見出し画像

『ウルトラマンティガ』を観ました。(第21話〜第30話まで)

凡例のようなもの

 以下の感想は視聴当時(2020年5月16日〜2020年6月24日)にふせったー(指定した箇所を伏せ字にしてツイート出来るツール。追加で長文も付けることが出来る)を使用してツイートしたものです。省略した句読点の追加や、語句の統一程度の推敲はしましたが、ほぼそのまま掲載しています。
 今回は第21話から第30話までの分を扱いました。
 全体的にネタバレや、感想を読む方が視聴していることを前提とした内容です。まだ未視聴の方は、その点をご留意ください。

『ウルトラマンティガ』第21話を観ました。

 魔神が不敵に微笑むのが印象的でした。魔神とデバンの関係が気になります。
 神出鬼没の魔神と、現場に必ずと言って良い程居る旅の一座とデバンが今回の話の焦点でした。魔神は全国各地にランダムで現れ、人間の攻撃・殺人衝動を増幅する電磁波を撒きますが、デバンはその電磁波の効果を無効化してしまう能力の持ち主でした。二人が地球上に現れたのは、多分同時期でしょうが、関係はあるのでしょうか。話中では「魔神が旅の一座を操っているのかも知れない」という考察がされましたが、もし魔神が一座の行く先々に現れるようになっているとしたら、デバンはそれを阻止するために現れた存在と言って良いのかも知れません。
 また、旅の一座が、正体が明らかになった後でも仲間の一員として扱っていたデバンが、TPCの科学者に被験体扱いされていたのが衝撃的でした。科学者は旅の一座の態度を見ても姿勢を変えず、デバンが死んだと思われた際には、実験目的に使うことが見え見えな態度で遺体を引き取ろうとしています。怪獣とは言え、生き物である相手に敬意を払わないのはどうかと思われました。ダイゴ隊員に生存が報告された際はびっくりしましたが、無事に一座の仲間として扱ってくれる仲間の元で生きていけるようで良かったです。
襲撃の時に、魔神の口元が釣り上がり、笑ったように見えたのには驚きました。今までウルトラマンや怪獣の表情が変わったのは観たことが無かったのです。これはコンピューター・グラフィックスの実力なのかと思うと、これからはウルトラマンの表情が変わったりする場面もあるのでしょうか。観てみたいような、そうでないような気がします。

『ウルトラマンティガ』第22話を観ました。

 数少ない、当時観た記憶のある回です!
 わたしは、放送当時は多分幼稚園児で、『ウルトラマンティガ』をリアルタイムで観れる世代でした。ただ生活ルーティンの関係上、『ティガ』はちらっとしか観ることが出来ず、覚えている場面もまばらです。その数少ない『ウルトラマンティガ』に関する記憶が残っている回が今回でした。
 残っている記憶はこうです。男女が何かから逃げている。男性は三枚目の印象がある防衛隊の隊員。女性に関する記憶は少ない。二人は追い詰められた様子だ。男性の胸元からあぶくのような形状の瘤が生えている。男性はそれを引き千切り、女性に何かを叱咤する。現場には天井からの雨が降り注いでいた――。実際は宇宙観測所に辿り着いたホリイ隊員とミチルの二人が、寄生怪獣マグニアの放った霧から逃げるも挟み撃ちにされ、ホリイ隊員がマグニアに寄生されるも引き千切って投げてビームガンで撃ち殺し、水に弱いことに目を付けた彼によってスプリンクラーの水でマグニアの大群を纏めて仕留めた場面でした。
 当時その場面が強く目に焼き付く程、この回は「怖い」という印象が強かったです。20年近く歳を経た今、改めて観た感想としては、やはり怖かったです。
 何らかの異変が襲った山奥の村。村人は何かに取り憑かれていて、異変を察知したGUTSの隊員達を鎌等の刃物で以って襲撃する。村人に取り付いた得体の知れないものは、これまたグロテスクな形状をしているのです。得体の知れないグロテスクなものは霧と共に襲ってくるため、霧を全力で忌避するようになる隊員達。事態を重く見た隊員は仲間に連絡するため、山を降りようとするが、『ウルトラマンティガ』における主役・ウルトラマンティガに変身するダイゴ隊員が霧の中の得体の知れないものに捕まり、川へ転落してしまう! 
 この得体の知れないものの存在がとても恐ろしく、頼みの綱のダイゴ隊員が戦闘不能に陥ってしまうのが絶望感がありました。
 また、マグニアの本体も気味が悪かったです。『ウルトラマンネクサス』に登場するスペースビーストに似たビジュアルの印象があります。体色の薄ピンクが肉塊を思わせ、そこから連想させられる温度感がグロテスクでした。
 無事に怪獣が退治され、ハッピーエンドを迎えることが出来、本当に良かったです。

『ウルトラマンティガ』第23話を観ました。

 図らずも地球上に生まれた者同士の戦いになってしまった回でした。
 ナーガは円盤で来襲し、恐竜をサイボーグ化していました。数千万年前にそのような文明を持っていたことから、ナーガは異星の文明でしょう。ナーガは回収した恐竜を元に、アダムとイヴに進化させ、地球侵略に利用したのだと思います。異星人の手によって、恐竜種族と人類による、生存競争が起こってしまったとも捉えることが出来ます。
 アダムの口から出た弱肉強食と言う言葉は重いです。ダイゴ隊員の言う通り、戦わなくても恐竜種族と人類に和平が結ばれれば、お互いに地球上で生きていけたと思います。それなのに、アダムは生きるか死ぬかの極端な選択をしてしまいました。ウルトラマンティガがナーガの円盤を撃沈した後、恐竜人類の二人が去って行ったのは、その選択の結果、地球は人類の支配下に入ったことで、恐竜人類の居場所は無くなったと考えられたからでしょう。
 人類は闘争で勝つことでしか、生きる場所を確保出来ないのでしょうか。あまりスッキリしない結末の回だと思いました。

『ウルトラマンティガ』第24話を観ました。

 子供達と〝公害〟後の世界の話でしたね。
 今回の主役である子供達のグループは、凧揚げをしたり山遊びをしたり、挑発はお尻を叩いたりと、今から見れば古典的なことをしているように思えました。それが懐かしく、面白かったです。特にGUTSの自動車にいたずらをし、看板に向けて発砲してしまった時は笑ってしまいました。しかしそれらが元で、まるで〝オオカミ少年〟のような扱いになってしまったのですが。
 今まで『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』を永く観て来たので、公害は現在進行形だと思っていましたが、『ウルトラマンティガ』の時代には「公害は過去のもの」という意識が生まれていたのですね。確かに、わたしが小学生だった頃の社会科での公害の授業は、「過去は洗濯後の洗剤をそのまま川に流したりしていた」「今は上下水道で取り組みをしており、生活排水対策はちゃんと行われている」とか、「昔は車の排気ガスも問題になっていた」「最近は排気ガスの少ないエンジンや、新たに電気自動車を開発し、排気ガスを出さない工夫をしている」という内容で、施設見学もしたりしました。ですが『ウルトラマンティガ』視聴現在では、地球温暖化防止が問題になったり、生態系に影響を及ぼすプラスチックごみの扱いが話題になったりしています。今回の『ウルトラマンティガ』を観て、「公害は後に永く影響を残し、子供達の時代に大きな負担を掛けることになる」ということを、まざまざと感じました。

『ウルトラマンティガ』第25話を観ました。

 闇と光が対決した回でした。
 キリエル人とキリエロイドが再登場し、ウルトラマンティガと相見えました。前回登場した際には、ウルトラマンティガが地上に登場する前から地球を支配していたこと、今活躍しているティガに対抗出来る勢力であることが表現され、掘り下げられる機会を心待ちにしていました。今回は改めてウルトラマンティガに対抗出来る唯一の勢力であることが示され、ティガ打倒を狙い、地上を支配しようとしました。
 ウルトラマンティガに対抗するため、人々の支持を獲得しようとした手段は、極めて宗教的なものでした。人々の目に付きやすい場所に天使像を出現させ、信仰心に訴えたのです。天使を盲信する人々の心を掌握し、地獄の門を出現させて、キリエルを地上へ送り込もうとしました。
 また力尽きかけたティガに、人々が光を与えることによって復活した際には、特撮セットにミケランジェロの『アダムの創造』のモチーフが見られました。老人の姿をした神が、アダムに命を与えようとする瞬間を描いた作品が、逆に人々が神とも見紛う力を持つウルトラマンティガに力を与えようとする瞬間の表現に使われたことになります。すごく上手い比喩だと思いました。
 これによって復活したティガの放ったゼペリオン光線によって、キリエロイドは地上から逐われました。
 この回は闇が象徴する旧支配勢力と、光の新勢力の戦いだったと思っています。わたしは少し聞いたことがあるだけなので、詳しく言及できませんが、クトゥルフ神話に繋がるものがあると考えられます。ウィキペディアによれば、『太古の地球を支配していたが現在、地上から姿を消している強大な力を持つ恐るべき異形のものども(旧支配者)が現代に蘇ることを共通のテーマとする。(Wikipedia「クトゥルフ神話」より抜粋)』ということなので、旧支配者がキリエル人の勢力で、現在の支配勢力がウルトラマンの勢力だと解釈できると思います。
 キリエル人とキリエロイドの話はとても興味深いエピソードなので、もっと掘り下げられるのを期待してやみません。

『ウルトラマンティガ』第26話を観ました。

 「怪獣無法地帯」的回でしたね! 怪獣とものまね・だるまさんが転んだをするティガが可愛かったです。
 今回は、奇妙な虹の向こう側に現れた魔境が舞台でした。怪獣が複数出現したあたりに、『ウルトラマン』での『怪獣無法地帯』回、『ウルトラマンマックス』でのサブェクト・ファントムを思い出してしまいますが、それらと違って、『ウルトラマンティガ』では山中での戦いが描かれました。離島と違い、自動車ですぐに行けてしまうし、虹が現れる限り遭難者が出るのが、山中の魔境の特徴だと思います。
 以前、遊園地に出現したガギが再登場、怪力を持つ怪獣シルバゴンと激突しました。
 ガギはバリアを張る能力を持っているので、人間にしてみれば装備が無ければ太刀打ち出来ない相手ですが、シルバゴンの力の前には無力でした。またシルバゴンがすぐに触手をもぎ取ってしまい、力で捻じ伏せてしまったので、これにはレナ隊員も「ティガもあんなに苦労したのに」と漏らしていましたね。すぐ隣で聞いていたダイゴ隊員=ウルトラマンティガが可愛そうに思えました。
 しかし厄介なのはシルバゴンです。この怪獣は動く相手に反応し、魔境から脱出する車列を追尾し、対応したウルトラマンティガにも容赦無く襲いかかりました。力技を得意とするウルトラマンティガのパワータイプにも劣らない力を発揮していたのにはびっくりしましたね。途中、ホリイ隊員にシルバゴン攻略のヒントを貰って以降は、まるで「だるまさんが転んだ」のような戦いになっていたのが面白かったです。最後はデラシウム光流ではなく、パワータイプらしい脳天落としで決めていたのが格好良かったです。
 シーズン3にも関わらず、新技が観れたのが嬉しかったです。スカイタイプにも新技は発揮されるのでしょうか。楽しみです。

『ウルトラマンティガ』第27話を観ました。

 今回は妖怪が登場する、怪談話的な回でしたね。
 以前、宿那鬼と錦田小十郎景竜の因縁が描かれた和風伝奇的な話がありましたが、今回は妖怪が登場していたずらを繰り返すという怪談話的な要素が感じられました。
 妖怪オビコボウシは、夜鳴き蕎麦屋台を装って相手に近づき、不意を突いて話しかけ、振り返った瞬間に誘拐してしまう、神隠しとも言うべき能力を持っていました。影法師を隠している鍋の中と、山にある井戸が繋がっている描写は、土着の妖怪らしさを感じさせます。そのことを話してくれた山寺の和尚も、GUTSメンバーが話している隙に狸の尻尾を出しているので、和尚もオビコボウシに馴染みのある化け狸なのでしょう。この地域は文明の力で明かりが広まる前は、妖怪が沢山出没していたに違いありません。
 オビコボウシが町の人々を脅かして回っていたのは、夜に明かりが煌々と灯り、どんどん開発されていく町を憂い、昔の蓮華畑の広がる村に戻したかったからでしょう。化け狸こと和尚も、それを察しているからこそ、あのような説明をしてくれたと思います。ダイゴ隊員もそう考えて、「一緒に住み良い場所を探すから」と町を離れることを提案しますが、オビコボウシはよっぽど昔の村に執着があるらしく、村に戻らないならと破壊活動を行おうとします。
 オビコボウシとウルトラマンティガの戦いは悲しかったです。そもそも戦う理由など無かったと思います。町を破壊してもそこに広がるのは空虚な廃墟、時間は戻すことが出来ず、後には屍が広がるだけでしょう。それを察したからこそ、オビコボウシも最後はティガの攻撃を受けて消えて行きます。オビコボウシの表情は怒っているようにも、泣くのを我慢しているようにも見えました。
 文明が発達し、伝説の存在が科学技術によって説明がつくようになって久しいです。妖怪は、今回のオビコボウシのように消えて行くしか無いようにも思えますが、妖怪の存在を信じ、感じていた人々の心は途絶えて欲しく無いと思います。丁度、影法師に話しかけられて怯えていたシンジョウ隊員のように、夜の闇を怖がり、そこに神仙の存在を信じる人間が、いつまでも居て欲しいものです。

『ウルトラマンティガ』第28話を観ました。

 「何故怪獣はやって来るのか?」「何故ウルトラマンティガは人類のために戦ってくれるのか?」が問われました。
 「何故怪獣はやって来るのか?」という問いは、どの時代にもあります。記憶にある中では『ウルトラマンマックス』、ゴジラでは『ゴジばん』第一期『「ヘドじい漫遊記」第一話「火の国・熊本阿蘇編」』でも取り扱われた話題です。
 『ウルトラマンティガ』の中では、シンジョウ・マユミが「人類が武装しているから」という趣旨の発言をしています。人類が生存競争上対立関係にある怪獣に対抗するため、武装し、それを増強するたびに、怪獣はそれに反応して迫ってくる。同じ地球に住むクリッターとガゾートの被害に遭って、恋人を亡くしているマユミの言葉は重いです。レナ隊員もクリッター殲滅作戦に際し、「何故同じ地球に住む者同士、仲良く出来ないのか」「対立するのは仕方が無いことなのか」と疑問の声を挙げています。
 実際、クリッターは人類が自らを本気で根絶やしにしようとしに来た時、地球を離れて宇宙へ飛び立って行きました。「人類に愛想を尽かした」というのはレナ隊員の弁ですが、実際人類に住処を追われての行動なので、そう捉えるのも納得です。
 結局、人類は対立する者とは対立したまま、自分のポリシーを折ることも出来ずに争って、相手を滅ぼすしか無いのでしょうか。
 「何故ウルトラマンティガは人類のために戦ってくれるのか?」という問いには、レナ隊員が「人類と地球に住む他の種族が仲良くなれるように」戦ってくれているという答えを考え出しました。一方で、ダイゴ隊員もティガに変身して戦う中で、自問自答の形で答えを導き出しています。
「みんなが好きだから!」
この答えが素直でこじつけがましく無く、一番手っ取り早いし、優しく、最もだと思います。ダイゴ隊員は愛すべき人々のために、自らの手で全力で戦っているのです。誰に強要された訳ではなく、成り行きではありましたがそれを受け入れて、皆のために戦っている。それは素晴らしいことだと思います。

『ウルトラマンティガ』第29話を観ました。

 クルス・マヤの兄を演じたシンジョウ隊員がすごく格好良かったです。お兄さんの鑑だな、というのがよく分かる回でした。
 クルス・マヤとシンジョウ隊員に宿った宇宙人兄妹による、ファンタジックな物語でした。
 故郷を失った宇宙人に対して地球で暮らすよう諭すのは、わたしの中では『ウルトラセブン』の『盗まれたウルトラアイ』で、モロボシ・ダンが同じ宇宙人として母星から見捨てられたマゼラン星人マヤを説得した例が挙げられます。あの話はモロボシ・ダンがウルトラセブンに変身出来ないので特撮シーンが少なく、マヤを追うモロボシ・ダンを中心としたドラマがメインになりました。
 今回の話もウルトラマンティガとナターン星人との戦いはすぐ決着が着くなど、あまりバトルした印象はありません。ダイゴ隊員が留守にしているシンジョウ隊員の代わりに、マユミとクルス・マヤのライブに行ったり、ダイゴ隊員が流行りに疎いことや、事故に遭って救出されたシンジョウ隊員の世話をするなど、穏やかなドラマになりました。特に好きなシーンは、クルス・マヤとその兄に当たる宇宙人が宿ったシンジョウ隊員が、兄妹水入らずで遊園地のコーヒーカップで遊んでいるところです。
 親しい男女が遊園地の穏やかなアトラクションでゆったりしているのはとても好きです。類似のシーンでは、同じく『ウルトラセブン』の『悪魔の住む花』で香織とアマギ隊員がメリーゴーランドで遊んでいたものがありますが、それも大好きです。
 クルス・マヤとその兄は、地球を離脱して仲間達と共に宇宙へ旅立つかに思われましたが、兄がナターン星人に撃たれたことでそれは立ち消えになりました。シンジョウ隊員は兄が死んだことを知らないクルス・マヤに対し、兄を演じて、マヤに地球で生きるよう説得します。シンジョウ隊員は元々マユミの兄でもあり、同じ兄として、妹の存在は放って置けなかったと思います。シンジョウ隊員はお兄さんの鑑です。
 あの後、クルス・マヤは兄が死んでしまったのを悟ったのか、ライブで新曲「青い夜の記憶」を兄に捧げていました。クルス・マヤには、地球で、お兄さんの分まで強く生きて欲しいと思います。

『ウルトラマンティガ』第30話を観ました。

 怪獣の生存権が描かれた回でしたね。
 以前から怪獣と人類の共存の可能性を模索しているレナ隊員と、怪獣は人間には害悪しか齎さないと主張するシンジョウ隊員の意見が真っ向から対立しました。レナ隊員曰く、「ゾウやキリンのような大きな動物も、檻に囲うことで安全に飼うことが出来る。ならば怪獣も同じように飼ったりすることが出来るのではないか?」とのことでしたが、それにしても怪獣は大きすぎます。Wikipedia調べではありますが、アフリカゾウで体高は3.2m程、キリンでは6m程なので、怪獣とは規模が違いすぎることが一目瞭然です。その大きさの違いを理由に、シンジョウ隊員は「デカいというだけで人々を恐怖させ、経済を麻痺させる存在」として敵視しています。
 『ウルトラマン』での話になりますが、攻撃性は無くとも、そこに居るだけで経済に支障が出るという理由で怪獣を駆除する話が『恐怖の宇宙線』でありましたね。あの話では結局、怪獣はウルトラマンによって宇宙へと連れ出されており、怪獣の生存を願っていた子供達は苦い思いをしていました。
 今回の話ではレナ隊員が他のGUTS隊員達に対し、必死に怪獣の生存権を主張していました。「退治するのは、実際に被害が出てからで良いのではないか」と。それに対し、シンジョウ隊員は夜になって怪獣に攻撃を加えられるようになるまで待っていた他、牧場で飼育員をしている山本さんも「何故怪獣を退治しないのか。牧場に被害が出たらどうする」と反発していました。シンジョウ隊員は兎も角、牧場の飼育員ですら動物と怪獣を同じ生物として扱っていないことは、少しショックでした。
 しかし最もショックだったのは、ウルトラマンティガがセルチェンジビームを使ってキングモーラットを縮小し、動物と同じ大きさにしていたことです。これで大人しくなったし、普通の人間でも触れ合えるようになったとは言え、大きさを縮小することによって怪獣から動物のくくりに変更しただけではないでしょうか。本当の怪獣と人類の共存とは、怪獣があの姿形のまま、触れ合ったりすることではないのでしょうか。
 ハッピーエンドとは言え、あまり納得が行かない終わり方でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?