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『のだめカンタービレ』でクラシック再勉強【その1】

<序>はこちら。


漫画『のだめカンタービレ(以下のだめ)』の発刊当時、わたしは音大生で、皆んなが「良く出来てる…!」と感心したのは、音大生の高い再現率だったように思う。いる。デフォルメして描かれているように見えるかもしれないが、そうでもない。そして、料理がプロ級に上手くて、素晴らしい演奏家である、というのが、これまたよくいらっしゃるんですよ!例えば<序>で登場したわたしの恩師は男性だったけど、手書きのメニューを添えて、素晴らしいコース料理をお作りになる方でした…。コンセルバトワールに行っていた別の恩師も、女性でしたが、日本であまり食べるようなことのない、美味しいフランス料理を振舞って下さった。

『のだめ』1巻で、のだめの汚部屋を掃除すると、ピアノの音が「全然違う」というセリフがある。これ見て当時、自宅のグランドピアノの蓋の上の山盛りに詰んだ楽譜たちを、片付けた…確かに!音が違ったわ!

さて。

ここからは、漫画に登場するクラシック、主に登場人物たちが演奏していた曲を順に、聴いて思ったこと、思い出したことなどをお話ししたいと思います。初めて聴く曲もたくさんあったので、解説とか、そういう大層なもんじゃなく、ゆる〜い、ゆるゆるエッセイです!


ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第8番2楽章
Beethoven : Sonata No.8 Op.13 Ⅱ

主人公「のだめ」と「千秋」が、お互いを認識するきっかけになる曲。音大生は画像の「ヘンレ版」と呼ばれるこのドイツの楽譜を使うことが多いんかな。わたし、ヘンレ版のこの表紙の色が好きなの(この楽譜は古いバージョンで少し色味が違う。実際古いし…)。日本人にあんまりない感性な気がします。表紙のぺらぺら具合とか。

どこかで聴いたことあるかな〜?という有名なメロディの2楽章。むちゃくちゃロマンチックよね。これベートーヴェン?って思うくらい。ベートーヴェンはロマン派が始まる、始まりかけの人なので、甘いときは結構がつんと甘いことしてくれるんですよ!

「ソナタ」という名前になってる曲は、「1楽章・2楽章・3楽章」と、3つでセットになってるのが大体のパターン。

1楽章 → ごーんと重厚
2楽章 → 甘くてふわふわ
3楽章 → トコトコ速い

が、定型じゃないかね?少年漫画で言うと、

1楽章 → バチバチの戦闘シーン
2楽章 → お色気シーン
3楽章 → 全員登場して決め技の乱れ打ち

でしょうか。少年漫画で例えるな。ベートーヴェンは、わたしのソルフェージュの先生が言ってたんだけど、この人、いつも曲の冒頭の、掴みのキレ方が天才だと。短いがインパクトのある、超キャッチーなフレーズを作ってくると。確かに、「巨匠」と思わずに聴いてみると、出だしの部分、他の人が思い付かないトリッキーな感じなんだよね。巨匠の新作、見開き巻頭カラー、めっちゃ斬新なコマ割りでつい引き込まれる(少年漫画で例えるな)。その最たるものが「運命」の「ダダダダーン」じゃないでしょうか。思いついたからって、これ、冒頭しばらく「ダダダダーン」ばっかりやれる?普通の人はやれんと思う。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタは全部で32曲ある。この第8番は「悲愴(Pethetique)」という名称が付いている。1楽章の悲壮感が、2楽章で解かれる、その癒しのコントラストよ。「許されました」。泣く…。


モーツァルト 2台のピアノのためのソナタ K.448
Mozart : Sonata for 2 Pianos in D, K.448

こちらは<序>でご紹介しているので割愛。このソナタも3楽章まである。

ところで、ソナタっていうのは、「ソナタ形式」で書かれているものを「ソナタ」と言います。厳密に言うと、冒頭のAメロ(テーマ)が、次に出てくるときは属調に転調して…など、ルールが、あるっちゃあるのだが…

Aメロ、Bメロ、サビ、
Aメロ、Bメロ、サビ、
Cメロ、
Bメロ、サビ

みたいなもんです、今で言うところの。ポップスこそ形式美じゃろう!ソナタと一緒。録音機材のない当時、たった1回聴く音楽で、ソナタ形式という繰り返しの仕組みは、観客を聴いた気にして満足感を与える、良く洗練された仕組みだったんだと思う。


ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第5番
Beethoven : Violin and Piano No.5 Op.24

のだめと峰くんが弾いた、「春」という副題が付いたソナタ。1楽章の冒頭のメロディーが有名で、どこかで使われてるのを聴いたことがあるかも。

ヴァイオリンの伴奏…やったことあったかな…あったような…1回…?記憶があんまり定かじゃ無いな…なんでだ…あ、小学生だったかな…?

ヴァイオリンというのは、純正律で演奏出来る楽器で、ピアノというのは平均律で調律されてます。どういうことかと言うと、「ド・ミ・ソ」というCのコードをピアノが弾いて、ヴァイオリンが「ミ」を弾くと、ピアノの「ミ」とヴァイオリンの「ミ」は、微っ妙〜〜〜に音が違うのです。なので、ピアノは「ミ」を弾かないようになってるか、小さく弾きます。

パクチーは歌の伴奏はしたけど、楽器の伴奏ってほとんどしなかったので、もっとやってみたかったかも。伴奏って、伴奏がソリストの演奏を良く引き出すこともあれば、伴奏がソリストの良さを全然引き出してあげられないこともある。両者の世界観が同じくらい大きくて、全力疾走するのが同じ速さで、それで寄り添って並んでいられる、ってのが、理想かもなあ〜。

キャラクターたちが千秋とアンサンブルして「気持ちい〜〜」と言ってますが、この時のキャラクターの気持ち良さって、どんな感じだろう。千秋は音楽の構成がしっかり分かってるから、気分に引きずられずに音楽の高低を作ってくれる。それに乗っていけば、ぴしゃっと一番気持ちの良いところで、クライマックスと感情がハマる、と、そういう感じなのかなあ。

コース料理に例えますが、メインの前に出てくるお料理が大好物だったとして、それを山盛り食べちゃったら、せっかくのメインが美味しく食べられなくなっちゃうじゃないですか。そんなお食事、がっかりじゃないですか。だからメインに到達するまでの料理たちは、量、味の濃さ、食感のバリエーションが、どれもメインの存在感を邪魔しない程度に抑えられ、かつメインを期待させるものでないといけない。そして丁度良くメインを食べて、心の隅々まで満たされたら、あとはしばらく余韻を楽しむ。デザートの時間はその猶予を与えてくれる。一曲の中にはそういう道行の行程があって、その配分の計算が出来ているのが、「構成力がある」と言われる部分の能力だ。と、今、思ったわ。ベートーヴェンのソナタは、構成力を非常に鍛えますね。

ちなみに、ヴァイオリンを弾く峰くんは、登場当初エレキヴァイオリン奏者になりたがっている。ここで、わたしが知る超かっこいいヴァイオリン奏者の、向島ゆり子さんという方がいるので、彼女のエレキヴァイオリンの演奏を貼ります!短いから見て!


ベートーヴェン 交響曲第9番2楽章
Beethoven : Symphony No.9 Op.125

ベートーヴェンの交響曲(交響曲はオーケストラのこと)は全部で9曲。「第九(だいく)」と呼ばれる第9番は、全4楽章。4楽章目が、あの有名な「喜びの歌」である。

4楽章全部を演奏すると約70分あり、CDが発明された時、CDの収録時間が74分になるように開発されたのは、「第九」全楽章を収めるためだったという。あと、日本では年末にオーケストラが「第九」をやるのが定番になっているが、オーケストラ団員に年末、餅代を払うためにN響が始めたという説が一番定説…など、現代に多大な影響を与えております。偉大。

漫画2巻で、真澄ちゃんがティンパニを弾く「第九」の2楽章。冒頭始まってすぐ、ティンパニがパパン!と、カッコいい。超カッコよく始まる。むちゃくちゃ重要なところでティンパニが華を持ってく構成の曲ですが、ずっと、ずっちゃずっちゃずっちゃずっちゃいってるの……これ、ティンパニが拍見落としたら大変なことにならない?そんなことにはならないのかな?というか……しつこさが……すごいね……わたし…好きですけど……。

「第九」は一度歌ったことがあります。4楽章目が始まるまで、合唱隊は、じっと、じっと、小1時間、立って、待っています。しかも、4楽章目が始まっても歌はなかなか始まらんのよね。

「合唱」は、テノールのソロから始まるんだけど、出てきていきなり、

「ああん、ちゃうねん!そのメロディーだとアカン!」

O  Freunde, nichi diese Töne! 
(おお/友よ/ではない/この/調べ)

と、これまでの流れからすると、唐突に出てきた存在である人間に、いきなりダメ出しされるところから始まるの、歌詞見てびっくりしたわ。あと、合唱の途中、田舎の居酒屋みたいな、男臭い集団が現れる。好きである。

ちなみに本場ドイツでは、これは神聖な曲であるので、特別な時に演奏される楽曲らしい。「喜びの歌」はドイツ語。


ベートーヴェン 交響曲第7番
Beethoven : Symphony No.7 Op.92

千秋が、のだめの正拳突きで気絶したシュトレーゼマンの代わりに、急遽、オーケストラ・スタディの授業で指揮をする。それがこの曲。

パクチー、今までちゃんと聴いたことがなかったので、聴いてみると、要素を限定して、限られた要素を使って、まるで、「○と△と□だけ使って絵を描く」、そういう実験してみるたいな感じに聴こえる…。特に1楽章は、同じメロディーがさまざま楽器で現れるので、楽器によって世界が変わるのが楽しい。改めて、オーケストラって、よくぞ、こんなにも、本当に全然違う性質の楽器を集めて、いっぺんに演奏しようと思ったな!

2楽章のセンチメンタルな暗さと美しさが好きです。こういうんに弱いだな、パクチーは。いつも同じだなー。


ベートーヴェン 交響曲第3番
Beethoven : Symphony No.3 Op.55

授業で千秋が振った(そして、女の子を泣かせたので途中で降ろされた)学生オケは、シュトレーゼマンが選抜したメンバーで構成されており、「Sオケ」と命名される。そのSオケが学校の定期公演で演奏する曲。副題は「英雄(エロイカ)」。

わたし、初めて聴いたんですけど、こちらは第7番と違って、ぎゅうぎゅうの「全部乗せ」みたいな感じ。メロディが裏拍ばかりとるところがあるので、ふと、「もしこれを自分が振れと言われたらどうなるんだろう…」と想像して…心臓が苦しくなってきて…どきどきする…!こわい!!

というか、そもそもこの曲、何回か聴いても…良く分からん。2楽章で「英雄」は死んでまうし…。

そこで、実際に指揮振ってる動画を見てみることにした。

色々見たんだけど、この動画を見ました!

ベルリン・フィルで、指揮はラファエル・クーベリックさん。知らない…。でも、なんだか、面白いような、可愛いような、そこはかとなくキュートな指揮者。3Dホログラムにして、卓上で振って欲しい感じ。つうか、指揮者、スコア(楽譜)見てないんだわ。50分の曲ですけど。そういうレベルじゃなかった。裏拍でどきどきするとか、そういう話じゃなかったや。

作中では、シュトレーゼマンがSオケの指揮を放棄し、練習から本番までを、千秋が指揮をすることになる。しかし…学生にこんな曲…ものすごく熱心にコミュニケーションを取らないと、曲が成立しなさそうだ。千秋はこの曲を通して、もしかしたら、指揮の才能以上に重要な、「オケのメンバーとの意思の疎通の仕方」を、学ぶんだな。

実はさ、わたし、オーケストラの指揮って、指揮と音がずれてるように見えて、「良く分かんないなあ…」と思ってたんだよね。一般的な合唱などの指揮では、カウントは、手が下に落ちた瞬間に合わせる。でも、オケの場合、音が出るまでにラグがあるので、「上」になる。

一体、指揮者って、何を体現してるんだ?

そんなことを考えながら、指揮の動画を検索してたら、こんな動画を見つけた。

すごく、すごく、音楽が良く分かる・・・・・。

わたしの通っていた大学では、オーケストラで使われるような楽器を専攻している人たちは、ピアノ・歌専攻とは棟が別れていた。器楽科棟と呼ばれ、ピアノ・歌を専攻する人間からすると、下手したら一度も関わることのないまま卒業してしまう。たま〜〜に用事で足を踏み入れると、まるで空気感が違う。まず、すれ違う先輩に挨拶する。器楽科は、完全に体育会系なんである(ピアノも器楽に入るが、人数の多さゆえ、ピアノ科と呼ぶ)。

金管楽器、木管楽器、打楽器を専攻する人は、吹奏楽部の出身者が多い。吹奏楽部の精神は基本体育会系ですね。先輩が帰るまで帰れないというやつです。打楽器科は、本番の演奏があると、楽器の大きさゆえ、トラックを用意して、自分が叩かない演奏会でも、協力して楽器を現地へ運ぶというチームワークがある。ピアノ専攻は、地方の地主さんの娘やら、お寺の娘やら、良いとこのお嬢さんが割合いて、完全なる超・個人主義で、全く!チームワークが無いんです…。器楽科棟全体に満ち満ちている横と縦の結束は、傍目で見てると、ほんのり羨ましいものだった…。

つまりですね。それぞれ、個々の、ばらばらの人間が、同じ壇上に乗るんですよ。しかもですよ。オケというのは、壇上にたくさん人が載るので、端と端では、距離の分、音がずれて聞こえるんですよ…?!千秋はこの曲で「音酔い」してます。わたしは一度だけピアノ協奏曲を弾いたことがあるんですが、自分から近いヴァイオリンと、遠いフルートでは、微妙にずれて聞こえる。合ってるんだかどうなんだか、分からない。なんだこれ?不思議くない?

オケって何なんだ?

オケ。

そうか。

たくさんの、別々の音楽観を持った人間が、それぞれ、ステージ上に独立して存在している。

指揮者はそれをある一つの形に誘導する、信号みたいな役割なんだな。先導する。

千秋は、本当の指揮者の役割に気付いていく。それは、「相手の音楽性を開かせる、自分がキーマンになる」。「引き出した音楽性を使って、ひとつの音楽を織る」と、いうことじゃないのか。シュトレーゼマンはエロを媒介にして個々とぐいぐい関わっていくけど、個々の人生と関わることを否定している限り、音楽が鳴らない。千秋は、千秋の方法で、他者に歩み寄って人生をクロスさせることを厭わなくなっていく。

勉強の成果通りに、団員に言うことを聞かせて、頭で作った音楽を再現する…つまり、理想の状態に、足りない部分を指摘して埋める作業、というのとはちょっと違う。プロのオーケストラなら、メンバーはそれぞれ、優秀なソロプレイヤーでもあり、音大の講師をしていたり、弟子を持っていたりする。プライドがある。音楽世界がある。指揮者が尊大で、団員にボイコットされるというのは、無い話ではない。だが、団員と指揮者というのは、対等ではないんである。音楽的にはもちろん。指揮者とは…、地方に行けば議員さんなど地元の接待があるとかないとか…、ギャラもゼロが一個違うとか違わないとか…(<序>の冒頭に出てきた、指揮を勉強する男子学生くんの話)。指揮者と演奏家は、実は、社会的な階級が違う。

でも、失敗しても、喧嘩しても、学生オケと、学生の指揮者なら、対等だ。

「土台」は、自分が頭で作った音楽の方にある。「土台」になる音は、足りない部分を指摘して埋めることで出来る。でも、「輝き」や「華やかさ」は、他者の音楽観を信頼して、引き出されたものの中にあることを、きっと千秋は第3番で学んだんだろう。対等でいられるオケだったからこそ、それを可能にするために必要なコミュニケーションを学んだ。それがシュトレーゼマンが、千秋のために用意した環境だったんだよ…!すごい…!

だから…あれじゃない。あれに似てない?野球日本代表と、その監督。日本代表は、普段はそれぞれ別々のチームで活躍する一流の選手な訳で、監督は、指揮権はもちろんあるけど、「監督の思う通りに使われよう」と思ってもらうためには、個々のプロ野球選手の野球観に敬意を払って、尊重してなかったら、無理だと思うんだよね。そんで、「責任はおれが取る」。任せたら信頼する。そうやってると、頭で組み立てたゲーム以上の結果が起こる。

同じやな…。

同じやん…。


ドヴォルザーク 交響曲第5番
Dvořák : Symphony No.5 Op.76, B.54

「のだめ」作中で、ドヴォルザークの作品の中では「マイナー」と言われているが、マイナーも何も、ドヴォルザーク、ちゃんと聴いたことある曲、いっこもない…代表作「新世界より」をちょっと知ってるくらいで…。

聴いてみると、うーん!全4楽章とも全部、少年少女のための、血とか暴力とか出てこない、とっても健全なストーリーのテーマ曲って感じ!こんなにも悪意のない曲書けるなんて、ドヴォルザークさん、とっても良い人なんかな〜と思った。アントニン・ドヴォルザークさん。知らんけど。

のだめたちが参加する、合宿形式の音楽セミナーのオーケストラの講習で、千秋がこれまた急遽、代理でこの曲を指揮をすることになる。こういうこと、音楽に限らず芸能の世界では、よくあるよね…そこで弟子はチャンスを活かせるか?!という…むしろそれ待ちで、それが唯一のチャンス?!という…。

ここで千秋は、初対面の青少年達に、前述の第3番で習得した能力を活かして、アイスブレイクを伴った、気持ちを開くようなコミュニケーションを取っている。指揮の技術以上に、個々の奏者が、あの場で、気持ちを開いて演奏できるって、やはり指示してくる人に対して信頼する心がないと、きっと、冷めた感情になってしまうよな…。指揮という音楽の中心にいる人物が、熱々の心で、緊張せずに、内側に広々とした世界を広げているって、なんか…とても高い精神性だよね。なんか、とても平和な状態?

オケって、すごく「平和」を体現している?


バルトーク 組曲
Bartók : Suite Op.14

チェコの作曲家、バルトークによる4曲組のピアノ曲。のだめが弾くべき、セミナーのピアノ課題曲だったが、セミナー中、のだめは良いところが一個もないまま終わってしまう。

パクチーはバルトークを大学生になってから知ったけど、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパンばっかりやってた身からすると、バルトークは稲妻に打たれたように、「…っっかっけ〜〜〜〜〜!!」という感じだった。パクチーはショパンがとても苦手で…。バルトークは割合対極にあるタイプ。それまでにすでに出来上がった西洋音楽の形式に、フォークロアを録音採取して取り入れ、自分独自の新しいスタイルを生み出そうとした人。非常に熱心に民俗音楽を研究したらしい。なんとなく東欧の香りのするフレーズとか、リズムパターンを取り入れて、打楽器的なピアノの使い方とか、土着的な雰囲気もありつつ、新しいが複雑すぎない響き。

パクチーの頃はピアノの入門書は「バイエル」がメジャーだったんだけど、バイエルを使わずに、バルトークの「ミクロコスモス」を使う人もたまにいる。「ミクロコスモス」を使うと調性感が無いように育ってしまうという説がある。ふつうの人が聴いて美しく感じるメロディーを、美しいと感じる感覚、それがあんまり育たない、というのと意味が近いかもしれない。実際のところどうか分からないが(個性だろうそんなん)、「ミクロコスモス」でピアノを始めた知り合いは、バリバリの無調音楽も作曲出来る音楽家になっている。


ショパン 幻想即興曲
Chopin : Fantasie-impromptu Op.66 No.4

ショパンと言えば…で思い出される代表的なピアノ曲の中のひとつ。のだめが子供の時耳コピして弾いてしまう。ちなみにパクチーは弾いてないし弾けない…。

ショパンを弾かせたくて子供にピアノを習わせる、ショパンが弾けたら辞めてもいいよ、という親は思った以上にいる。日本人はショパンが好きだと言われる。ショパン好きは、バッハは苦手だったり、近現代が嫌いで憎んですらいたりする人もいる。美的な共感から外れるんだろう。大学にも「ショパン好き」は一定数いて、演奏会でショパンを、衣装はふわふわのお姫様のようなドレスを選ぶ。色はピンクが黄色などパステルカラー、とにかく華やかで、ロマンチックで、髪をアップにセットし、小さいジュエリーがきらきらしている。それを横目で見ている、黒いタイトドレスの、わし。

それが、今、やっと、「ショパン、ええじゃないか…」と素直に、「ショパンのメロディー、普通にええやんけ」と思えるようになったんよ…!苦節20年。わたしの心に、ロココ調が育ってきたんだね…!昔はひねくれた荒地だったんだね…。あと、ショパンは暗い曲弾いてると、「根暗やな〜!」と思う。家族に「暗い気持ちになるから止めて」と言われる。持ち前の辛気臭さを、非常に優れた、ハイセンスの繊細な美意識で作品にして輝かせてる、な!と。そして暗い曲ばかり弾くわし。

「ショパン好きじゃない」、という人も一定数いる。あんなにもてはやされるのが分からん、と。パクチーは、ショパンは、ピアノの新しい使い方を発明した人だと思うんだよね。それまでピアノは、室内楽(アンサンブル)を一人で弾くことが出来る、代用品みたいな機能で使われてたんだよね。だからそれまでのモーツァルト、ベートーヴェンのピアノ曲は、オーケストラの楽器にそのまま持ち替えても演奏することが出来る。でもショパンが初めて、ピアノだけが出来る表現の可能性みたいなものに気付いて、「効果」として音を使い始めるんである。それまでメロディーは意味のあるものだったのに、同じ音形を繰り返し繰り返し弾いてペダルで残響を残すことで、雰囲気を作ることが出来る。ショパンは、ピアノという楽器を、本当にずっと深く愛し続けて、深く理解していたんだろう。



さて!ここまででやっと漫画4巻まで終わったよ。

こりゃ…当分、続くな。


それでは、次回!




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