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20240627 全部義務っぽいな

日付のナンバリングをすることで、ブログ感が強まって、額縁としてどうなん?って思ってた。けど、再開した。理由は気分。理由は気分。

はーい

実家に帰ってきて、スケジュールも組まないで自分の好きなことをやっている。金が必要なので、YouTubeの動画の台本を考えようかなって思う。日曜日はコーチングの講義があるので、それの宿題がある。ひとから薦められている映画もある。図書館から借りていて、読んでいない本がたくさんある。朝に「やらなくちゃな、食べなくちゃな」って思いながら生きるの、楽しくない。全部義務っぽいな。

やらなくてもいいことがほとんどなんだけど、自分のやりたいがうまく見えないときは、やったほうがいいものを考えてしまいがち。いまあるものはすべて、ビュッフェみたくその時は全部好きで選んだはずなのに、雑多に皿に盛りすぎて、どれから食べようか迷っている間に全部が面倒になる。

本は少しかじって味見して、つまらなそうなら読まなくてもいい。映画も惹かれなければ途中で観るのを辞めてもいい。宿題も時間を節約したいなら、求められていることだけこなして適当に済ませばいい。そう思うんだけど、皿の上に載っているときには、全部をしっかり味わった方がいい気になるんだよ。

部屋が片付いていたほうがやりたいことが見えるように、頭の中に義務みたいなものがたくさん転がっていると、余白が見えなくなってくる。ダンスは広いとこで踊ったほうが楽しい気がする。やったことないけど。頭の中が狭くなっている感じがする。真面目過ぎるから?

誰も止めないし、もっとふざけていいのに義務と課題ばかり見ているのは、自分に自信ないからだと思う。未知に踏み出して構築する自信が。足元にあるものだけを拾って道を作っていくのって、なんかつまらない気がする。それっていつか知ってる街に着いてしまうんじゃないの?

とはいっても、生きるために必要なクエストはたくさんあるわけで。時間の余白がたくさんあるのも事実なわけで。外側だけじゃなく、あるものを大事にできる人になりたいなとも思うわけで。

やらなくちゃいけないという消極的姿勢と、やるぞ~という好戦的姿勢、これらは気持ち次第で切り替えられるものなのかもと、さっき閃いた。どうせかかる時間が同じなら、楽しもうと腰を据えてしまったほうが歌舞いてる気がする。そういう文献ないですかね?なけりゃ俺が書きますよ。

迫り来る不安と焦燥、そいつらが俺に、人生を義務だと思わせている。いやいや。人生はご馳走かもよ?雑多に散らかった部屋を、鼻歌を歌いながら片付けていく。愛するというのは動詞。楽しむも動詞。主体がそう決めてから、その先に花が咲くもの。


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