オススメすることが苦手な私は、相手の好きは尊重してるんだと思う

私は、人にオススメをするのが苦手。個人主義の時代で、発信することが「正」とされつつあり、取り残されてしまうのではないかとさえ思ってしまう。このオススメする気持ちへの違和感を言葉にしてみようと思う。

好きなものがないわけではない

もちろん、好きなものはある。好きなものはリピートしたり、熱を持って語ることもできる。

例えば、映画のMARVEL 特にアベンジャーズシリーズはとっても好き。ワイルドスピードシリーズも大好き。どちらも、映画館に絶対に観に行く。

「世界や家族を救う」という正義感で、ボロボロになるまで動き続けるところのストーリーもあるけど、やっぱり、アクションや映像の迫力がスカっとする。4階の駐車場から車がどんどん落ちてくるって、、、とか。現実ではあり得ない映像を、ド迫力で見れる。
さらに、身体ひとつのアクションもかっこいい。毎回、あのアクションシーンみたいな動きができるには、何を習えばいいのかを考えてる。ボクシング? 合気道? 空手? とか。

カフェ巡りも好きで、どこかに行く時は、前倒しでその場所に行って、カフェやコーヒーショップで時間を過ごしている。カフェが醸し出す空気感、ペイストリーなどのおしゃれ感などに惹かれている。だけど、別に写真を撮ってインスタに載せるとかはなくて、色々なところに行っては、「ここはちょっと違うな」「まー次来てもいいけど、このカフェのためにこの場所には来ないな」と思ったりする。実は、目当てのカフェに行くためだけに、鹿児島やパリに行くほど、行動力はあるほうだったりする。

だから、好きなものがないわけではないし、熱く語ったり、ここは良かった・面白かった!と話をすることはできる。

他人の好きに合うオススメをしたい

じゃ、何ができないのかっていうと、自分の好きなものを声高に「ここオススメだよ」とか「これやるべき」と自分からは言えない。あんまり知らない人に「何かオススメある?」と聞かれて、ズバっと言えない。

一方で、何かを見たときに「●●さんに合いそうだから、プレゼントしよう」という気持ちになることも多い。逆に、プレゼントを買わないといけないときに、その人に似合いそうなものが見つからないときは、無難なものを選びがち。

これは、根本に、

「私の好き」と「相手の好き」が違うから、相手が楽しんでくれるかわからない。
もし、相手が楽しんでくれなかったら、悲しいし、センスを疑われそうで嫌だな…


という気持ちがあるんだと、最近わかった。

私は、他人の趣味趣向がある程度わかってる人には、その人に合わせてオススメができるけど。趣味思考がわからない人には、私の好きを伝えることに恐怖があるんだろうなって。

私について聞いてると思うけど、私には「あなたの受け取り方」が気になる。「どの好きを言えば、あなたに受け入れられるのか」を心配する。そんな感覚。

そんな時に、二年前に受けたストレングスファインダーを再解釈した際に、私の「オススメができない」という気持ちに折り合いがついた。

私には「個別化」を1位に持っている。個別化は、「一人ひとりみんな違うよね」と考え、その違いを自然と見抜く資質に長けてるらしい。だからなのか、相手が喜ぶような選択肢を与えたい気持ちがある。自分が好きなものを伝えて、相手にも「この感動を体感して欲しい」という気持ちは全然なくて、「私は感動するけど、相手の感動ポイントは違うよね」というどこか冷めた感覚がある。(あとは、私の好きを否定された時の恐怖もちょっとある)

正解がひとつで「これしかない!」というのも苦手。相手に合わせた選択肢があるはずだから、押し付けられたくないな〜と漠然と思ってた。「やっぱり、●●●●に行き着くよね」とかの、物事が何かに帰結するようなものも少し違和感だった。信仰精神っていうのかな。

信仰を否定したいわけではなくて、その信仰を私にも求めてないで欲しい、という感覚だったのかも。
それが、私にも当てはまるってだけ。私が信仰してる(好きなもの)や効果を実感したものが、相手も必ずしもできるかわからない。オススメするって、相手の行動を促す行為だから。なんかその責任感に潰されそうになっちゃうんだろうな。と分析してる。

おわり



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?