくんの頼もしさに浸る」)で触れています。

 しかし、いくら可愛いマンネ(末っ子)がそう言ったからって、ありのままを受け入れるとは実際には本当に難しいことだ。ありのままを受け入れることから逃げて、逃げて、逃げ回って、崖っぷちに立ち、爪先すれすれで、最後に残された唯一の退路、すがりついた一本の糸がそれ、「ありのままを受け入れる」だった。というくらい難しい。ええ。簡単に言わないでよ、というお気持ち分かります。だから本当にすごいね!グク、本当にすごいよ…。「気楽に」とか言ってくれて優しいよ。「その方が落ち着くし」というセリフ、彼が大人になったことを感じさせます。誰のせいにもしないんだね…大人なんだね、グク…。

 また、ジンくんの引用は「僕は未来も過去もあまり気にせずに今を生きているので」というコメントから一部をとりました。彼のこのスタイルをなるだけ詳しく説明したnote(「BTSジンくんのWeverse Magazineのインタビューを咀嚼する」)があるので、興味のある方は見てみてください。本当に、これもこれ以上ないってくらい高度なことを彼はおっしゃっていると思います。簡単に言わないでよ。ええ。すみません…。

 SUGAの引用は、インドの「E NOW」というプログラムのインタビューの一部です。このインタビュアーの女性がまさに!中学の英会話の先生が教えてくれた形容詞「smart」を体現したような才女!で!美女!以前「AAPI(アジア・太平洋諸島系米国人)」の定義について調べた時、インドがアジアに含まれるのをみて「いやいや!まじで!」と思ったのだけど、彼女がアジア人でBTSがアジア人なんだったらむしろ光!栄!であると思いました。ジンくん、もはや「バターに合う食べ物は?」とかいう質問には同位の返答しかしなくなっちゃってるところで、久しぶりに見るハイレイベルなインタビュー、アジアの力、すごいな〜!!と思って見てましたが、皆さんはどうでしたでしょうか。わたしは、「ああ…わたしもこんな美女にきらきらの目で褒められてみたかった…」です。わたしがテテちゃん(V)だったら、少なくとも3日は、寝る前に言われたことを思い出して幸せな気持ちで眠りにつけるだろうな〜…。そしてはにかむテテちゃんと違って、美女に一片の昂(たかぶ)りもないジンくんの、まるで姪っ子に対するみたいな態度、仙人のようだった。

 BTSが日本語の歌を、しかもオリジナルの楽曲を定期的に、こだわりを持って制作してくれることについて、その真意がいつか分かったらいいな、と思っています。日本のマーケットが大きいからだ、という説がありますが、2020年にハーバード・ビジネス・スクールにより発表されたBig Hit(現HYBE)を研究したレポートによると、それだけでは腑に落ちない感じがします。日本のK-POPにかけるお金を「9」とすると、世界の国の中で最もK-POPにお金を落としている国、U.A.E(アラブ首長国連邦)は「36」なのだそう。アラビア語のオリジナル曲を作った方が経済効果が高そうである。

 BTSの日本語オリジナル曲「Light」が発表された時わたしが感じたのは、彼らが日本語で歌を歌うことで、強いポジティブと強いネガティブの相反する大きな力の渦中に彼らが置かれるのか、ということだった。日本のARMYの強いポジティブな気持ちと一緒に、彼らと関係のない世代の起こした出来事の、蓄積した憎悪や嫌悪を、両方の国から向けられる対象になるということだった。それってどんな気持ちがすることだろう?どれだけ緊張するだろう?しかし彼らの歌が、人と人の間に調和や、尊重や、愛や、思いやりがあると信じている、と言っている。これがどれだけ光をもたらす行為であろうか。

 それはビジョンにするならば、ものすごい逆風と灰色の砂埃が舞う中に、ぴんと一本水色の細い光の筋が差していているようなイメージだった。彼らが日本語の歌を作って歌う時、その音楽を通じて、「両者の間に確実に尊重と調和と愛があって、それをどうあっても持ち続けることは可能だ」と、わたしは信じる機会を持てる。どれだけの役割を担うつもりなんだこの青年達は、と、そんなところに踏み入るのも、そんなことが出来るのも、今の時代には彼らしかいない、と、本当に強い魂を持ってこの時代を選んで生まれてきた青年達なんだなあ、と、思う。頭が下がる。

 そして「Stay Gold」が発表された時、彼らの大分リラックスした様子の歌い方と、彼らの選んでいる言葉、発音から、以前の「ものすごい逆風と灰色の砂埃が舞う中」から、今もう少し両国を取り巻く心情が変わって、着実にpeaceに向かう光が太くなっているのを感じた。彼らの指す方向は着実にリアリティを増している、と思える。そして「Film out」では、もう一歩踏み込んだ表現に進んだ感じがした。

 日本語の持つ力、何かそこには理由があるのじゃないかな、彼らが日本語を使うことで実現できると考える、何か、ビジョンが。日本の風土に育ったわたしたちが受け取る何か。なんたって彼らの日本語の歌を解する人たちは、この地球上で日本語を解する人たちは、基本的には、どうしてか、「小確幸」のオリジナル国、日本人だけなのだ。


 と、こうして、わたしはわたしにとって最高に確実な幸せである、書く時間を終えて、今日はnoteを閉じる。読んでくださってありがとう。それではね。





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