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いいこととわるいことのオセロの話

この曲を聴きながら読んでもらえると面白いかもしれません。最近ハマっているアーティストで、間違いなくこれからスターダムを駆け上がっていく方だと思います。

東京は府中、正確に言えば東府中という駅の近くに府中の森芸術劇場という音楽ホールがあります。画像の通りそこそこの規模で、日々色んな楽団の演奏会などが行われているのですが、「吹奏楽コンクール会場」としての認識が強い方も一部にはいらっしゃるのではないでしょうか。
東東京地区の高校生で吹奏楽をやっている人は皆例外なくこの場所に見覚えがあるはずです。毎年夏になったらこの会場で都大会が行われて、なんか偉そうな審査員の人たちに君らは金賞ですやったねーとかお前らヘボは銅賞だ、◯ね!みたいなことを言われる、というのが通例になっています。

吹奏楽コンクールという大会の是非も最近はよく話題になっているようですが、ここでは一旦そこには触れずに僕の話をします。僕はこの府中の森という会場が大嫌いで、一時期は東府中の駅を乗ってる電車が通過するだけで吐き気を催すほどのお気持ちがありました。
その理由は「ラストのコンクールであり得ない出来の演奏をして学校の連続金賞記録を止めた」というマジでどこにでもありそうなもので、この話をnoteで部分的にしたことも確かあったと思うんですが、この話にはちょっとした伏線があるんですよ。

僕の代はまー演奏のレベルがヘボくて(当時は認めたくなかったけど今考えれば疑う余地がない)、先生とかOBも半ば諦め気味、後輩もコンクールの曲よりその後の大会の曲を優先して練習し始める、てな感じで有体に言えば終わってる状況でした。そんな中でも何とかしたかった僕は色々動いて、ただまあ当時は今以上に他人の気持ちがわからない奴でしたから上手くいくはずもなく、一部の部員と険悪になったりします。そいつらに「お前らが僕を嫌いなのはわかったから、せめて本番まで真面目に練習してほしい。その代わり結果が悪かったらその時は僕が部から消える」的な意味不明なことを宣ったりして、ここまで言ったからにはせめて自分だけでもバチバチに演奏を決めないといけない、みたいに謎な追い込まれ方をした結果、(特に高い)音の出し方がよくわからんくなってそれが全く戻らないまま僕の夏は完全終了しました。

その後にあった、これまたどこにでもありふれている「退部希望者を自己陶酔目的で引き止めようとする」同期たちとの闘争や親に言われた屈辱極まりない言葉についてはまた機会があれば話すとして、今になって当時を振り返れば立ち回り方にしても音の戻し方にしてもやりようしかなかったなと思います。とは言え当時はそれが精一杯だったわけで、全力を尽くしていた、という一点については今でも自信を持ってyesと言えますから、まあ運もなかったな、というのが今の僕の感想です。
そういうわけで、僕が府中の森を嫌う理由はこんな感じです。前置き長っw

実は数ヶ月前、この府中の森、まさにやらかしたのと同じホールでオケの演奏会がありました。
僕はこの曲の首席ホルンで出演です。

ぐわぁーあのホールかよ…とか思いつつも、津野さん(推しのギタリスト)が好きだったチャイコフスキーのこの曲目は気合が入るな、という感じで珍しく練習に励んでいたんですが、そんな中で天使が聴きに来てくれるという話が急浮上しました。
天使についてご存知ない方も多いと思うので改めて復習しておくと、僕が大学入学時に会ってから今までずっと好きで、社会人なって数年経った今もずっと仲良しだけど特にそういう関係になったことはない、という一般人女性のことです。よくわからないという方、僕もよくわかってないのでご安心ください。

こんな感じで色々なファクターが相まって、かなりみぞみぞした状態で本番を迎えることになったのですが、僕にしては珍しくしっかり練習した成果が出たのと、この10年で色々な経験をしたおかげもあって何とか大きな粗もなく最後のBマイナーを鳴らすことができました。
その後は外で天使と合流し(この時彼女は「中が冷房で寒かったから解凍されてたわ」と外の噴水前で語っていましたが、当日は余裕で真夏日でした。天使はちょっとこういう所があります)、食事をして軽く新宿ルミネを周り、読者の方々が期待されているようなことは特になく解散したわけなんですが、こんなような何の変哲もない(言い方悪いですかね?)一日でも、少し経った今振り返ればとてもいい思い出なんですよね。今の僕が府中の森という会場を見聞きすればこの日のことを思い出しますし、東府中を通っても大して嫌な気持ちはしません。
思えばあそこの会場で初めて演奏したのは高校1年生の時のコンクールで、その時は自分はそこそこの演奏で周りのレベルが高かったこともあり無事金賞を獲得し、今は潰れてしまったカレー屋で先輩たちと飲んで(酒じゃないけどね)食ってバカ騒ぎした覚えがあります。
いい思い出といい思い出にわるい思い出が挟まれて、あまり気にならなくなったようです。来てくれた天使のおかげでもありますし、色々ありながらも何とか楽器を続けてきた自分がなかったらあり得なかったことだとも思います。続けててよかった。

きっとこの先もいいことのオセロができたり、逆にわるいことのオセロができたりするのが死ぬまで続いていくんだろうな、なんてことを冒頭の曲を初めて聴いた時に思ったのでした。一般販売で買えたらライブ観に行きます。

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