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『1984』

何日か前の朝、新聞をちらっと見ていると書籍の広告のところで『1984』というタイトルに目が止まった。一瞬『1Q84』?(今ごろ?)と思ったから目についたのだと思う。ただ、その時は朝で忙しく、そのままそのことは忘れてしまった。

あくる日、YouTubeをぼんやりと眺めてるとP-MODELの「美術館で会った人だろ」の動画がおすすめにあがってきた。その時ふとなんで師匠(平沢進)はこんな歌詞を書いたんだろう?と改めて思い、歌詞を検索してみた。美術館で会った人といいことしたいから美術館に火をつける…ってやっぱりヘン(笑)と思いつつさらに調べていると、この曲はP-MODELのファーストアルバム『IN A MODEL ROOM』に入っているのだとか。

それで今度は『IN A MODEL ROOM』を検索し、Wikipediaのページを読んでいてまたとある部分に目が止まった。

(『IN A MODEL ROOM』は)ジョージ・オーウェルのデストピア小説『1984年』がコンセプトの下敷きにあり、「東京版1984年」とも称される。

Wikipediaより

…ん?『1984年』?"年"がついてはいるけど…もしかして私が新聞で見たあのタイトルの本じゃないの?!Σ( ゚Д゚)とびっくり。なので今度は『1984年』を検索してみると角川文庫で新しい訳のバージョン『1984』が出ているらしい。新聞広告のは確か"年"がついてなかったからやはり新訳本の宣伝だったのかも?

さらにその本の解説をしているのが私が各種雑誌のコラム等で見かけたら絶対読むことにしている内田樹さん!うわー、もうこれ読まなきゃならんやつ!と思ったのである。そう思ったらいても立ってもいられず、その日は出かけるつもりなかったのにせっせと電車に乗って『1984』を買いに書店へ走ったのであった…こういう時の行動力は本当に自分でも素晴らしいなと思う(笑)そして2軒目の本屋さんで発見!とんぼ返りで家に戻って読みはじめた。

さて、読みはじめると今度は"ビッグ・ブラザー"という固有名詞を見つけてまたびっくり!なぜびっくりかというと核P-MODELに「Big Brother」という曲があるから。小説に出てくる"二重思考"というワードをかんがみても、師匠は本当にこの作品に影響受けてるんだなあ~と思った次第。『IN A MODEL ROOM』も聴いてみたい!

ということでここからは読書感想文(ネタバレもちょっとあるのでこれから読む人は読まないでね!)。

『1984』の作者はジョージ・オーウェル。イギリス統治下のインド生まれ。彼は第一次及び第二次世界大戦等の世界がひっちゃかめっちゃかな時代に生きた人で、『1984』は1949年に刊行された、そんな彼がその時点で想像したであろう最悪バージョン(?)の未来を描いたと思われる物語。本の裏表紙に書かれている紹介文によれば"ディストピア小説の最高傑作"であるらしい。

それにしても日本は現実的にだいぶディストピア化してきているなあとこの本を読みつつ思った。与党のトップが自分たちに都合悪い報道をさせないよう圧力をかけてきた事実が明るみになりつつあるけど、その裏で好き放題やってきたのを多くの日本人は気づいてない(時の総理大臣が五輪かなんかでスーパーマリオに扮した姿だけで親しみのある政治家と思い込んでしまう始末…)、これだけ税金とられてるのに政治は自分と関係ないと思ってる人も多いようだし。

自民党と旧統一教会とのつながりについてもメディアは最初の方こそ報道したものの最近すっかり話題を聞かないような…。週刊誌やネットニュースしかマトモな報道をしていないんじゃなかろうか。このまま自民一強政治が続いてトクするのは自民党の政治家とその取り巻きだけで、圧倒的多数の人たちにとって良いことはひとつもないというのに。

あくまでも自民党が力を注いでいるのは国民を豊かにするための体制を整えることなんかではなく、"自分たちが恒久的に権力を持ち続けられる体制を整えること"なのだろう。そういうところが『1984』の世界とリンクしてるように思う。そんな『1984』の主人公であるウィンストン・スミスが属する階級の世界では、常に"テレスクリーン"によって各人の行動が監視されている。行動というよりは自由な思考を持たせない、ということが目的であり、"思想警察"が常に目を光らせているのだ。

彼らはビッグ・ブラザーなる存在に忠誠を誓い、ビッグ・ブラザーが永遠に世界を支配し続けられるように人生の全てを捧げなければならない。その思想に逆らう人物は残らずとあるところへ連れていかれ消されてしまうというもっぱらの噂。そんな中、ウィンストンは自分と同じようにこの体制を壊してしまいたいと考えている反逆者の組織があるらしいと知り、それに加わりたいと切望するが…というのがざっくり『1984』の前半のお話。

ビッグ・ブラザーを拝めたてまつる、という点では、これはどちらかというと宗教の洗脳に近いように思った。自らの教義に染めていく描写はカルト教団とはかくなるものだろう、というような。髪の毛をカラーリングしたことある人ならわかると思うけど、まず毛の色をブリーチしてから新しい色を入れ込む、という手順で染める。それと同じで、あらゆる拷問をうけさせてマトモな思考が出来ないところまで落とし、染めたい思想を流しこむ、というような手順で洗脳するのだ。

そして私が一番この本を読んで印象に残ったのは、体制に歯向かう人間に対して食事を与えなかったり、電気ショック(?)などを与える描写のリアリティ。戦時を生きたジョージ・オーウェルはおそらく、戦争で捕虜などが受けた拷問の成れの果てがどんなものなのか目の当たりにしたこともあるんじゃないかと思う。食事を摂れないことが続くとどういう精神状態になるのか、拷問を与え続けられるとどういう姿になるのか…想像だけであそこまで描くのは無理なんじゃないかな。

なのでおよそ人間的でないその鬼畜の所業にこんなことを絶対繰り返してはならないんだ、戦争などあってはならないんだ、という強い気持ちを持って小説を書いたんじゃないかと私は思いたい。支配者側のコントロールのやり方を提示することで、それに対する次の一手を読者に考えさせるような。ちなみに私たちは物語でいうところの"プロレ"なのだろうけど、"プロレ"の中にこそ希望はある、と作者は書いていた。そのことだけがこのお話の中の救いのように思う。

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