小説 メルヘン #3

ピンクサロンで働く前は、介護の仕事をしていた。
高校を卒業し、家を出て、老人ホームでアルバイトをしながら介護職員の資格をとった。同じ職場に恋人もできて、二人のシフトが重なると嬉しかった。廊下ですれ違ったりすると、微笑み合うのだ。
そんなある日のこと、入居者さんを車いすからトイレへ移乗させる時、私は右の股関節に違和感を覚えた。激痛でもなく、ネジがうまいこと穴に入ってないまま動くような、ちょっとした不調だった。そのうち、一日に何度かそこが重苦しく感じるようになった。痛くて脚を大きく開けなくなった頃、恋人に病院に行くよう勧めらた。彼は仕事があって、私一人で受診した。

「変形性股関節症でしょうね。これを見ると、あなたはここが正常な人よりちょっと浅いの。それで介護の仕事でしょ。負担がかかっているんです」
整形外科の先生が、レントゲン写真と、カルテと私を順に見る。確かに、隣に並べられた正常な股関節のレントゲン写真と比べると、自分のは太ももの骨の先を受ける部分が、少し平たい。
「学生時代に何か部活はしてました?」
そう聞かれて、
「バレーボール」
と、答える。
「よく今まで症状が出ませんでしたね」
医者は不味いものを食べたような顔をした。
「仕事を休んで、少し安静にいていれば進行は抑えられるでしょうけど、治るっていうのはないですね」
痛みはひどくなっていき、いずれは手術するしかないと、医者は言った。

会計を済ませた後、院内の薬局でシップを受け取り、病院を出た。歩きながら、恋人ではなく、実家の母親に電話をかけた。
「私、股関節が痛くて、今日医者に行ったの」
「あら、どうかしたの?」
「わかんない。わかんないけど、レントゲン撮った。なんか、生まれつき股関節がおかしい、みたいなこと言われたよ」
電話の向こうが静かで、私は言葉を吐き出す。
「老人ホーム辞めなきゃならないんだ。そしたらお金がなくなるからさ、ちょっと振り込んでよ」
私は何かある度に、母親からお金をもらっていた。
「わかった、いくらくらいいる?」
多めに金額を伝えた。次の日、その通りの額が私の口座に入っていた。

老人ホームには辞表を出し、無職になった。何もしたくなかった。お金に困ると母親に電話した。頼めば必ず銀行に振り込まれた。ずっとこうやってゆすって生きて行こうか。恋人とは会わなくなり、別れた。股関節の具合は、ダラダラと過ごすぶんには平気だった。ただ、常に奥の方にかすかな痛みがあって、長く歩いた日には脚全体が怠くなった。怠くなった脚を、私はげんこつで叩いた。本当は、何も痛くないのかもしれない。でも、夜一人になると、やっぱり痛んだ。

メルヘンで働きはじめて三日目くらいの時、リサが話しかけてきた。
「ナナちゃん、今日、ご飯食べに行かない?」
フロアの一角には、コンドームやおしぼり、ローションその他が置いてある狭い場所がある。そこで、お客さんに舐めまわされた太ももやら胸やらを、熱いおしぼりで拭いていた。
「え?」
頭の上のスピーカーから騒々しい曲が大音量で流れていて、耳を寄せないと人の声は聞き取りづらい。
「だから、お店が終わった後、ご飯をおごらせて、ってこと」
リサは口を大げさに動かし言ってくる。
「あ、はい。ありがとうございます」
私は頭を下げた。リサは、「よーし、残りもがんばろう」と小さく拳を振り上げ、棚の中からビッグサイズ用のコンドームを取り、すぐ近くのお客さんのところへ戻って行った。
「おまたせ、おっきいの持ってきたよ」
興味本位で、区切りのためにあるレースカーテンに顔をあて、リサの席を覗く。上半身だけ服を着た男の人のあそこが、股間でうなだれている。勃起していないのに結構なサイズで、ビッグサイズを使う場合の目安を知った。

リサに連れて行かれたのは、店の近くの小さなうどん屋。地方都市の歓楽街、平日午前三時のうどん屋には、酔ったおじさんと飲み屋のお姉さんカップル、老夫婦、あとは私たちだけたった。
店のおばさんが、私とリサの前にお茶とお手拭きを置いてくれる。
「わたし、おかめうどん」
リサの注文に、ギョッとなった。なぜって、リサは少し、おかめさんに似てるから。それじゃあ自分はどうしようと考え、「私はタヌキで」と、自分をうどんにしたらそんなもんかなという注文をして、リサの様子を窺った。リサはなんでもなさそうにテーブルの隅の箸箱からお箸を四本出すと、一膳私にくれる。それから、紙ナプキンを敷いた上に自分のお箸を置き、くるくるまるまっていたお手拭きを一度広げ畳みなおし、手を拭きながら周りを見る。
「おお、もう鍋焼き始まってるんだね。ねえ、もしや、私に気を使った? タヌキだなんて」
壁の「鍋焼きうどん」の張り紙を見て、リサが言う。
「いや、そういうわけでもなかったんですけど」
「今度来たときは、鍋焼きにしなよ」
二人で、鍋焼きの話をしていると、リサの前におかめが届いた。おかめうどんを初めて見た。特におかめさんらしいところはなく、具のたくさんのったうどんだった。
「わたし、これ好きなんだ。ここに来たらいっつもこれ」
先にどうぞ、と言っても、リサは待っていた。タヌキも届いて、二人で麺を啜った。
「仕事には慣れた?」
「いえ、まだです」
啜る。
「ナナちゃんは、あんまり抵抗ないタイプでしょ」
リサが、私をじっと見る。
「ええと……。あ、この仕事ですか?」
「そう。絶対に無理、とかじゃないでしょ?」
「はい、そうかもしれないです」
どうしてなのかはわからない。でも、相手にはっきりとした需要があり、それに応えれば喜んでもらえる。私はわかりやすいことが好きなんだと思う。老人ホームを辞め、駅前を歩いていた時、店長に声をかけられた。店長から渡されたティッシュには、〈カフェのアルバイト 時給三千円~〉とあった。アパートに持ち帰り、書かれた番号に電話をかけ面接の日時を決めた。そして、教えてもらったビルの地下を訪ねた。本当の業務内容を知っても、「ふーん」とだけ思い、「メルヘン」の女の子に登録された時には、妙にしっくりきた。店長も、人を見る目があるってことだ。
「やっぱりね」
リサが口を尖らせ頷く。
「どちらかと言うと、小嶋さんで研修する時のほうが、ちょっと……」
私は初出勤の日を思い出して言った。
「あー、やっぱり小嶋だったんだ。私もそうだった」
リサは笑って、それから俯き、お箸で蒲鉾をつつく。小嶋さんというのは、店の従業員の男の人で、飲み物の準備や店の掃除、あとは店長と交代で客引きに出たりする。店長と小嶋さんは同い年と聞いた。三十半ばくらいだろうか。中背だけれど、筋肉のついた身体。小顔で、目も鼻も口も小さい小嶋さんは、私のフェラを受け、「うん、まあまあかな。あとは実践でね」と言った。

      つづく

# 4 メルヘン

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